国宝「鑁阿(ばんな)寺」へ。かつてのエピソードなどすっかり忘れておりました。ちょっと離れた、砂利の駐車場にクルマをとめ「東門」からお参り。「鑁阿寺」は源姓・足利氏2代目義兼が建久7(1196)年、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。「心字池」に寄り添う銀杏。こちらも立派で十分に美しいですが「大銀杏」はこんなもんじゃぁ、ありません。周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000㎡あり鎌倉時代の武家屋敷(平城)の面影を今に伝えており、 大正11年3月、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。国指定重要文化財「鐘楼」。「楼門(山門)」。(足利幕府・13代将軍足利義輝の再建。)両側の仁王像は桃山時代の作。「ご本堂」は鎌倉時代、建久7(1196)年に足利義兼が持仏堂として建立したものをその後足利義氏が方5間の大堂を建立しましたが、1129年の火災で失い、尊氏の父・足利貞氏により正安元(1299)年に再建したもの。鎌倉時代に当時中国の最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様をいち早く取り入れています。密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また、関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財です。ご本尊様は胎蔵内大日如来。申年、未年の守り本尊。後方壇に弘法、興教の二大師、開基・鑁阿上人(足利義兼)像をはじめ、明治維新まで、堀の外に祀ってあった塔頭十二支院の御本尊を安置。「大銀杏」は「ご本堂」の斜め前にそびえています。この大迫力は写真では伝えられません。樹齢約650年!!周囲約10m!!圧倒的な量の黄金色の葉がお見事!!「多宝塔」。(足利義兼の創建と伝えられるが、江戸時代の元禄5(1692)年、徳川5代将軍の母、桂昌院尼公の再建したもの)国指定重要文化財「一切経堂」。寺伝では開基・足利義兼公の創建となっていますが現存の経堂は、1407年に関東管領・足利満兼により再建。内部に八角の輪蔵があり、一切経二千巻余(黄檗版)を蔵しています。グルグル回してきました。(最初は、結構重い!)(このとき、ちょうど「渡良瀬橋」を演奏中!)境内北側には「御霊屋」、「大酉堂」、「大黒堂」など。「西門」から出ましょう。ちびっ子のみんなー。みんなは、足利家の立派な土塁に守られて遊んでいるんだよー♪「北門」に向かいます。お堀の周りの遊歩道もしっかりと「史跡」なんですよ。それほど「昔のまま」ということ。「北門」は「東門」「西門」より装飾多め。お堀の周囲を散策しているとなんともいい気持ちになり、落ち着きます。なんか、土地が持っている記憶やら思いの積み重ねが伝わってくるんですよねー。もっともっと足利を自分の足で歩いていこうと思います!!