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2023年05月07日

新史料発見に感謝! いざ「伊東甲子太郎」生家跡へ!

新史料発見に感謝! いざ「伊東甲子太郎」生家跡へ! 旧中志筑村(現かすみがうら市)出身で

新選組参謀および文学師範

のち御陵衛士(高台寺党)盟主として

幕末に活躍した

伊東甲子太郎(かしたろう)(1835〜67年)。







長年謎だった

彼の生家がわかる新史料

2020年、

ついに発見されます!



この古絵図、

地図マニア、歴史マニアの心を動かす

実によく描かれたものです。



見た瞬間、

「この絵図をもとに、周辺を散策したい!」

心の底から思っていました。



絵図には

志筑領の武家屋敷の配置が描かれ、

それぞれの屋敷に家臣の名が記されています。


甲子太郎の父・鈴木三四郎の屋敷は陣屋に比較的近く、

西隣には領主の本堂家の侍医だった金子寿仙の名も。


三四郎は、一揆などを取り締まる郷目付(ごうめつけ)

下級武士と考えられていたのですが、

陣屋に近い屋敷の位置からも

侍医と同ランクの中級武士だったことが読み取れますね。



まずは、かつて

志筑藩陣屋があった「志筑城跡」に行きましょう。



「石岡つくば線(県道138号線)」を東に走り、




「旧志筑城移築陣屋門」

(陣屋門が移築されている民家は、
伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎 兄弟の
母方のご実家)




で左折すれば、気分はもう江戸時代。



ちょっと現代とは隔世した感じの

雰囲気が満ちています。

(ワクワクが本当に止まらない!!)



「志筑(しづく)城跡」着。



「志築城」は、

鎌倉時代初期に「下河辺政義」によって

築かれたとされています。

(政義さん、1185年には
平氏討伐の遠征で、兄・行平とともに
源範頼の軍に属して豊後国に渡っていますね)。



1645年に

本堂氏が陣屋を構え、

そのまま明治維新を迎えました。

(戊辰戦争では官軍につきます)



1874(明治7)年には

陣屋跡地に志筑小学校が開校。

校地は2011年に移転しています。



本堂氏は、

中世から近世初頭にかけて

出羽国山本郡(現在の仙北郡)に勢力を有し、

戦国時代後期には本堂城を拠点とする

小大名に成長。


江戸時代には

常陸国志築8,000石を領する旗本(交代寄合)として存続し、

明治維新期の官軍への貢献で加増されて大名となり、

華族(男爵)に列しました。



この「本堂氏」の成り立ちが非常に興味深い!!



流人であった源頼朝には、

伊東祐親の娘(=「八重姫」)との間に

生まれた男子(「千鶴丸」)がいましたが、

祐親によって殺された、という伝承があります。



『寛永諸家系図伝』には、

この男子が猟田平右衛門に養育されて

奥州和賀に住して「和賀の御所」と呼ばれ、

その三男が出羽本堂に住して

本堂氏の祖になった
という家伝を載せています。


まぁ、あくまでも一説です。



シュールな絵づら。





城跡北方の

恋瀬川を望む。











青い空に、青々とした草っぱら。

あーー、気持ちいーー。


加えて貸し切り状態なので

写真を何枚も撮りまくってしまった。



伊東甲子太郎顕彰碑














画面右奥が陣屋跡。




古絵図をもとに

自力で生家跡に行こうとしましたが

すでに案内板が。


この路地を行けば......。




おっ、と思いきや

金子寿仙さん(本堂家の侍医)が住まわれていたお家。

全身麻酔薬通仙散(つうせんさん)を開発した

江戸時代の外科医華岡青洲のお弟子さんです。


表札を見ると。「金子」さんの名が。


現代にまで脈々と息づく

歴史の確かな流れ、に感動。



もう一度絵図を見てください。

門と母屋の位置も一致しています!!



もう少し東に歩けば

いよいよその時がやってきます。

(古絵図でも南に折れる直角のカーブが
描かれています)



じーーん。


しばし佇む。






この絵図は、かすみがうら市在住の市ノ澤家

かすみがうら市歴史博物館に寄贈した

千数百点の資料の中から見つかりました。


市ノ澤家は志筑領の郷士で家臣らと交流があり、

屋敷の配置図が伝わってきたとみられます。

(同家は現在、「ショコロンファーム市ノ澤栗園」
運営されています。
現存する市ノ澤家の門は江戸時代の志筑城遺構です。
今度ぜひ行ってみたい!)
 



金子家方面を眺む。






このあとも

車が入れない路地をズンズン進みます。


ちょっとした

タイムトラベラー気分を味わえますよ。














◆伊東甲子太郎◆
中志筑村(現在のかすみがうら市)の鈴木家に生まれ、
水戸藩で剣術や水戸学を学んだ後、
江戸に出て北辰一刀流の伊東道場主の娘と結婚し、
伊東姓に。

弟の鈴木三木三郎とともに
「甲子」のえとの年に新選組に入隊したため、
甲子太郎と名乗る


勤王思想を持つリーダーとして参謀となり活躍。

佐幕攘夷(じょうい)の近藤勇局長らと意見を異にし、
「御陵衛士」を結成し15人で離脱、
後に「高台寺党」と呼ばれる。

1867年11月、近藤との酒席に呼び出され、
帰り道に新選組隊士によって殺害された。

(実は甲子太郎さん、
お父さんが家老との諍いによって隠居した後、
家督を相続したものの、
後に父の借財が明らかになったことから家名断絶となり、
一家は領外へ追放されています。
その後、水戸へ遊学し、
水戸藩士・金子健四郎に剣術(神道無念流剣術)を学び、
また、水戸学を学んで勤王思想に傾倒していったんですねー)




ブログ一覧 | 歴史 | 日記
Posted at 2023/05/07 15:38:08

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