11月15日は
言わずと知れた「七五三」の日。
「七五三」の由来は、なんと.....。
天和元年(1681年)11月15日に
館林城主である『徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)』の
健康を祈って始まったとされる説が有力なようですね。
でも、徳松さん、
5歳という幼さで亡くなっています。
<延宝8年(1680年)5月、
父・綱吉が4代将軍家綱の継嗣となったため、
2歳で家督を継ぎました>
「館林徳川家」は、綱吉さん、徳松さんの
2代で終わってしまうのです......。
「七五三」だから、というわけではないのですが
明日が最終日のため
本日、『館林市第一資料館』へ
下記の展示を見に行ってきました。
クルマは、館林城・三の丸があった場所に駐車。
館林市制施行60周年記念・館林市立資料館特別展
「徳川綱吉 ―館林城主から将軍へ―」
館林は、江戸時代260年にわたる歴史の中で、
榊原家・徳川家・松平家・秋元家など親藩・譜代の
7家の大名が藩政に携わってきました。
中でも5代将軍徳川綱吉は
寛文元年(1661)に館林25万石の城主になり、参議に任ぜられ、
「館林宰相」と呼ばれました。
この年城修築金として2万両を拝領しており、
本丸に三重櫓や石垣などが整備されたことが
現存する絵図などからうかがえます。
本展示では、徳川綱吉の館林での藩政や
将軍となった後の事績や文化についてご紹介します。
徳川綱吉は家光の四男。
(6歳で家光とは死別しています)
館林宰相とも呼ばれましたが、
実際には、城代が館林におり
ご本人は江戸の神田館に住んでいたようです。
(明暦の大火で竹橋の自邸が焼失したため、
神田にお引越し)
館林城には日光参拝の折に
4、5日間滞在したことがあったに
過ぎなかったみたいですね。
(「徳川綱吉 ―館林城主から将軍へ―」、チラシ中面)
天下の悪法と言われてきた「生類憐みの令」などで
従来、あまり評価が高くなかった綱吉ですが、
近年は、さまざまな史料の研究も進み
「戦国の気風を残した世相を、
生命を大事にする太平の世へと変革した」などと
再評価されつつあるようです。
今回、
自分の目で、彼の「書」と「画」を見ることで
確実に伝わってきたことがあります。
それは、彼の「生真面目さ(=堅さ)」と
本当に「動物好き」なこと。
<自分が丙戌(ひのえいぬ)年生まれだから
「犬」ばかり大切にして
庶民にうとまれたように言われていますが、
実際は病気になった牛馬や捨て子、老人なども
ちゃんと保護するように、という側面もありました。
ま、今の中野区や世田谷区には
かつて本当に『御犬小屋』があって
中野には“10万匹(1日に3,030石ものエサが必要)”もいたそうです。
そこでも飼えない犬は
近隣の農民に飼育のための資金を与えてまで
飼わせたというのですから、
確かに想像を絶するものではありますネ...>
まず、彼の「書」。
(↓これは、今回の展示には入っていませんでしたが)
決して達筆というわけではなく...。(※個人の感想です)
ひと筆ひと筆、非常に几帳面に
ゆっくりと書かれたように感じました。
豪快さ、自由奔放、伸びやかさ、軽やかさなどという言葉とは
正反対の書で、
書かれた言葉からも
儒学・学問を愛した将軍様というのが
よ~く伝わって来ました。
(湯島聖堂を建てたのも、綱吉さんですね)
彼の「画」はと言うと...。
馬を描くのが好きだったみたいですね。
実際に見た「松下走馬図」は
描かれた馬に躍動感もあり、
画を描くのが好きなんだなー、
動物が好きなんだなー、というのが
よくわかります。
(↓これは展示されていませんでしたが
「桜の下のお馬さん」 by 綱吉)
私のお気に入りはコレ↓。
『芦雁図』。
こちらに向かってくる雁の表情と
岸辺で待つ雁の表情。
何とも言えず、愛らしく
動物をやさしい眼差しで見つめる
綱吉の心が伝わってきて
なんだかうれしくなってしまいました。
300年以上前の将軍様の気持ちが
伝わってくる感動!!!
肉眼で、目の前で
じっくりじっくり見られるからこそです。
約2時間、どっぷりと
『綱吉』と『館林』に浸かったあとは
ご朱印をいただきに
館林総鎮守「長良神社」、
綱吉さんが社殿を再建した「雷電神社」
(今回の展示で
1674年の棟札が展示されてたので、なめるように拝見)に
行くのでした......。
Posted at 2014/11/15 22:47:29 | |
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