光 あれば
陰 あり。
今まで
行こう行こうと思ってはいたものの
なかなか足が向かなかった場所に
今日こそ行こうと思い立ち、
決行。
「南千住駅」南口を出て、
少し歩けば、
もうそこは、「
回向院」。
1651(慶安4)年に新設された
小塚原刑場での刑死者を供養するため、
1667(寛文7)年に
本所回向院の住職・弟誉義観(ていよ・ぎかん)が
常行堂を創建したことに始まります。
安政の大獄により刑死した
橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎、
鼠小僧、
「毒婦」と言われた高橋お伝など、
歴史上の有名人物も葬られています。
二十一回猛士、
松陰先生。
処刑直後に葬られたのがこのお寺で、
その後、文久3(1863)年に改葬され、
世田谷へ。
江戸の刑場は
北に
小塚原刑場、
南に東海道沿いの鈴ヶ森刑場(東京都品川区南大井)、
西に大和田刑場(八王子市大和田町大和田橋南詰付近)があり、
三大刑場といわれたそうです。
小塚原刑場は、明治6年に廃止されるまで
約20万人が処刑されたといわれています。
(計算すると、1年に1,000人くらいですね)
常磐線、日比谷線の工事をしていた際には
掘るたびに人骨が出てきたそうです......。
明和8(1771)年
『解体新書』の杉田玄白・中川淳庵・前野良沢たちが、
腑分けに立ち会った場所を記念した碑も。
次は、線路をくぐって
「延命寺」へ。
常磐線敷設の際、回向院が南北に分断され、
南側部分が独立して延命寺となっています。
延命寺敷地内には
寛保元(1741)年に建立の、
高さ3.6m余の延命地蔵尊(俗称、首切り地蔵)が。
次に向かうは
「浄閑寺」。
別名、「投込寺」とも呼ばれています。
安政の大地震で亡くなった
新吉原の遊女たちが、
ここに多く葬られたことから
「投込寺」と呼ばれるようになったそうです。
遊女に思いをはせて
この寺に通った
永井荷風の文学碑・筆塚もあります。
1655年の創建から現在までに
投げ込まれたご遺体は約2万5千体。
すべてが遊女という訳ではなく、
火事や地震で亡くなった方々も含まれています。
新吉原総霊塔。
手鏡やアクセサリー、
バタークッキー などなど...........。
『生れては苦界、死しては浄閑寺』
境内から見えた
気になる看板。
「
ワイン食堂 フレール」さんでした。
続く……。
Posted at 2016/12/23 22:21:23 | |
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