18世紀半ば、
人口は100万を超え、
天下泰平の中、
世界有数の大都市へと発展した
江戸。
蔦重こと蔦屋重三郎は、
江戸郊外の
吉原の貧しい庶民の子に生まれ、
幼くして両親と生き別れ、
引手茶屋の養子となります。
(
吉原の「そーゆーお店」の送迎車は
アルファード率高し。しかも黒)
血のつながりをこえた
人のつながりの中で育まれた蔦重は、
貸本屋から身を興して、
その後、書籍の編集・出版業をはじめます。
この、
貸本業が
蔦重の運命を変えたと思います。
多くの本を見て、触り、
直接読者の意見を聞く。
今の
マーケティングでも
この姿勢をおろそかにはできません。
そして、
安永2(1773)年、
吉原五十間道に面した
「蔦屋次郎兵衛店」を間借りし、
本屋「書肆耕書堂」を営むようになります!!
蔦重版の「吉原細見」。
これがまず大ヒット。(今の「ガイドブック」)
これ、
本当に実物がほしい!!
(パンフレット、観光マップもいただけます)
これが見られて、大興奮!!!!!
蔦重版の「吉原細見」の
大ヒットに一役買った、
平賀源内の「序文」。
(ちなみに
源内さんは男色です。
その人が
「女の園もすばらしいよ」というのですから
蔦重のプロデュース力の片鱗が
早くも垣間見れます)
この文章、本当に名文だと思います。
ドラマでも、じ~ンと来ちゃいました。
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「細見嗚呼御江戸」(さいけんああおえど)
女衒、女を見るには法あり。
一に目、二に鼻筋、三に口、四にはえぎわ、
次いで肌は、歯は、となるそうで、
吉原は女をそりゃ念入りに選びます。
とは言え、牙あるものは角なく、
柳の緑には花なく、知恵のあるは醜く、
美しいのに馬鹿あり。
静かな者は張りがなく、
賑やかな者はおきゃんだ。
何もかも揃った女なんて、まあいない。
それどころか、とんでもねえのもいやがんだ。
骨太に毛むくじゃら、
猪首、獅子鼻、棚尻の虫食栗。
ところがよ、
引け四つ木戸の閉まる頃、
これがみな誰かのいい人ってな。
摩訶不思議。世間ってなあ、まぁ広い。
繁盛、繁盛、嗚呼御江戸。
(「べらぼう」第2話より抜粋)
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吉原で懸命に生きる女郎達に対する
尊敬の念さえ感じる文章です。
まなざしが温かい!
もう、テンション
上がりまくっておりますです。はい。
「耕書堂」を営むようになった頃は
時の権力者・田沼意次が創り出した
自由な空気の中、
江戸文化が花開き、
平賀源内など多彩な文人が輩出。
蔦重は、
朋誠堂喜三二などの文化人たちと交流を重ね、
「黄表紙」という
挿絵をふんだんにつかった書籍でヒット作を次々と連発。
33歳で商業の中心地・日本橋に店を構えることになり、
“江戸の出版王”へと成り上がっていくのです...。
蔦重の菩提寺で
このマイクロバス、見ました。
(おばさま方がいっぱい!!)
最後に
「べらぼう」の語源がこれ!!
「へら」の棒は
穀物をつぶす道具、ですもんね!
「べらぼう散歩」、まだまだ続く...。
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Posted at
2025/02/22 17:53:01