埼玉県の越谷は
家康さんが好きな「鷹狩場」だったようですが、
現在でも「宮内庁の鴨場」が置かれています。
でも、
この地図を見るたびに
池の周りの「ヒゲ」のような水路が
気になって仕方がありませんでした。
宮内庁の現役施設で
見学会などは当然開催されておらず、
(水鳥に人の気配は厳禁!!)
確認の術がありません。
が、しかし。
先日訪れた「浜離宮」で
1778年に作られた「庚申堂鴨場」と
1791年に作られた「新銭座鴨場」を
まじまじと間近で見ることができたおかげで、
長年の疑問が解決です!
(「おひげ」があるでしょ)
出会いは、このとき。
華麗なる将軍の庭園には
似つかわしくない「土塁」状のもの発見‼
土塁の中に入ると
そこには、
「のぞき穴」と
木の板と木づち、
外につながる「竹の筒」がありました......。
ん―――っ??
反対側から
観察してみましょう。
ほー。
ほーほー。
ほーほーほー。
「のぞき穴」が
見据える先には、
細ーい水路と
大きな池。
やっと、鴨場の仕組みが
わかりました!!!
池にいる水鳥さんたちを
捕るためには
いたいけな「アヒルさん」が必要でした。
このアヒルさんを
日ごろから手なずけておき、
木づちで木を打ったあとに
餌をあげるように訓練しておきます。
猟をしたいとき、
この「いたいけなアヒル」を池に放っておき、
木づちを鳴らします。
すると、アヒルは
クワックワッと
先ほどの細い水路(引堀)から
隠れた人間の元に近づいてきますね。
そして、
なんということでしょう、
(ちょっとおつむの弱い?)水鳥さんたちも
アヒルを追って付いて来てしまうのでーす(習性です)。
そこで、一網打尽に、と
ざっくりいうとこんな感じです。
(先ほどの「竹筒」は餌をまくための装置でした)
水路が四方に張り巡らされているのは
その日の風向きによって
捕る場所を変えるためでした。
「馬場跡」を通り、
「新銭座鴨場」へ向かいます。
(靴がドロドロになりましたが)
ここには誰も来ず、超穴場スポット!
これを「小覗(このぞき)」といいます。
池全体を観察する「大覗(おおのぞき)」。
「庚申堂鴨場」では「大覗」に続く道が
通行止めになっていて
残念に思っていましたが
見られてラッキー!
「大覗」からは
大きな池の様子が
よくわかる、よくわかる。
あの「鳥」、
「とり」たい。
それでは、復習。
鴨場の仕組みもわからずに
「ボーっと」生きていくところでした...。
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Posted at
2018/10/21 11:56:22