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レッズレノンのブログ一覧

2017年06月26日 イイね!

『ハクソー・リッジ』、観ました。

『ハクソー・リッジ』、観ました。

『ハクソー・リッジ』

(Hacksaw Ridge = 直訳で「“弓のこ”の崖」。


日本では

「前田高地」と呼ばれた地。


小学生の頃から

太平洋戦争関連の本は

読んでいたつもりでしたが、

勉強不足で、「前田高地」のことは

知りませんでした...。

(読んだ本、

連合艦隊がらみに偏ってたなぁ~)



映画前半は、ちょっと

「青春ストーリー」的な展開もありますが

後半に向けての布石がたくさん散りばめられています。


そして後半。


臨場感あふれる戦闘シーンは

音も映像も迫力満点で

ぜひぜひ映画館で観るべきです。


観終わったあとは、

体がこわばってしまっていて

肩も張っていました。


それほどすごいシーンの連続。


映画の途中で

「ワッッ」となったり、

「口をあんぐり」とか

普段はしないような行動をしていました。


中1の次女にとっては

初の戦争映画(実写)ですが、

ちょっとショッキングだったかもしれません...。


でも、この映画をきっかけに

いろいろと関心を持って

「戦争」について考えてくれるといいな、と

思っています。


(長女を初めて戦争映画に連れて行ったのは、

回天特別攻撃隊で出撃した若者の姿を描いた『出口のない海』。

小4で、人間魚雷・回天の映画でしたが

考えるものがあったようです。


思えば、主人公の並木浩二は、

海老蔵さんが演じていたんだなぁ...。)


75人の兵士の命を救ったという、

その「救い方」が

私の想像以上のものでした。



子どもの前だから

泣かないように、と思ってはいたんですが......。


まったく不可能でした!!!!!


(日本兵がバタバタ倒れていくのも

観ていてつらかったです)







**********************************************

第2次世界大戦の激戦地

〈ハクソー・リッジ〉で武器を持たずに、

たった1人で75人の命を救った男の

実話から生まれた衝撃作。



銃も手榴弾もナイフさえも、

何ひとつ武器を持たずに

第2次世界大戦の激戦地〈ハクソー・リッジ〉を駆けまわり、

たった1人で75人もの命を救った男がいた。


彼の名は、デズモンド・ドス。


重傷を負って倒れている

敵の兵士に手当てを施したことさえある。


終戦後、良心的兵役拒否者としては、

アメリカ史上初めての名誉勲章が授与された。


なぜ、彼は武器を持つことを拒んだのか?

なんのために、命を救い続けたのか?

いったいどうやって、奇跡を成し遂げたのか?


歴戦の兵士さえひと目見て

言葉を失ったという〈ハクソー・リッジ〉の

真に迫る戦闘シーンが、

“命を奪う戦場で、命を救おうとした”1人の男の

葛藤と強い信念を浮き彫りにしていく─


実話から生まれた衝撃の物語。

**********************************************


関連情報URL : http://hacksawridge.jp/
Posted at 2017/06/26 21:07:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2017年06月25日 イイね!

「棚倉」、ぶらぶら散歩。

「棚倉」、ぶらぶら散歩。

慶応4(1868)年、

板垣退助の率いる新政府軍800名の攻撃を受け

6月24日にわずか1日で落城した「棚倉城」。




奇しくも

落城の日(旧暦)の訪問となりました。



元和元(1622)年、

常陸国古渡より棚倉に移封された

丹羽長重(丹羽長秀の長男)は、

幕府より築城の命を受け寛永元(1624)年、

近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、

翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、寛永4(1627)年に完成しました。






現存する棚倉城唯一の建造物は

「長久寺」山門として用いられている

「南門」のみです。


大砲6門かー。


徒歩で数分の「蓮家寺」へ。


板垣退助も踏みしめたであろう

敷石...。







三春藩とも

ここで交渉したんだなー。





「馬場都々古別(つつこわけ)神社」へ

クルマで向かいます。

陸奥一ノ宮です。

(途中、向井理さんが

「イチゴ大福」を食べるために寄った「甘盛堂」さん、

混んでたなぁ)


ぬぬっ。

どっかで見た建物だっ。


友好都市、川越市の「時の鐘」を模したものでした。

(川越市とは、棚倉藩15代城主・松平康英が
川越藩に国替になった縁で、昭和47年から友好都市を結んでいます)



「馬場都々古別神社」。

鶴瓶さんも来ましたね。


西郷頼母が宮司をしていました。

激動の人生を歩んだ、頼母。

どんな気持ちで過ごしていたのだろう......。




















ご本殿は

国指定重要文化財です(1594年造営)。



ご本殿の後ろに

気になるお社が。


あとで調べたら、東照宮でした。


頼母は、ここでの宮司生活のあと

日光東照宮の禰宜になりますね。

(その時の宮司は、かつての主、

松平容保!!)



棚倉の鎮守さま、「宇迦(うが)神社」に行きましょう。


この門、ちょっと変わってます。

正面には「随身さま2体」、

裏側には「仁王さま2体」がいらっしゃいます。










「長久寺」さんへ。


この山門が

かつての棚倉城「南門」かー。


たしかに、質実剛健な門です。





最後は「八槻都々古別神社」。 (奥州一ノ宮)






1716~1736年再建のご本殿。




ほ、布袋さん⁇





Posted at 2017/06/25 16:28:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2017年06月24日 イイね!

