
先日見た
ETV特集
「昭和天皇が語る 開戦への道 前編 張作霖爆殺事件から日中戦争 1928-1937」。
昭和天皇のぶっちゃけトーク満載で
初代宮内庁長官から
「この話はこのお部屋の中だけの話にしましょうね」と言われるような
戦前の英米に対する意見(批判)、
陸軍の中堅幹部に対する怒り(「下剋上」という言葉が何度も出てきます!)
などなど、歴史好きの方なら
たまらない内容+
戦争へどう突き進んでいったかを整理するには
格好の番組です。
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「昭和天皇が語る 開戦への道 前編 張作霖爆殺事件から日中戦争 1928-1937」
初回放送日: 2021年12月4日
開戦80年の太平洋戦争。
敗戦直後、昭和天皇は戦争への道を詳細に語っていた。
初代宮内庁長官・田島道治の「拝謁記」。
張作霖爆殺事件から続く軍の下克上を止められなかった反省が述べられていた。
さらに今年9月、
天皇の侍従長・百武三郎の日記が公開された。
日中戦争で、和平工作に期待をかけながら全面戦争となり、
苦悩する天皇の姿が克明に記されていた。
2つの新資料から昭和天皇と側近たちの戦争に再現ドラマを交えて迫る。
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「張作霖爆殺事件」の処理を誤り
陸軍の暴走を許してしまった昭和天皇の
深い後悔が伝わってきます。
(この事件後、
田中義一内閣総理大臣は
軍法会議によって容疑者を厳罰に処すべきと
主張していたにもかかわらず、
1929年(昭和4年)6月27日、
関東軍は張作霖爆殺事件とは無関係であったと
昭和天皇に奏上。
天皇は
「お前の最初に言ったことと違うじゃないか」と
田中を直接詰問しました。
このあと奥に入った天皇は
鈴木貫太郎侍従長に対して、
「田中総理の言ふことはちつとも判らぬ。再びきくことは自分は厭だ」との旨を述べました。
これを鈴木が田中に伝えてしまったところ、
田中は涙を流して恐懼し、
7月2日に内閣総辞職。)
さてさて
次回は
後編「日中戦争から真珠湾攻撃 1937-1941」。
すごく楽しみです。
<おまけ>
しかし、
今まで知らなかったのは、
常に昭和天皇の側にあって
補佐する側近的役職の内大臣に就いていた
「牧野伸顕」が
明治維新の立役者、
大久保利通の子ども(次男)だったこと。
11歳で
父や兄とともに
岩倉遣欧使節団に加わって渡米。
吉田茂は娘婿、
寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたるそうです。
もっといろいろと調べたくなりますね。
Posted at 2022/12/09 20:37:51 | |
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