2025年08月18日
「戸隠」をあとにして向かったのは
「小林一茶記念館」。
一茶さんといえば
軽妙でユーモアのある俳句のため、
「
実家は裕福で
あまり苦労もなく句作を続け、
いろいろなところを旅していた人」。
....というイメージがありましたがっ!!!
この記念館で
一茶の生涯を知り、
今までの自分の甘さを
大いに反省いたしました!!
今までなんで
彼の映画や
大河ドラマが作られなかったんだろう??
(過去に、流山の
「一茶双樹記念館」や
一茶が10回も訪れた、守谷の
「西林寺」、
49回も訪れた
布川などを訪れ、
一茶の句を味わいましたが、何も背景を知らずに
甘々な態度で鑑賞していました)
小林一茶は、
1763(宝暦13)年、
長野県の北部、
北国街道・柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、
本名を弥太郎といいました。
3歳のとき母が亡くなり、
8歳で新しい母を迎えました。
義母になじめなかった一茶は、
15歳の春、
江戸に奉公に出されます。
(
この継母との関係が最悪。
父親の死後、遺産相続をめぐって
骨肉の争いが10年以上続きます...)
奉公先を転々と変えながら、
20歳を過ぎた頃には、
俳句の道をめざします。
一茶は、
葛飾派三世の溝口素丸、
二六庵 小林竹阿、
今日庵 森田元夢らに師事して
俳句を学びました。
初め、
い橋・菊明・亜堂とも名乗りましたが、
のちに
一茶の俳号を用いるように。
29歳で、
14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、
後に
「寛政三年紀行」を書きます。
30歳から36歳まで、
関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、
ここで知り合った俳人と交流した作品は、
句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版。
一茶は、
39歳のとき
ふるさとに帰って
父の看病をしました。
父は、
一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと
遺言を残して、
1か月ほどで亡くなってしまいます。
このときの様子が、
「父の終焉日記」にまとめられています。
この後、一茶がふるさとに永住するまで、
10年以上にわたって、
継母・弟との財産争いが続きます。
一茶は、
江戸蔵前の札差夏目成美の
句会に入って指導をうける一方、
房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、
生計を立てました。
貧乏と隣り合わせの暮らしでしたが、
俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
50歳の冬、
一茶はふるさとに帰ります。
借家住まいをして遺産交渉を重ね、
翌年ようやく和解しました。
52歳で、28歳の
きくを妻に迎え、
長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、
次々に子どもが生まれましたが、
いずれも幼くして亡くなり、
妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。
一茶はひとりぽっちになりましたが、
再々婚し、
一茶の没後、
妻やをとの間に
次女やたが生まれました。
家庭的にはめ恵まれませんでしたが、
北信濃の門人を訪ねて、
俳句指導や出版活動を行い、
句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、
句文集「おらが春」などをあらわし、
2万句にもおよぶ俳句を残しています。
(
「おらが春」は子供を亡くしたあとの作品なので
背景を知ってから句を読むと、
従来の印象とは違った
重いものが胸に迫ってきます)
1827(文政10)年閏6月1日、
柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、
母屋を失った一茶は、
焼け残りの土蔵に移り住みました。
この年の11月19日、
65歳の生涯をとじました。
あんなにやさしい眼差しで
軽やかな句を詠んでいた
一茶さんの最期は、
窓もない、寒いであろう
焼け残った「土蔵」で迎えたなんて。
松尾芭蕉、
与謝蕪村と並ぶ
江戸時代を代表する俳諧師の一人となった、
一茶さん。
その波乱万丈な生涯を知りましたので、
(脳梗塞にもなりました)
これからは句の読み方、
捉え方が変わります。
豊富な資料と
一茶が実際に使っていた品々を目の前にし、
どっぷりとその生涯に浸り
記念館を出たのは、14時過ぎ。
途中、
「松代パーキングエリア」に寄り
「真田とろろ六文そば」を注文。
Posted at 2025/08/18 22:33:05 | |
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博物館 | 日記
2025年08月16日
忍者に興味がある次女のために
前から行こう、行こうと言っていた
「戸隠流忍法資料館」へ。
(自分自身は、たぶん3回め)
朝5時に出発し、
途中、
パーキングエリアや
道の駅に寄りながら、
信濃町ICで高速を降り
10時頃着。
「道の駅 オアシスおぶせ」。
すんごく気持ちのいい、道の駅!
「小布施」は数十年前に
「北斎館」や
「岩松院」を訪れましたが
大好きな街並みなので、今度また
ゆっくり来よう。
「もろこし街道」を通り、
いざ
「戸隠」へ!
800円の駐車場、
ちょうど1台分空いていました。
お向かいは
戸隠神社直営のお蕎麦屋さん
「奥社の茶屋」。
設計は、
隈研吾さん!
