
今日は、風速8~10mのなか
越谷をちょこっとドライブ。
『越谷 久伊豆神社』と
『越谷 香取神社』にご参拝。
『越谷 香取神社』では
社務所で
2月16日(日)~3月23日(日)まで
雛人形の展示をしていますよ。
まずは、越谷の「久伊豆神社」です。
創建は平安時代中期と推測され、
江戸時代には鷹狩りの際に
越谷に宿をとっていた徳川の将軍が参拝されたと言われています。
社紋「立葵」は、その際に徳川将軍家より奉納されたと伝えられます。
参道の第三鳥居は、
平成5年に斎行された
伊勢神宮の第61回式年遷宮で撤下された
皇大神宮板垣南御門の古材を拝領したものです。
境内には、県の天然記念物に指定されている
樹齢250年、株回り7メートルの藤があり、
4月末に花の見頃を迎えると、市内外から多くの方が見物に訪れるそうです。
延宝3年(1675)に建てられた手水舎。
かっこいいです。
「登龍門」の彫り物が有名らしいです。
拝殿です。
本殿は寛政元年(1789)に建立。
境内には他に、江戸時代の学者で国学4大人のひとりである
平田篤胤の仮寓跡とされる「松声庵」があります。
本殿の右後ろには
『旧官幣大社 南洋神社鎮座跡地 遥拝殿』という
聞きなれない拝殿が。
『南洋神社』は、昭和15年2月11日
皇紀2600年に際して、
南洋群島の中心地パラオ(現パラオ共和国のコロール島)に、
天照大神を御祭神とする官幣大社として創建されました。
以来、南洋群島に開拓・入植された邦人や
現地住民の方々が篤く崇敬し、
また南方の戦地に赴く部隊・兵士が
武運長久の最期の祈りを捧げた神社として
南洋群島の中心的神社となっていましたが、
昭和20年8月の終戦の結果、
11月17日付外務省告示第11号をもって廃止されました。
その後、社殿等は御焚き上げとなり、
神社の祭祀は、社殿跡地が残るのみとなりました。
この「遥拝殿」は、
旧官幣大社南洋神社を偲び、
かの地で戦没された方々の御霊の鎮魂と
功績顕彰をするための御殿として建立されたものになります。
お次は、越谷の「香取神社」へ。
「久伊豆神社」からは、クルマで5分くらいですかね。
ご本殿の板壁には、
大黒天や高砂の翁・龍など、さまざまな彫刻が施されています。
この壮麗な本殿は、棟札によると慶応2年(1866)の再建、
彫刻師は浅草山谷町・長谷川竹次良で、
この板壁の北面には、川面で布を洗ったり、製品を竹竿にかけて干したりする
紺屋の労働作業を表現した図柄が彫刻されています。
江戸時代、越谷・大沢は、紺屋の盛んな所で、
当時の作業状況を知る貴重な民俗資料といえます。
大雪の影響が、ここにも。
社務所で御朱印を書いていただく間に
雛人形を
ゆっくりと拝見しました。
江戸時代から平成までのお雛様を
約500体以上展示しています。
明治のお雛様。
<「有職雛狩衣姿」の雛人形>
尾張徳川家14代慶勝(よしかつ)夫人となった
貞徳院(ていとくいん)矩姫(かねひめ)所用の有職雛人形を
史上初めて原寸大で復元した内裏雛(だいりびな)一対です。
(「有職雛」とは実際の公家の装束を忠実に写したもので、
江戸時代中期以降、上層階級が人形師に特注で作らせた。
おもに公家社会や大名家で飾られ、近代以降も上層階級に好まれた)
江戸の享保雛。
江戸の享保雛。
ん~~、
来週は、「真壁のひなまつり」に行こうかな~。
天気が良いことを祈ります!
Posted at 2014/02/16 19:24:44 | |
トラックバック(0) |
神社仏閣 | 日記