
近頃「鎌倉殿の13人」ゆかりの地を巡っていますが。
今回は鎌倉幕府成立に多大な貢献を果たした
小山氏ゆかりの地を訪ねます。
まずは、小山を代表する古刹
「天翁(てんのう)院」へ。
このあとに散策する
祇園城跡の北端にあり、
小山氏の菩提寺。
久寿2(1155)年、
小山政光の開基といわれます。
小山氏は、平安時代に武蔵国に本領を有し
藤原秀郷の後裔と称した太田氏を出自とする地方豪族。
1150年頃、
小山政光がはじめて
下野国小山に移住して小山氏を名乗りました。
政光は八田宗綱の娘
(後に源頼朝の乳母である寒河尼)を妻とし、
頼朝の信頼が厚く、鎌倉幕府において重用されることとなりました。
(樹齢400年以上のコウヤマキ)
境内は約1万5千坪!!
もとは祇園城の一角にあったため、
境内には現在も土塁や空堀の跡が残っています。
本堂裏には行けませんが、立派な土塁が残っていますね。
今は、ゲートボール場かな?
幅の広い空堀跡。
「祇園城」の堀は深く、巨大なものが多く
必見です。
ご本堂で、ご朱印拝受。
ご朱印をいただくのは、久しぶりだなー。
この、待っている時間も私にとっては
とても大切な時間。
すごく落ち着きます。
ご住職が撮影された
生写真までいただいちゃいました。
ご住職の奥さまに「小山氏累代の墓所」の場所を尋ねます。
(いろいろと細かなお気遣いをいただき
ありがとうございました!!)
向かって、ご本堂の左側、
少し高くなったところです。
「祇園城跡」駐車場に戻り、
お城を探索しましょう!
駐車場の西側にある曲輪、空堀が
いきなり立派なものです。
思川(おもいがわ)沿いの断崖の上にお城はあります。
北側空堀。(鉄塔が邪魔ですけど)深くてダイナミック!
祇園城は、小山の中心市街地にあり、
東西500メートル、南北1200メートルの
広大な規模を誇る城郭。
場内に京都祇園牛頭天王社(現 八坂神社)を
祀ったところからこの名があります。
南へ向かいましょう。
橋の東側。
堀の幅から見て、
浅いなー(埋められたのかなー)と思いましたが
西側は、こんなに深い。
橋の東側の空堀をのぞき込むと
地下に巨大な土管が埋まっていました...。
樹齢900年あまりの大イチョウ。高さ15m。
伝説によると祗園城落城の際、姫が井戸に身を投げ、
後の目印にと側に挿したイチョウの小枝が大きくなり、
姫の霊が龍もり決して実をつけないという「実なし銀杏」、とのこと。
「祇園城」の写真では
この辺が使われることが多いかな。
「祇園橋」(ただいま工事中)。
西側に目を向ければ、そこはもう思川。
増水時には水堀になりますね。
現在、祇園城はあらゆる箇所で
法面崩落防止などの工事中。
小山の中心市街地(はずれ)にありますので、
古木倒壊の危険回避、城址公園の活性化などのためには
致し方ないのでしょうか?
絶賛築城中!! といった雰囲気が味わえました。これも貴重な体験♪
「城山公園」入り口。
思川沿いを南下し、
「小山政光・寒川尼石像」に会いに行きます。
今まで何度か
「小山御殿跡」「小山評定跡」を尋ねましたが
思川側から見ると背後は断崖でした。
(表から見ただけでは「なんだか守りが弱いなー」とずっと思ってました。
古地図で見ると、祇園城の南側を活用して建てられていたんですね)
仲良く並ぶお二人は
63km先の思川の水源を指しています。
遠くに巨大なクレーンがあるところが
祇園城。
このあと、小山氏居城であった
中世の城郭の面影が強く残る
「鷲城跡」と
源頼朝の乳母であり、小山政光の妻、
寒川尼のお墓をお参りに
「称念寺」へと向かいます......。
Posted at 2022/03/16 18:32:15 | |
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