「雲巌寺」をあとにして訪れたのは
「笠石神社」さん。
(ここには、芭蕉さんは来てません)
こちらの神社のご神体は
「日本3大古碑」のひとつ、
「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)」。
なな、ナント、
国宝です!!

(説明板より)
鳥居をくぐって
右側に「拝殿」。
左側に摂社。
そして、正面の
「ご本殿」の中に
「国宝」が眠っています。
この国宝、500円の拝観料で
宮司さんのていねいなご説明付き+
“息がかかるほどの至近距離”で
じっくり、じっくり拝見することができます!!
(石碑の撮影は禁止です)
まずは、社務所にて
御朱印を拝受。
そのあと
国宝の拝観を申し込んで
「20分」ほど
座学ターイム!
(けっこう蚊がいますが、
宮司さん、ちゃーんと「虫よけスプレー」を用意してくれていて
貸してくれますよ)
専用パネルも使って学習。
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延宝4年(1676年)、水戸藩領武茂郷小口村(現那珂川町)の
里正(りせい)の大金重貞(おおがねしげさだ)は、
旅の僧・円順から湯津上村内の
草むらに横たわる古碑の話を聞きます。
重貞はその碑を調べ
自身の著作「那須記」に記し、天和3年(1683年)武茂郷を巡幸した
徳川光圀にその書を献上し
光圀の知るところとなりました。
光圀は石碑の保存顕彰のため
元禄4年(1691年)には碑堂の建立を開始し、
同5年には、碑の主を求めて、
日本で最初の学術的な発掘調査を
上・下侍塚古墳(国指定史跡)で行いましたが、
被葬者は明らかになりませんでした。
同年6月には完成した碑堂に自ら参詣しました。
この一連の作業は大金重貞が現地指揮をとり、
光圀の指示は家臣の
佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)を
通じて行われました。
重貞は事の経緯を「笠石御建立起(かさいしごこんりゅうき)」に記しています。
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1687年、
『本邦の碑の中で これより古なるはなし、
奇絶世に冠たり』と
この碑の価値をいち早く見抜いた光圀さんも
立派ですが、
石碑の内容の調査や
石碑に書かれた人物の埋葬地の調査を
きっちりと行った「助さん」も立派です。
(助さん直筆の「調査報告書(もちろん写真で)」を見ましたが
たいへん読みやすく、カッチリした字で
おおらかなお人柄が伝わる筆でした)
(のちに「新井白石」や「青木昆陽」、「松平定信」さんなども
碑文の解読に挑みます...)
お堂の中に顔をのぞき込むと
横から宮司さんが石碑の文字を
懐中電灯で照らしながら
いろいろな説明をしてくださいました。
本当にありがとうございました。
1300年以上の時を経た
石碑の文字一つひとつを
間近で、長い時間見ることができた感動は
なかなか言葉にできません。
写真で見るのとは「まったく」違った
文字の彫り方の繊細さ、
当時の人の息づかいまでが伝わってきて
じ~んときちゃいました。
薬研堀で彫られた文字をずーっと見ていると
凹んでいる文字の部分が
金色の輪郭を伴い
黒く手前に浮き出てくるように見えてきて
なんとも不思議な気分も味わえました。
(わたしが
「石碑の表面がつるつるで、鏡面仕上げのようですねー。
この時代に、すごい技術ですね」と宮司さんに話したところ、
「下の方なら触っていいですよ」と、石碑の下の部分を触らせてくれました。
ありがたいご配慮に感謝します)
帰り際
助さんが調査した古墳(下侍塚古墳)にも行ってきました。
古墳に生えている松は
1692年の発掘調査後、
助さんたちが墳丘が崩れるのを防ぐために
植えたものだそうです。
Posted at 2016/07/14 22:58:36 | |
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