ずっと行きたいと思っていた彦部(ひこべ)家住宅。
10/31、やっと行くことができました。
彦部家は、なんと1300年も続く家系で
7世紀後半、天武天皇の皇子・高市親王を祖とする旧家。
高市皇子から六代目で臣籍降下し高階姓となり、
高階氏は鎌倉時代に陸奥国斯波郡彦部郷に移り、
彦部姓を名乗ります。
室町時代に彦部氏は足利将軍家に仕え、
永禄4年(1561年)に
広沢の地に屋敷を構えたと伝わります。
桐生市広沢町の手臼山の麓に位置しており、
山裾以外の三方に土塁と堀を設け、
南の大手口に長屋門、
北の搦手口に櫓台を築いた中世の屋敷構えを残しています。
(江戸時代に建てられた
主屋・長屋門・冬住み・文庫倉・穀倉の5棟と
土地20,607.15平方メートルが重要文化財に指定)
早速見学してみましょう。
もうこのファーストコンタクトで
気持ちはMAX。
(代々、長屋門の前には建物などを建てるなと言われていたそうです。
現在のご当主(もちろん、彦部さん)の奥さま談)
受付のインターフォンを鳴らすと
出てこられたのは、現当主の彦部さん。
途中までガイドもしていただきました。
ありがとうございました。
まずは、茅葺・寄棟造の「冬住み(隠居屋)」。
江戸時代中期の建築です。
軒の下が広いのと、明かり取りの欄間が特徴的です。
こちらは水回りの上なので
珍しく竹が葺かれています。
彦部家が源氏の流れをくむ証。
それは、瓦の
三つ巴の細い方が反時計回りになっているだけでなく
必ず一つは、時計回りのものが混ざっていること、だそうです。
どれどれ。
一つだけ、時計回りのがありました。
お次は、茅葺・入母屋造の主屋。(1583年建築とのことです)
主屋・玄関わきにあるトイレ!

(な、なぜ、ここにっ。)
奥座敷で
室町文化の流れを汲んだ
床の間の説明と
(奥座敷のそばにある)おトイレの説明をしていただきました。
(茶の間には、「床の間」の原型となるものがあり、
床の間が発展していく様子もわかります)
元寄宿舎。(昭和初期、機業全盛期の頃の従業員のもの)
「竹ヶ岡八幡宮」
(12世紀、源義国が石清水八幡宮より観請)
に続く、神橋。
斜面を下りてきて
左に「文庫倉」(江戸時代後期)。
右に「穀倉」(安政3年(1856年)の建築)。
(ご当主は、用事でお出かけのため、
倉の説明からは
ご当主の奥さまにバトンタッチしています。)
美しすぎる「からめ手口」!!
石の角が削れているのは、渡良瀬川の河川敷から持ってきたから。
組み方も美しいですね。
(これは周辺の神社やお寺でも似たような組み方が見られます)
(ご当主が小さい頃は、丸太が数本かけてあっただけ、とか)
「櫓台」を上ります。
3つの樹種が合体してます!
「櫓台」からの景色。
左側からくる
桐生氏の動向をチェックしていたようです。
「からめ手口」を外側から。
立派な空堀も。
(昔は当然もっと深いものでした)
帰りのおみやげ。
彦部家の敷地で取れる梅を練り込んだ羊羹。
おいしいですよ!
Posted at 2020/11/01 02:18:59 | |
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