先日見た
「映像の世紀バタフライエフェクト」の再放送
「零戦 その後の敗者の戦い」。
ちょっと感動したので
忘れないようにMEMO。
(今回は再放送。最初見たときは途中からでした)
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日本の工業技術の粋を集めながら、
最後は特攻という悲劇的な作戦に使われた
海軍の主力戦闘機
「零戦」。
戦後GHQにより
日本の航空産業は解体され、
零戦には火が放たれ研究開発の一切が禁じられた。
すべてを否定された技術者たちは、
戦後の日本のために何ができるか探し続けた。
世界初の胃カメラの実用化、
新幹線の高速運転を可能にした技術、
そして日本の宇宙開発の基礎を築いたロケット。
絶望から立ち上がった技術者たちの物語。
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◆1936年、
九六式艦上戦闘機という
当時としては世界最高レベルの戦闘機を開発した
堀越二郎さん。
その後
「零戦」を開発。
戦後はなんと、
農機具の設計をしていたそう。
(戦後の日本は飛行機の開発は禁止!)
そして訪れたこの時(飛行機開発の
依頼主は通産省)。
零戦の
堀越二郎と
飛燕の設計主任だった
土井武夫は、
戦後日本の最初の旅客機である
YS-11の基本設計を担当。
(2人は
東京帝国大学工学部航空学科の同期)
◆1950年、
世界で初めて胃カメラを開発た
深海正治さん。
終戦4年後、
精密機器メーカーオリンパス工業に来た
東大附属病院のある医師からの依頼は
「胃袋の壁を内側から撮るカメラを作ってほしい」というもの。
(当時胃ガンの死亡率が高く、早期発見が求められていた)
顕微鏡の専門家、杉浦睦夫さんが担当になりましたが、
その助っ人に来たのが
深海正治。
彼は戦時中、
零戦機銃の同調発射装置の研究に従事。
(プロペラに機銃の弾が当たらないようにする装置)
深海さんが描いた胃カメラの設計図は、
零戦機銃の内部を検査する機械にそっくり。
◆
零戦の機体振動を研究していた
松平精さん。
(異常振動により墜落した零戦の原因を解明)
彼は
新幹線開発で振動制御を担当。
◆
陸上爆撃機 銀河を設計した
三木忠直さん。
「銀河」をモデルにしたボディの丸みをもつ
新幹線の車体を設計。
彼は戦争末期、
特攻専用機「桜花」の設計を命じられます。
その言葉は重い。
「本機の使用は愚の愚。
人命を軽んじた非科学的計画。技術は人を幸せにするもの」
◆昭和27年、
サンフランシスコ平和条約により日本は主権を回復。
航空機の生産が可能になりますが
世界はジェットの時代。
そんななか、その先を見据えた研究者が。
宇宙ロケットの開発を
めざした東大教授
糸川英夫さん。
彼は
中島飛行機で隼の担当。
かつて
「栄」エンジンを開発した中川良一(富士精密工業 取締役)さんがバックアップ。
1982年に亡くなった
堀越二郎さんの言葉が身に染みます...。
『零戦を生み出した技術の伝統や技術者魂は、
日本人の中に生きていると思う。
解明されている分野と、
未知の分野との境界線を歩いている技術にこそ
進歩があるわけで、
絶えず失敗を恐れているのではなく、
勇気と挑戦こそが必要でしょうね。』
技術者たちの志の高さ、
熱き技術者魂に
ただただ心を打たれていました。
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Posted at
2023/10/26 22:35:31