「さいたま市立博物館」での第35回企画展「鴻沼」。ずっと行きたかった企画展です。小学生の頃から身近にあった「どぶ川」の印象、「鴻沼川」。しかし、その背景には「縄文海進」(約5千年前)から始まる壮大な歴史が秘められていました。約4千年前、海が後退すると大宮台地周辺は沼だらけに!!現在のさいたま市中央区から桜区にかけて、かつて存在した「鴻沼」(「高沼」とも表記される)は、江戸時代の中頃まで周辺の村の農業用ため池として利用されてきました。幕府の財政再建のため享保13(1728)年から享保15(1730)年にかけ、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の命を受けた井澤弥惣兵衛為永は、見沼とともに鴻沼の干拓および新田開発を行いました。以来、見沼代用水西縁から高沼用水路へ水を取り入れるようになり、およそ280年の間、農業用水としての役割を担いました。沼影村の住民が水の分配をめぐり鹿手袋(この頃の呼び名は「しってぶくろ」)村の住民を襲撃した衝撃の事実が!!!この古文書、訴えから、その返答、解決案までが揃っていますので今度時間があったら全文解読したい。「鈴谷村絵図」。与野市鈴谷にも住んでいた経験がありますので興味深い絵図です。「与野領絵図」。身近な地名ばかり!!このあと「常設展」でも写真をバンバン撮りまくり。「浦和宿」、「大宮宿」、「氷川神社」の昔の姿や、貴重な古写真の数々など今まで知らなかったことが多く大興奮。帰りは再度「大宮氷川神社」へ。「氷川神社」に来たらこの「蛇の池」は必見ですね。まさしく、聖なる地。「見沼」の水源の一つでもあります。