本日は寒風吹きすさぶなか、栃木県真岡市「長沼」までドライブ。「鎌倉殿の13人」最終盤でやっと存在感が出てきて中の人の知名度もアップした人物ゆかりの地です。(というか、終盤にやっと気づいてもらえた感じ)「坂東一の暴言王」とも称されるその人の名は長沼宗政。藤原秀郷を祖とする小山政光の次男である宗政が長沼に領地を得て長沼氏を称したのが始まり。宗政の兄・朝政は小山氏、弟・朝光は結城氏を称し、小山・長沼・結城の三兄弟は鎌倉御家人として頼朝にとても近い位置で仕えていました。ただ、宗政は三代将軍・源実朝を「蹴鞠をしたり武芸に劣り女のようだ」と言ったり、しばしば激昂する気性の荒い人物で言葉も悪かったと伝えられ、『吾妻鏡』によると、「荒言悪口の者」と評されています。「悪太郎宗政」の呼び名は文献にも残されています。まずは長沼庄総鎮守である「長沼八幡宮」を参拝しましょう。駐車場に車をとめると何か違和感を感じます。郵便局との境もないし、参道も境界があいまい、敷石なども一切なし。しかも、すんごく長ーーーーい。あとでわかりますが、かつて参道では鎌倉時代から昭和中頃まで流鏑馬が行われていました。宗政は、1207年、御厩(おうまや)奉行(軍馬の管理役)を命じられ、その後、長沼氏は下野国御厩別当職を代々相伝するのです。熟練した馬の専門家の一族だったんですね。参道を振り返る。なんと、「御成敗式目」の条文が書いてある御朱印があるではないですかっっ!!(「承久の乱」で長沼氏は北条泰時軍(東海道軍)に従軍して活躍)これはぜひ、いただかなければ。拝殿の上には、なぜか「プロペラ」が。(社務所で聞くと、満州から持ってきたものだそうで「八八式偵察機」のBMW製プロペラで機体の製造は「川崎航空機」)「弥陀八幡」(旧 本地堂)このあと長沼宗政ゆかりのお寺「宗光寺」と「長沼淡路守宗政」のお墓にお参りに行きます......。(続く)