
今日で、ジョンが亡くなって31年目。
月日が経つのは、本当に早いものです。
「ジョンの誕生日が、誕生日。 」
こんなキャッチフレーズで開館したジョン・レノン・ミュージアム。
(今は、もうありません........)
ここに初めて行ったあと、友人あてに書いた
文章が残っていましたので、一部
掲載します。
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「博物館」なんていうと、過去の(偉人さんの)遺物を見て云々、
と思われるでしょうが、さにあらず。
ジョン・レノン・ミュージアムは、そんな「後ろ向き」なものではありませんでした。
オノ・ヨーコが何で20世紀最後に、それもジョンの命日(12/8)ではなく、
ジョンの誕生日にオープンさせたのかがよーく伝わってきました。
3時間以上、大雨の中待って入った価値はありました。
きっと、最後の部屋の「Final Room:Words」に入ったとき(白い光に包まれながら)、
自分の中の「何か」が静かに揺り動かされると思います。
(結構、ウルウルものです。「じわり」と胸のあたりから、
上の方へときてしまうのです)
私の後ろの後ろに並んでいたアメリカ人は、ワシントンから来てました。
周りの日本人と英語で、
「日本でやった、ジョージ・ハリスンとクラプトンのコンサート見た? あれは日本だけなんだぜ」とか、
「この前、ツアーでアビーロードのスタジオ行ってきて、
最終日はポールのコンサートだったんだ」等々、
3時間に渡り、たいへん好ましい会話が繰り広げられていました(参加したかった)。
並んでいたお客さんを見ていて、
「スポーツも世界共通、歌も世界共通のコミュニケーションツール」ということを強く実感しました。
<付録>
・来場者にどう見てもらいたいか?(共同記者会見)
「どう見てもらいたいか、どう伝えたいかではなく、
正直に、私たちが、ジョンが歩んだ緊迫感のある人生を知ってもらいたい。
正直にお見せすれば、それなりの人にはわかってもらえるのでは」オノ・ヨーコ
・なぜ日本で?
「日本はジョン、息子のショーンにとっても重要な場所。
私たちの出会いは東と西の出会いで、その間に橋を作る。
平和のため、国境のない世界という観点からも日本にあってもいいのでは。
ジョンが今いる宇宙から見たら、イギリスでも日本でも大して変わらない。」オノ・ヨーコ
・最後に館長から一言。
「マニアだけのものにしたくない。
ジョンが活躍していたときに生まれていなかった人たちにも、
ジョンの考えを自由に切り取り、受け取ってほしい。」
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Posted at 2011/12/08 21:10:45 | |
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ジョン・レノン | 日記