「天平の丘公園」を散策した後は
「下野国庁跡」へ。
初めて訪れた時の
ワクワク感は
今でも覚えています。
少し荒れてるところが
イイんです。
全国的に見て
国庁跡がはっきりと確認されているところは少ないので
貴重な遺跡。
(所在地が確定している国庁:
大宰府、肥前、周防、伯耆、近江、陸奥 etc.)
まずは
「下野国庁跡資料館」で
しっかりおべんきょしましょう。
「下野国庁」は
「東山道」沿いにあったことがわかりますねー。
西に行けば
わたしが好きな
「三毳(みかも)」です。
「下野国分寺」「下野国分尼寺」との位置関係。
発掘時の写真を見ると
コーフンします。
実は
こんな人たちも
「下野国司」だったんです!
・応天門の変で有名な
「伴(ともの)善男」
・学問の神様
「菅原道真」
・平将門の乱を平定した
「藤原秀郷」
夢が広がりますねー。
下野は
「国司館跡」がほぼ確定できる
珍しい場所でもあります。
では、
実際に「下野国庁」の地を踏みしめた、
歴史上の人物は誰でしょう?
・都から東山道を進軍してきた征夷大将軍
「坂上田村麻呂」
・下野の国の印鑑を国司から取り上げた
「平将門」
まさにここ、下野国庁がその歴史の舞台です!
さて、歴史の地を踏みしめましょう。
「前殿」(復元)。
「東脇殿」。
「東門跡」。
出土木簡から
天平元(729)年には実務が始められていたとみられる
下野国庁。
1293年もの
時の流れを
想像します。
「前殿」の後ろにある
「宮目神社」。
ここを発掘すれば
「正殿」が100%確実に出てくるはずです。
Posted at 2022/04/16 21:21:13 | |
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