今日は
ずっといただきたかったご朱印を2つ、
いただけました。
「親鸞聖人旧蹟24輩第1番」
報恩寺。
軒瓦にみな、「報」の字が。
庫裡にてご朱印拝受。
そして
クルマで10分ほどの「大生郷天満宮」へ。
正月飾りやお札・お守りを
お納めしました。
梅の花のつぼみが、ふくらんでました♪

(ピント、ずれずれ)
菅原道真公の御廟所は
いつ来ても落ち着きます。
帰りは、人気店らしい
こちらに寄りましたが、
昼の部は、11:00~14:00でした。
(着いたのは、14:24。
夜の部は、18:00~21:00)
最後は「弘経寺」。
「関東十八檀林」のひとつです。
(今度は、かつての長ーい参道を
向こうから歩いてきたいです)
左から、「薬師堂」、「開山堂」、「経蔵」。
とってもいい雰囲気の「開山堂」ですが。
以前来たときよりも、傷みと傾きが
激しくなっているような。
早く助けてあげたい。
(わたしが大金持ちなら......)
「千姫御廟」へ。
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千姫は慶長2年(1597年)、
徳川家康の孫・
2代将軍秀忠の子として生まれました。
僅か7歳で豊臣秀吉の子
秀頼に嫁ぎ、
豊臣家の滅亡にあたり、
大坂城から救出され江戸へと送られました。
後に
本多忠刻(桑名城主・後に姫路城主)に再嫁し、
1男1女を儲けるが
忠刻とも僅か10年で死別し、
この後は落飾して天寿院(天樹院)と号し、
江戸城北の丸の竹橋の屋敷で余生を送りました。
寛文6年(1666年)に没した千姫は、
徳川家の菩提寺である伝通院に葬られましたが、
落飾したときより当寺を菩提寺と定めていたため、
弘経寺には遺髪が納められたとされておりました。
千姫御廟は、本堂左手奥にあり
平成9年の保存修理により、これまで伝えられてきた遺髪ではなく、
遺骨が納められていたことが判明しております。
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(千姫の御殿を移築した壮麗な「大方丈」がかつてありましたが
明治39年(1906)年に灰燼に帰してしまいました)
Posted at 2017/01/07 21:28:30 | |
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