2025年04月06日
「廃墟」や
「廃寺」など
人はなぜ、朽ちゆくものに
心を惹かれるのか?
いろいろな答えがあるでしょうが、
自問してみると
わたしの場合は
「とてつもなく、
そこにいた人の息遣いへの
想像力が掻き立てられる」というところでしょうか。
なんだか、
ぬくもりのようなものも感じられるし
かすかな不安、恐れも感じなくもないですが
それが絶妙なスパイスとなって
その空間にい続けたいという
「安らぎ」を強く感じてしまいます。
熊笹を
かき分けかき分け
進みます...。
命の輝きを見せる
「佐柄見の桜」から
川沿いを歩いていくと
ここにたどり着きます。
いやー
ゾクゾクします。
でも、怖くはないです。
「願成寺」へ。
創建は
宝亀年間(770~781年)。
天慶元(938)年に
藤原秀郷が現在地に境内を移し再興。
その後衰退するも
建長年間(1249~1256年)に領主となった
「佐野源左衛門常世」によって
臨済宗として改宗開山し、境内を整備。
以降、
佐野家の菩提寺として庇護しました。
佐野源左衛門常世は
『鉢木(能の演目)』の話で有名な人物。
当時、
常世は
一族の争いに敗れ、
半士半農の生活を
強いられていました。
ある大雪の日、
1人の僧侶が道に迷い
常世の家に宿を求めました。
常世の家には
暖を取る薪すらありませんでしたが、
先祖から伝わる
「梅、松、桜の鉢植えを薪替わりにして」
僧に暖を取らせてもてなし、
身の上の話の中で
「いざ鎌倉」という時があれば、
たとえ破れた具足、錆びた刀、痩せた馬しか
持ち合わせていなくとも
いち早く駆けつけることを告げたそうです。
しばらくして
鎌倉から召集がかかり
駆けつけてみると、
あの時の僧侶は前執権(8代執権)
「鎌倉幕府の最高実力者・北条時頼」その人で、
常世のもてなしと忠節から
旧領である佐野庄三十余郷だけでなく
「鉢木にちなんで三つの庄
(加賀国の梅田庄、上野国の松井田庄、越中国の桜井庄)
6万3千石を与えたそうです。
現在、
願成寺境内の「釈迦堂」脇の高台に
『常世の墓(宝篋印塔)』があり
「本堂」には位牌が安置、
正雲寺公民館付近が
常世の屋敷跡とされます。
いい所に来られました。
ご朱印拝受。
Posted at 2025/04/06 17:14:08 | |
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神社仏閣 | 日記
2025年04月06日
Posted at 2025/04/06 00:27:19 | |
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自然 | 日記
2025年04月02日
「下野国分尼寺跡」のあとは、
「国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」へ。
当館では、
栃木県内最大級の前方後円墳である
「摩利支天塚(まりしてんづか)古墳」、
「琵琶塚(びわづか)古墳」をはじめ、
周辺の
「飯塚古墳群」から出土した
遺物を展示しています。
「摩利支天塚古墳」へ。
墳丘が100メートルを超える
栃木県内最大級の前方後円墳のひとつ。
6世紀前半の築造。
古代下毛野国の中心地が思川周辺に移った時の、
初代首長のお墓と考えられています。
後円部には、
「摩利支天社」がまつられています。
「琵琶塚古墳」へ。
「摩利支天塚古墳」に続く、
2代目首長のお墓と
考えられている
前方後円墳。
その大きさは
「摩利支天塚古墳」をしのぎ、
つくられた当時は
1,000本もの円筒埴輪が
墳丘の上に並べられていました。
さて。
この日の締めは。
何年も前から入ってみたかったお店。
「ドライブイン扶桑」。
閉店の14時を過ぎていたので
この日はあきらめていたのですが、
店先に
「営業中」の看板を見つけ
喜び勇んで入店!
わたし、
この番組の大ファンでした!
7年も経ったのかぁ~。
注文後、
しばらく待ちますよー。
このお店は、
せっかちな方は行かない方がいいです。
スマホなどを見ながら
しばし待つと。
「ちゃぷん、ちゃぷん」と
不思議な音が近づくので
顔を上げると。
ニコニコ笑顔のおばちゃんが
スープをちょっとずつこぼしながら
「タンメン」を持ってきてくれました。
(
エプロンはビニール製...)
見よっ!!
この野菜の量!!
最初、なかなか麺にはたどり着けませんが、
大満足の一杯です。
おばちゃんとも
いろいろお話させていただきました。
スープも愛情もあふれまくりの「タンメン」、
おいしゅうございました!!
Posted at 2025/04/05 20:12:09 | |
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歴史 | 日記
2025年03月30日
Posted at 2025/03/30 19:59:05 | |
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神社仏閣 | 日記
2025年03月29日
Posted at 2025/03/30 00:29:26 | |
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神社仏閣 | 日記