「松虫寺」の創建は
奈良時代の
天平15(743)年。
聖武天皇が
僧行基に命じて
創建されたと伝えられています。
(
「マツムシコーヒー」方面を望む)
アジサイがきれいなお寺です。
(ここに来る途中にも
「あじさい通り」という
両脇に色とりどりのアジサイが咲いている
道路を通ってきました)
寺伝によれば
聖武天皇の御代、
皇女・松虫姫(不破内親王)が重い病を患われ、
不思議な夢のお告げにより
下総に下向、
萩原郷に祀られていた薬師仏に祈ったところ
病気は平癒。
重患平癒したことを喜ばれた天皇は
僧行基に命じて
七仏薬師を謹刻するとともに
一寺を建立。
姫の御名から松虫寺と名付けられました。
自分史上、
最弱の撞き方、最小の音量で
静か―――に
ありがたく
鐘を撞かせていただきました。
現在のご本尊は、
平安後期に改刻された
七仏薬師群像で
藤原彫刻の特色を伝える優像として
昭和34年に
国の重要文化財の指定を受けました。
(現在は保存庫としての役割を担う
「瑠璃光殿」に
木造薬師如来像7躯は安置)
「仁王門」と
「薬師堂」は
江戸時代の
享保3(1718)年に
八代将軍吉宗公の援助を受け
江戸板橋の大工・源太夫によって改築。
「六所神社」。
「薬師堂」の裏手にある
「松虫姫御廟」は姫薨去の際、
遺言によりご遺骨を分けて
埋葬されたものと伝えられています。
「松虫姫神社」へ。
姫君をお祀りするのにふさわしい
華やかさ。
境内の
老銀杏は、
松虫姫帰京の際に記念として
寺庭に挿していかれたものが根付いたものと言われ、
姫君の伝説を今に伝えています。
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【松虫姫伝説】
聖武天皇の皇女松虫姫は難病にかかり、
手の施しようがなく、病臥の日を送っていた。
ある日、
下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、
「東国に下向して祈れば難病もよくなるだろう」との
お告げがあった。
そこで
天皇は姫を牛の背に乗せ、
行基を随って下総に向かった。
下総の印旛にある萩原の地に着くと、
夢に見た薬師堂が在り、姫は祈りを捧げ、
ついにその病に打ち勝ったとされる。
帰京の際、
姫と一緒にやってきた牛は姫だけが帰って行くのを悔やみ、
池に身を投げてしまった。
その池は
牛むぐりの池と呼ばれ、
今でも存在する。
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「松虫寺」に来る途中
「牛むぐりの池」の脇を通りましたが
その名前、その周辺の雰囲気から
「これは何か歴史がある」と感じていましたが
その通りでした。
(
「マツムシコーヒー」の駐車場が見えます)
松虫姫の乳母・杉自(すぎじ)ゆかりの
「杉自塚」へ向かいます。
この雰囲気に
圧倒されます。
歴史の重さが
のしかかってくる感じ。
「
松虫姫の乳母・杉自は
姫が病癒えて奈良の都へ帰っても、この地に残り、
文字や養蚕、はた織り、裁縫など都の技術を里人に伝え、
したわれ
没後、村人はここに塚を建て偲んだ」
乳母の気持ち、
村人たちの気持ち、
そして
松虫姫のお気持ちにも
思いを馳せ、
この
1300年弱のときを積み重ねた空間を
ひたすら味わっていました......。
このあと、
利根町へと向かい
柳田國男が少年時代を過ごした
「柳田國男記念公苑」、
「利根町立歴史民俗資料館」に向かいます。
(少年・柳田國男に神秘体験をもたらしたという、
あの有名な「きれいな玉」の実物(しばらく動けなくなったそう)を
資料館で見てきましたヨ!!)
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2024/06/23 12:13:34