都内で唯一残る
江戸時代に建てられた本陣、「日野宿本陣」。
今の建物は
嘉永2(1849)年正月18日の大火で
焼失してしまった
主屋にかわるものとして建設されました。
幕末に
日野宿の問屋と
日野本郷名主を務めていた
佐藤彦五郎が
本陣兼自宅として
翌元治元(1864)年12月から使用された建物です。
かつてあった
「長屋門」の左側の部屋で
「新選組」の皆さんが稽古していたんだなー。
(いまは
「駐車場」。
大正時代の大火で焼失...)
大火をきっかけに自衛の必要を痛感した
佐藤彦五郎は
八王子千人同心の
井上松五郎から天然理心流を紹介され、
近藤周助に入門し、
自宅に道場も開きました。
佐藤彦五郎は卓越した技量からか
4年後には免許皆伝をとっています。
この
道場には、
やがて
近藤勇や
沖田総司、
山南敬助らが訪れるようになり、
日野出身の土方歳三・井上源三郎らを交えた
新選組と日野の人々との物語の幕が開けられたのです。
まだ、この建物が完成する前のことです。
建物は文久3(1863)年4月に上棟され、
翌年完成。
上棟の少し前、
同じ
文久3年2月には徳川14代将軍家茂が上洛。
その
警護のために
新選組の前身となる浪士組が京都へ向かっています。
この
浪士組に
近藤勇や
土方歳三、
井上源三郎、
沖田総司らが参加。
本陣の建物の準備には
10年に及ぶ歳月を費やしたと言いますから
本陣建設の槌音を聞きながら、
同じ敷地内にあった道場ではのちに新選組になる面々が
木剣の音を鳴り響かせていたことになります。
大きな改変を受けずに現存している
都内で唯一の本陣・脇本陣施設。
中へ入りましょう。
建物は
切妻瓦葺で、
甲州道中では有数の規模。
街道側に入母屋造りの屋根と式台を持つ玄関があり、
本陣建築としての格式を漂わせています。
当初は
最上位の格式の
「上段の間」と「御前の間」がありましたが、
明治時代に移築されています。
18畳の
「広間」!
「土間」。
ぶっとい
大黒柱と
梁。
「式台」。
ケヤキの1枚板の組み合わせ。
「文武両道」っていう意味。
「玄関の間」。10畳。
「控えの間」に。
「ははーーん。
この2つの部屋のどちらかが
土方さんが昼寝をしていた部屋だな......」
と思いつつ、
一番奥の「控えの間」に行くと。
長押(なげし)に、
衝撃の
説明が!!
「市村鉄之助」が
2年間匿われていた部屋...。
突然の出会いで
ちょっと鳥肌が立ちました。
即座に畳に座り、
鉄之助の視線で部屋を見まわします。
どんな気持ちで
ここで過ごしていたんだろう...。
土方さんは五稜郭にて
もう先は長くないと悟り、
この15歳の少年に
自分の写真と遺髪、
300両を託し、
日野へと帰らせます。
(そう、ここにいる、彦五郎さんのもとに行けと)
今、私たちがこの右側のポートレート写真を見られるのも
「市村鉄之助」のおかげ。
どうやって日野まで帰ったか
今まで知りませんでしたが、
アメリカの船を土方さんに手配してもらっていたそうです。
(
陸路じゃ絶対に官軍網を突破できないだろう、という
わたしの積年の疑問が解決!)
「写真」と
「遺髪」を日野に持って行け、という
使命を与えないと
鉄之助も絶対に戦線を離れなかったでしょうね。
土方さんのやさしさが垣間見れます。
(この頃の土方は相当優しくなってます)
大垣藩出身の鉄之助さん、
故郷に戻ってから、わずか2年後に
病気で亡くなってしまいます。
19歳の、若い命。
<この時点では、少々
土方さんの昼寝の場所を探す気分は
吹っ飛んでます。>
畳敷きの廊下を挟んで
「上段の間」。
現状で、一番格式が高い部屋です。
このもう一つ奥に(庭側に)
「御前の間」「上段の間」の2部屋がありました。
この建物には
明治天皇、伊藤博文、三条実美、山岡鉄舟なども
来ています。
「居間」。
新選組からの手紙も
ここで読んだのかなー。
隣は
「仏間」。
「茶の間」。
さて。
一通り内部はすべて拝見し
説明書きもすべて読みましたが、
「土方さんの昼寝の場所」が
どーしてもわかりません。
ガイドさんが戻ってきたようなので
聞いてみました。
「あの、すみません。
土方さんが昼寝をしていたという場所は
どこですか??」
すると、ガイドさん
うれしそうに
「玄関の間」に行くではありませんか。
「土方さんはね、
ここでこうやって
式台の方に足を向けて
(斜めに)寝ていたんですよ。」
土方さんらしいエピソード!!!
なんだか納得でした。
「そしてね。この式台。」とガイドさん。
「1868年3月、
「甲州鎮撫隊」がここに来たとき、
(近藤さんは、すでに大名格)
皆、大歓迎を受けたのですが、
沖田もここに来ていて、みんなに『自分も元気だぞ』、
ということを示すために
この式台の、この高い所で、
しこを踏んで見せたらしいです。」
ん-、
沖田さんが亡くなる
4カ月前ですね。
これも、
沖田さんの皆に対する
やさしさが垣間見れます。
こうした、私の好きな歴史上の人物が
ピンポイントで
確実にここにいた、と確定できる経験は過去にもありまして。
歴史好きの
醍醐味の一つでもあります。
(......続く)
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Posted at
2024/08/25 22:14:12