私の大好きな大河ドラマのひとつ
「新選組!」。
(脚本:三谷幸喜)
今までも、いろいろとゆかりの地を訪ねましたが、
今回は水戸派。
新選組を創った男・
芹沢鴨の生家跡を訪ねます。
まずはメインの
「芹沢鴨 生家跡」へ。
案内の看板もあるので
場所はすぐにわかりますが、
駐車スペースを探してもないので
そのまま、切り通しのようなところを
駆け上がります。
と、止める場所がっ......。
少し先まで走って、Uターンしよ。
画面中央から手前に走ってきました。
なんだか開けていて、いい景色!
すると、眼前には何やら石碑が。
「芹沢城跡」。
あとで行こうと思っていたところに
先に着いちゃいました。
なんだか、めちゃくちゃ気持ちのいい場所。
「生家跡」に戻る前に
村社である
「大宮神社」へ
裏参道からお参りします。
ここは村の鎮守さまなので、
芹沢鴨さん、
そしてご近所にいた
平間重助(壬生浪士組・副長助勤/勘定役)さんは
必ずや参拝していたはずです。
こんな、静かでおだやかな場所にある
村の鎮守さまですが、
この時すでに
上空では、雷が何度も落ちるかのような
戦闘機の爆音・轟音がとどろき渡っています。
(そのたびにビクッとして心臓に悪い感じ。
この周辺で暮らしている人たち、動物たちは
ちょっと気の毒に感じます)
表参道からアプローチ。
(この時も上空には、空気を切り裂く不快な轟音が
何度も繰り返し響き渡っています。
よく観察していると、何機もが同じコースを通り
繰り返し繰り返し爆音を発しているので
「タッチアンドゴー」の訓練でもしている感じ)
(戦闘機は下の地図の緑線のようなルートで
右旋回をし、急速に高度を落としながら
百里基地へと滑り込んでいきます)
芹沢さんの「生家跡」を見学。
以前は蔵などもありましたが
東日本大震災の時に崩れてしまったそう。
今はまったく建物がないようです。
「門」も木製の趣のあるものから
変わってしまっています。
(ちなみに「大塲家屋敷」の隣の裏山にある
「玉造郷校跡」。
訪れ忘れましたが、芹沢さんも通われた郷校です)
上空、相変わらず
飛びまくり。
芹沢家・平間家の菩提寺に行きましょう。
「法眼寺」。
ここも、
本当に気持ちのいい場所です。
(画面中央に向け、着陸を繰り返す戦闘機の爆音を除けば...)
芹沢鴨さんと
平間重助さんの顕彰碑。
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文久3(1863)年9月、
「新選組」は
近藤・土方ら試衛館派が八木邸で
芹沢鴨、平山五郎を暗殺。
平間重助は脱走。
野口健司は12月に切腹。
水戸派は一掃され、
試衛館派が組を掌握し
近藤を頂点とする組織を整備。
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その隣に寄り添うは、
芹沢さんが愛した
お梅さんの顕彰碑。
お梅さん、近年の研究で
汚名をすすがれましたね。
菱屋太兵衛の妾を
芹沢さんが奪ったとされていましたが
菱屋太兵衛は独身だったことが判明。
さらに菱屋は
新選組屯所が置かれた前川の親戚だったこともわかり、
お梅は菱屋の身内だったことが明らかになりました。
お梅さんは実家の菩提寺である
京都・長円寺に埋葬。
行方市の有志により
この
長円寺の墓の土が持ち帰られ、この顕彰碑に埋葬されました。
(あちらでも仲良くしてくださいね)
一番右にいる、平間さん。
芹沢暗殺の際、難を逃れて京を脱出。
どうにか故郷・芹沢村に帰り、
芹沢家に事の顛末を伝えたそうです。
芹沢鴨生家跡のすぐ近くにある
「澤屋商店」。
平間重助さんのご子孫のお店です。
ご主人とお話ししましたが
商店は戦後開業されたとのこと。
いろいろな資料もいただきました。
ありがとうございました!!
八木邸を脱出し故郷に戻った平間さん。
明治になってからは
このお店の裏にあった
離れで隠れ住んだそうです...。
(芹沢暗殺後、
近藤さんの手紙に見える役割表)
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Posted at
2023/03/19 13:41:27