「戸隠神社 奥社」の参道入り口に
後ろ髪をひかれながら...。
「戸隠流忍法資料館」へ。
「手裏剣道場」。
男性用と女性用に分かれています。
わたくし、なんと、
7枚中5枚を見事、的に的中させ
賞品ゲット!! (写真がないっっ)
「日光江戸村」でも
手裏剣道場で賞品(短剣)をいただきました。
時折、
チビ忍者が
空中を行き交います。
か、かわいい♪
「吊り橋」を渡り、
建物全体が動く
「びっくり堂」へ。
さーて、
いよいよ、
ちょっと苦手な
「からくり屋敷」へ。
「日光江戸村」でもそうでしたが、
平衡感覚がなくなる
「斜めの建物」が苦手なんです...。
内部は当然、
撮影禁止。
内部のからくりは
決して子供だまし的なものではなく、
大人でも油断していると
出られません。
(中の部屋には、どうしても出られない人向けの
「ヘルプ電話」が設置されているほど)
「そう来るか―」というからくりが
わかった時の、爽快感や、よし!
「戸隠流忍法資料館」。
この2階で、
衝撃の(⁉)出会い(発見)があります!!
「よう来たな...」
もう、
ワクワクが止まりません。
全部解説を入れたいくらいですが、
キリがないので。
掲載写真も
ごくごく一部です。
またがるタイプの「水蜘蛛」!!
(当初はウサギの皮で製作。
のちにより丈夫なウマの皮で製作)
「秘伝の巻物」出た―――!!!
(
酒の香りや、
あぶり出しなどで
秘伝の文字や
密書が浮き出る部分があるそう)
さて、
最後に
衝撃の
出会いです。
帰りに
この説明板をじっくり読んでいると、
その左側の看板に
こんな文章が。
『この展示資料は、総て
戸隠流忍術三十四代宗家 初見良昭氏より
寄贈されたものである』
は、はすみ、
よしあき、さん???
わたし、
このお方に
偶然お会いしたことがあるんです!!!
なんと、そのお方が
戸隠流のご宗家であったとは!!!
そして、またまたびっくりなのは
戸隠流忍術の創始者が
木曽義仲の家臣であったということ。(文献上の裏付けはなし)
木曽義仲は
埼玉の嵐山で生まれており
身近に感じていました。
今まで何回か来ていたのに
いろいろと深くは勉強していなかったのが
バレバレです。
テンションが上がり続けたまま、
お腹が空いたので
「戸隠そば」をいただきます!
先ほど寄った
戸隠神社直営店は混み込みでしたので、
参道を少し入ったところにある
「奥社前 なおすけ」へ。
(ここは表通りからは隠れているので、ちょっと穴場)
おいしいソフトクリームを食べながら
しばし待ちます...。
参道を行き交う人たちや
参道を舞うちょうちょなどを眺めながら、
快適な気温、そして木立の中、
いい時間を過ごしました。
それほど待たずに入店。
「天ざるそば」をオーダー。
突き出しの
「山くらげ」はお初で、美味!
お蕎麦はもちろんのこと、
岩塩を付けていただく、
アツアツの天ぷらも
めちゃくちゃおいしいです!
(おつゆの追加が最初から出てくるのも Good)
さだまさしさんや、
吉永小百合さんなども
来店されてますね。
Posted at 2025/08/16 14:22:41 | |
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博物館 | 日記
2025年08月15日

先日、
「一瓶塚稲荷神社」「西林寺」
「藤原秀郷公墳墓」の前に行ったのが
佐野ならではの視点で構成した
版本・浮世絵展。
「吉澤記念美術館」の
コレクションを収集した
吉澤家には、
江戸時代中期から蔵書も形成されていました。
儒学書や
歴史書、
画譜や漢詩集などの
学問・文雅関係の書物から、
瀬川!
「読本(よみほん)」を中心とする
絵入小説まで、幅広い内容です。
特に
小説(読本・草双紙)は
近隣の人々にも貸し出されたようで、
汚れや書き込みなどの痕跡が
当時の人々の心の動きを鮮やかに反映しています。
蔦重!
当地(佐野市葛生)にはまた、
幕末明治期の重要な出版人である
万屋兵四郎こと
福田鳴鵞を育みました。
鳴鵞は
信州出身ですが
少年期を葛生で過ごし、
幕末期には
「官板海外新聞」や
「漢訳洋書」の出版を行い、
勝海舟の日記にも頻出します。
【 展示構成 】
(1)浮世絵版画初公開!
豊国、国芳、広重、国貞、国周…
吉澤コレクションには浮世絵もあります!
(2)佐野の人も読んでいた!
京伝と豊国、馬琴と北斎、魯文と芳幾にワクワク♪
(吉澤松堂が少年時代に使った?
蔦重版往来物も登場)
(3)佐野そだちの本屋さん!
万屋兵四郎=福田鳴鵞が刊行した
漢訳洋書で世界にオドロク!
