
昨日、今日と
駆け抜けましたー。
<新市施行10周年記念歴史講座>
春日部の歴史 『古代・中世編』『近世・近代編』を
2日連チャン・合計7時間、
バッチリ聴講。
春日部の古代から近代を
カケヌケマシター。
(小学生たちがペーパークラフトで作った「粕壁宿」)
3/25に発売される新しい市史
『新編 図録 春日部の歴史』の編集委員による歴史講座で
最新の研究結果もレクチャーしていただけます。
【演題・講師】
◆
『春日部の古代 ―考古学から見た武蔵国と下総国―』
高橋 一夫
(MEMO)
・方言と土器の形には関連性がある
・関東にカマドが伝播したのは「5C後半」
・武蔵型と下総型の土器が混ざり合わないのは、
カマドの大きさ(直径)が国によって違うため
・春日部(旧・庄和地区)は「武蔵型」と「下総型」が
混じって出土される貴重な場所
・筑波山南麓には雲母が入っている粘土が
膨大に埋蔵されていて、ここで作られた「常陸型甕」は、
「香取の海」の水運を使い広範囲に出荷されていた。
(下総では独自の甕を作る必要がなくなるほど)
・土器、埴輪づくりには、「粘土」と「薪」の確保が大事。
・今の子どもは「カマド」「すす」を知らないので
土器の説明がしづらい
香取の海。
◆
『春日部の中世 ―春日部氏を中心に―』
武井 尚(ひさし)
(MEMO)
・春日部氏のもとは「紀氏」。(紀貫之とかの「紀」)
・その後、品川の大井に所領をもつ大井氏となり、
大井氏(嫡流)、品河氏、春日部氏、等々に分かれていきます。
・12Cは武士たちの「土地開発」の時期
・太平記にも春日部氏は出てくる。
・南朝側につき、足利尊氏に負け、越後へ逃げ延びたか?
その後、会津へ?
(上杉家文書の中に「春日部氏文書」が入っている!!)
『吾妻鏡』や『後醍醐天皇綸旨写』、『建武記』『太平記絵巻』など
いろんな資料を読みましたー。
◆
『春日部の近世 ―川と道から考え直す春日部の江戸時代―』
白井 哲哉
(MEMO)
・航空写真で「利根大堰」あたりから「東京湾」まで
利根川・江戸川などの流路をダイナミックに俯瞰しました!
これは理解が深まったし、エキサイティング。
・「川の動き」は、ここ20年で考え方が変わってきた。
・中世や戦国時代など、支配関係が複雑なときは
「治水工事」が難しい
・政権が統一されると、大きな治水工事が可能になる⇒
河道が整備されると、支流が減り、本流の水量が増える⇒
川の水量が増えると、水上交通が安定する
・「川を考える」とは、自然、政治、交通を考えること
・「古隅田川」と呼ばれている場所は3カ所あり、
その3つに共通しているのは、かつてはどれも
「武蔵国」と「下総国」の国境になっていたこと。
・関東では、天正18年が近世の始まり。
関西では、信長上洛のとき。
◆
『春日部市の近代 ―近代化時代の市域の学校―』
榊田 武夫
(MEMO)
・明治5(1872)年の学制発布~教育制度の強化~
高等教育の充実と国民精神の強化~
戦時下の学校と総動員体制~国民学校と疎開~
終戦後の学校 などなど、興味深い話が盛りだくさん。
(しかし、戦争へと着々と向かう様子が、
チョッピリ現代と重なり合うようでもあり......)
・明治初期の「学制期」、埼玉の就学率が30%のところ、
粕壁では、76.7%!! (当時の学費:50銭/月)
・戦時中、のちの総理大臣・池田勇人さんのご家族は春日部に疎開してた。
土曜日にはいつも家族のもとを訪れていて
春日部に来るたび、
『今夜はぐっすり眠れるよ』
『春日部に来ると、銀シャリが食べられる』と言っていたそう。
Posted at 2016/02/28 19:42:38 | |
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