
おねーちゃんは、部活の合宿。
下の娘は親戚の子と遊びに。
ということで、本日は珍しく
奥さんと二人だけでお出かけ。
まずは、DIC川村記念美術館へ。
ここのレストランでランチのあと、
美術品の数々を拝見。
美術館を堪能したあとは、佐倉の武家屋敷に行こうと思いましたが
私は以前行ったことがあるので、
「仁」の撮影も行われた『旧堀田邸』に行くことに。
(「シンケンジャー」や「坂の上の雲」の撮影にも使われたとか)
旧堀田邸は、佐倉藩最後の藩主であり、
明治維新後に華族となった堀田正倫(まさとも)が
1890年(明治23年)に建てた邸宅。
庭園を伴う明治時代の和風旧大名家邸宅として、今に残る3邸のうちのひとつ。
(先日行った、松戸徳川家の「戸定邸」も、そのうちのひとつ。
もうひとつは「上杉家」のものとボランティアガイドさんがおっしゃってました)
起伏に富んだ自然の地形を生かし、
芝生を植えこんだ明治様式の洋風庭園の中に建てられており、
庭園部分は現在、さくら庭園と呼ばれています。
格式のある玄関。
湯殿は明治44年の東宮殿下(後の大正天皇)の行啓にそなえて増築。
お湯に浸る風呂桶はなく、かけ湯によって入浴したそうです。
屋根の瓦の軽さと、この土台のおかげで
東日本大震災の被害は、ほとんどなかったとのこと。
(壁のコンセントの周辺に1カ所ヒビができたのを見せてもらいました)
往時の堀田邸は、
周辺の堀田家農事試験場(明治時代の千葉県を代表する農業研究機関)などを含め
約3万坪の敷地がありました。
現在の敷地(旧堀田邸・さくら庭園)はその3分の1ほどの広さです。
「仁」では、薩摩藩邸だったんですねー。
もちろん、これらのシーンは、よーく覚えてますよ。
こちらは、川越藩・別邸の設定。
いろいろな欄間がありましたが、
薩摩藩邸のシーンの「座敷棟」入口にあった欄間。
接客に使われる所なので、黒塗りの重厚なもの。
垂直の部材には「二重線」が入っていて「竹の節」を表現しているそう。
座敷棟の釘隠しの意匠は「桐」で統一。
この中の何枚かは、継ぎ目がまったくない
ながーーい1枚板でした。
(写っている長さの2倍以上の長さ)
七宝焼の引き手と印度更沙。
旧堀田邸には、さまざまな意匠の引き手があって飽きさせません。
庭園と百日紅
自然の地形を利用した庭園は、明治期の庭師、伊藤彦右衛門によるもの。
眼下の田園風景や下総台地を借景にした庭園になっており、
今は「さくら庭園」という愛称で親しまれています。
Posted at 2013/08/17 23:30:13 | |
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