「佐野市郷土博物館」をあとにして
向かったのは
「天應(天応)寺」。
参道。
天應寺の高台には、
井伊家の陵墓があり、
歴代領主や
安政の大獄で倒れた
井伊直弼大老の遺髪を納めたお墓もあります。
井伊大老の陵墓は
世田谷の
豪徳寺と
ここ
天應寺の2カ所です。
本堂でお参りをし、
「はて、井伊直弼公のお墓はどこに?」と一瞬思案。
案内看板などは一切ありません。(その方が私はいいと思います)
こういう時は、境内で一番高い所や
格が高そうな場所に目をやります。
..........。
..........。
一目瞭然じゃん。
絶対あの一番上が井伊家の陵墓だっ、
という確信のもと
登り始めます。(ちょっとオーラも感じます)
(本堂建物の脇を通り抜けていこうと思ったら
見事に警報が鳴ってしまいました。
皆さまご注意を)
左上をめざします。
到着。(ちょっと感動)
直弼公、佐野の街を
見守っておられます。(いい景色!)
門をくぐって
一番右側には
彦根藩 第2代藩主「井伊直孝公」のお墓。
(
大坂冬の陣で
真田丸を攻めて
けっこうやられてしまったお方、そして、
招き猫のエピソードの主、ですね)
右から2番めが、
第3代藩主「井伊直澄公」のお墓。
(徳川光圀、徳川家綱とのお茶会のエピソード、
切腹騒動鎮静化のお話など、
直澄公もなかなか機知に富んだお方です)
そして。
一番左に
「彦根藩 第13代藩主 井伊直弼公」のお墓。
井伊家 家紋。
(井伊家伝説の「井戸」の傍らに生えていた
「橘」、ですね)
直弼公の戒名
「宗観院殿柳暁覚翁大居士」の
「宗観院殿」のあとに
「前(さきの)
羽林中郎将」という文字が入っています!!
(実朝殿だけでなく、井伊直弼公も「羽林」と呼べますねっ)
最後におさらい。
【 なぜに、佐野に井伊家のお墓が?? 】
三代将軍家光の時、
外様の佐野氏を江戸に近い佐野に置く事を恐れた江戸幕府は
慶長19年(1614年)、佐野藩の領地を没収。
佐野氏に代わり
彦根藩主井伊直孝が領主になった。
佐野が越名・馬門河岸により江戸に通じていた事や、
東照宮の修造や護衛の任務を負わせる事を考慮された。
このとき天應寺が井伊家の菩提寺になり、
現在の位置に井伊直孝の手により建立された。
その為、井伊直孝は
天應寺中興の祖としてあがめられている。
ブログ一覧 |
神社仏閣 | 日記
Posted at
2022/11/06 17:33:16