「忍者ショー」メインで行った日光江戸村でしたが、白眉は「花魁道中」。見習いの禿(かむろ)や妹分の新造(しんぞう)を引き連れて歩くような遊女を花魁(おいらん)と呼びます。花魁という呼び名は、禿が自分の仕える遊女を指して、「おいらの太夫でありんす」などと言うところを省略し「おいらん」と短くなったのが始まりという説があります。禿を従えるクラスの遊女という意味の、敬称のようなものですね。花魁は引手茶屋を通して「呼び出し」をしなければ会えませんでしたが、呼び出された花魁が禿や新造を従えて遊女屋と引手茶屋・揚屋の間を行き来することを滑り道中(後に花魁道中)と呼びました。「花魁道中」ってランクの高い遊女が、客を迎えに出かけることを指していたんですねー。男性客が階級の高い花魁に会いたいと思った場合、いきなり花魁が働く妓楼に足を運んではいけなかった、とは。(時代劇では、あまり描かれない)男性客はまず引手茶屋に行き、そこで目当ての妓楼に連絡してもらい、お酒を飲みながら、花魁が迎えに来るのを待つのです。遊女は悲しい歴史の一部ですが、江戸の人々を魅了したことも事実。花魁からのご挨拶もありました。浮世を一瞬でも忘れさせてくれる「花魁道中」でした。