Posted at 2025/08/15 15:19:21 | |
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美術館 | 日記
2025年08月11日
940年、
平貞盛とともに
平将門を討った
「藤原秀郷」。
討伐後、
下野守・武蔵守に任じられ
「佐野氏の祖」とされています。
その
「佐野氏」の分家が
田沼意次で有名な
「田沼氏」。
NHK大河ドラマ『べらぼう』でも
佐野家と田沼家の確執、
意次の子・意知が
江戸城中で
佐野政言に斬り殺される
シーンが印象に残っています。
そんなこんなで
佐野は昔から
よく行っている場所なのですが、
今回は
「藤原秀郷」「田沼家」ゆかりの地を
巡ります。
まずは、
「一瓶塚稲荷神社」。
「一瓶塚稲荷神社」の前身は、
藤原秀郷が
天慶5(942)年に創立した
五社稲荷の一つで、
当初は唐沢山城南の富士村にあったとされています。
文治2(1186)年に、
佐野成俊が
唐沢山城を再興した際に、
城の後口を固めるために
塚を築き、
社殿が創建されました。
(
「一瓶塚」の名の由来は、
こちらの神社を建立する際、氏子の人々が
瓶の中に土を入れてここまで運び、
塚としたことからだそう)
ため息が出るような、彫刻群!
すぐ隣が
「西林寺」なのですが
門前の商店街のレトロさが
ステキすぎて、散策しているうちに
「田沼駅」に着いちゃいました。
クリケット場がそばにあるので
「さのまる」も珍しい姿に。
田沼家のご先祖様が開いた
「西林寺」へ。
なんとここ、
龍馬を斬った、京都見廻組「今井信郎(のぶお)」が
敗走して逃れた場所。
戊辰戦争では
衝鋒隊副隊長として各地を転戦し、
箱館戦争まで戦いました。
(1918年6月、76歳にて亡くなりました)
お寺には
佐野から田沼へとつながる家系図が
残されています。
喫茶店に向かう途中、
偶然見つけた
「田沼家歴代墓所」。
現在では
飛び地のようになっていますが
かつては
広大な境内地だったのでしょう。
「コーヒーハウス ロペ」。
田沼の旧商店街は
早く閉まるところが多く、
なかなかお店が開いてなく
難儀してましたが、いいとこ見っけ!!
フッカフカのソファーに腰を下ろすと、
ぐっと沈み込む感じ。
まさしく
「昭和」。
「ナポリタン」と「サラダ」と
「コーヒー」のセットをば。
キッチンから
ジュージュー
いい音を鳴らしながらやって来ました。
昭和のナポリタン!!
もちろん、味も
文句なしにうまい!!
いやー、いい喫茶店見つけました。
また来ます。
お次は、
ここから車で5分くらいのところにある
「藤原秀郷公墳墓」へ!
ここ、ナビがあっても
迷子になると思います。
でも、この
「住宅街にひっそり」感が
たまりません。
ちょっと荒れています。
没後、
1034年か~。
「将門の胴塚」にも
何度かお参りしましたが、
やはり
墳墓になっていました。
(規模こそ全然小さいですが、
そこから感じられるパワーの強さは
半端ないです。
まだお参りされていない方は、ぜひお参りを)
Posted at 2025/08/12 14:23:07 | |
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神社仏閣 | 日記
2025年08月09日
「上野三碑」を巡ったあとは
「山名八幡宮」へ。
清和源氏・新田義重の子で、
山名氏の祖の山名義範が
安元年間(1175-1177年)に
豊前国(大分県)の宇佐神宮から勧請し、
文治年間(1185-1190年)に
社殿を造営したと伝えられます。
そう、
応仁の乱の際、
西軍の指揮を執った山名宗全の祖が、
山名義範です。
新田氏の祖・義重の子である
山名義範は、
この
山名郷に入り、
山名氏の祖となり、
以後、
源頼朝の右腕として活躍しました。
駐車場から神社へ行こうとすると
そこには線路が。
これは珍しい!
木刀で割った!!
「太刀割ノ石」。
線路をくぐり抜けると、
そこには。
素敵な境内が。
「随神門」のすぐ横に
「パン屋 ピッコリーノ」。
神社の中にあるパン屋さん!
反対側には
和菓子屋「予祝」。
なんだこの境内は。
ワクワクが止まりません。
子宝に恵まれると言われる
「陰陽神木」。
......。
「拝殿」へ。
あ~、本当に気持ちのいい空間。
「授与所」。
御朱印をいただく際に、
ていねいに
鈴払いをしてくださいます。
「山名八幡宮」の
「ご本殿」は、
江戸時代中期、
前橋藩主の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)によって
再建されたもの。
ご本殿を飾る彫刻群は、
明和6(1769)年、
彫刻物師、関口文治郎の手によって彫られたもの。
「裏神様」。
古来より
「疳の虫」「厄」を喰い切る神獣として伝わる
獅子頭。
左側に
「中曽根さん」の名が!
(右側には
「福田さん」の名もありました)
「弁財天」にもお参り。
今度はもっと早い時間に来て
パンを買ったり
ゆったりと境内を満喫しよう。
「ミコカフェ」。
「放課後等デイサービス はちまん」。
現代の生活に寄り添う
すばらしい神社!!
「山名駅」(上信電鉄)も見てみたい。
「山名八幡宮」さん。
周辺散策も合わせ、
リピート決定です!!
Posted at 2025/08/09 18:37:49 | |
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神社仏閣 | 日記