「日比谷公園」から
「霞が関」を抜けて
虎ノ門の「金刀比羅宮」へ。
今の霞が関。
江戸時代の霞が関。
昔は海が見えたんですねぇ~。
「金刀比羅宮」に到着。
讃岐・丸亀藩主が
讃岐の金刀比羅権現を
江戸藩邸の屋敷社として勧請したのが始まりです。
昔の虎ノ門。
寒行裸参りの職人が持っている長提灯に
「金比羅大権現」と書かれてますね。
(寒行とは、年季奉公中の見習いが
技量向上を願って寒中に神社や寺に参って
水垢離をとりながら祈る風習)
そして、
こちらの神社のご朱印帳の
表紙にもなっているこの絵。
左下の鳥居をよぉく見てください。
そして、現代。
おぉ~、金箔こそ貼られていませんが
昔のまんまの朱雀と白虎!!!!
そして、
青龍と玄武。
文政4(1821)年に奉納。
裏鳥居の真ん前には
わたしがずーーーっと気になっていた
「播磨屋」が。
そう、皇居周辺でよく見かける
あのトラックを運行している会社です!
(このトラックの三重連を初めて見たときは
本当にタマゲました)
「おかき皇(すめらぎ)」をお土産に買いましたが
さくっと軽い食感で、とってもおいしかったです。
もう少し足を延ばすと
「仙石伯耆守屋敷跡」。
ここには、赤穂浪士たちが泉岳寺から到着したときに
足を洗ったという井戸があったといわれ、
現在はビルのエントランスに「義士洗足の井戸」として
足を洗う義士たちをイメージしたオブジェが作られています。
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上野介の首を打ち取った義士たちが泉岳寺へ向かう途中、
統領大石良雄は副統領格の吉田忠左衛門と富森助右衛門(とみのもりすけえもん)の両名を
大目付仙石伯耆守邸に自首させました。
他の義士たちは泉岳寺で主君の墓前にあだ打ちの報告を済ませた後
ここに出頭し、細川、毛利、松平、水野の四家に預けられました。
「義士洗足の井戸」がビル内にモニュメントとして再現されています。
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そして、この日の締めは
「ホタルノヒカリ」!!
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2019/09/28 22:33:11