向井理、効果? いま「棚倉」がアツい!!

向井理、効果? いま「棚倉」がアツい!!

20数年前に来た

「棚倉」。

(会社の有志で「ルネサンス棚倉」にて

「テニス合宿」)


最近、

戊辰戦争時の

「岩井」「小山」「今市」「宇都宮」の戦いなんかを

調べていたら、

「棚倉」での戦いも出てきて

いつかまた、棚倉行きたいな~

と思っていました。

(テニスで来たときは、一切観光などなしっ!)


そんな折。


6/19(月)、NHK「家族に乾杯」

向井理さんが

棚倉を訪れていました。

(ロケ日は、4/28)


古い神社や

お不動さんを見てたら、

もう旅心がとまりません。

(町の方々も、なんともあったかい!)


ので、本日は

棚倉へGO!!


まずは、「山本不動尊」から。




大同2年(807年)、

弘法大師が東北行脚の途中に護摩壇を築き、

八溝山系に住む悪鬼を調伏祈願したのが

山本不動尊の始まりです。


向井さんが撞いた鐘。


復興祈願の剣。


向井さんの想い...。






こちらの不動尊、発祥の地、

「奥の院」に行きましょう!






いったん下ってー。


橋を渡り。




わっ。 出たっ。

約130段の急階段!!








力強い「気」がみなぎってますね。






戻ったら、社務所で

ご朱印拝受。













(棚倉の旅は、続きます...)



Posted at 2017/06/24 21:56:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2017年06月18日 イイね!

小さな大大名! 「喜連川足利氏」ゆかりの地を歩く。(2/2)

小さな大大名! 「喜連川足利氏」ゆかりの地を歩く。(2/2)


「喜連川足利氏」の菩提寺、

「龍光寺」へ。





足利家といえば

「二つ引両」。




築堤をめぐらせたなかに

60基ほどの石塔、石灯籠が。






お次は「慈光寺」。


ちびっ子たちが

水路で

のびのびと遊んでいて

ほっこり、ほっこり。




全国的に見ても珍しい

自噴の「突き抜き井戸」があります!






「はやき風カフェ ‐HAYAKIKAZE cafe‐」。

次回、絶対に入ります!


「東漸寺」。

「時宗」のお寺でご朱印いただくのは

初めて。

(こちらの手水もなんと、「突き抜き井戸」でした。
あまりにも普通な感じだったので、写真撮り忘れー...)









ご朱印をいただくときに

お寺の方に

「時宗ではお参りのとき

なんとお唱えすればよいですか?」とお聞きしたところ

「南無阿弥陀仏」で結構ですよ、と言われました。


ご朱印も「南無阿弥陀仏」ですね。


お寺の裏は、きれいな田んぼと

境内に沿って水路がありました。





ここで、ちょっと

Bad News を。


たしか、クルマをとめた

大手門が焼失したのが「明治9年」。

こちらの東漸寺さんが焼けたのも、「明治9年」。


そうなんです!!

むかし、「お城と東漸寺の焼き比べ」といって

どちらが早く焼けるかをかけて

放火をしたオオバカモノがいたそうなんです!!


観光マップとかで

あまり「東漸寺」が出てこないのも

こうしたことが遠因にあるかもしれません。


昔ながらの通りも、裏の田んぼの景色も

境内も、

いい雰囲気なのに...。


はぁ~~~。


さ、気を取り直し

クルマをとめた

喜連川足利氏の館跡へ戻るとしますか。

小学校にも「突き抜き井戸」。




校門には、「寒竹囲い」の生垣もありました。

大正モダンを感じさせる外観
「和い話い(わいわい)広場」で一服して、と。


暑さで疲れた体にしみこむ

「りんごジュース」のおいしさよ。




店内に、何か、違和感、がっ。

(大金庫の扉?)


(大金庫の中の、もろ金庫)


(カウンター?)


この建物、

大正2年に「旧喜連川興業銀行」の本店として建設され、

当時の姿のまま残されているんです。


「紙屋」さんでおみやげ購入。

(現在、仮店舗です)






向かいの「笹屋呉服店」。




Posted at 2017/06/18 14:41:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2017年06月17日 イイね!

小さな大大名! 「喜連川足利氏」ゆかりの地を歩く。(1/2)

小さな大大名! 「喜連川足利氏」ゆかりの地を歩く。(1/2)

あの名門「足利氏」のなかで

唯一、明治維新まで大名格で存続したのが

「喜連川足利家」だということを知る人は

かなりの歴史好きの人でしょう。



今まで何度も通過していた

「喜連川」ですが、

念願の「ブラブラ散歩」をしてきました!


まずは

「さくら市喜連川庁舎(旧喜連川町役場)」に

クルマをとめます。


喜連川足利氏の館跡です。








江戸時代の喜連川藩の石高は

わずか、5,000石。


しかし、江戸城に行けば

座る場所は

大大名と一緒、

時にはその上、ということもあったようです。


「源氏」―「足利尊氏」―

「鎌倉公方」―「古河公方」の流れをくむ

名門だからこそ、です。



館跡の後ろにそびえる山は

かつての「喜連川城」、

いまは「お丸山公園」。


震災の影響で「休業中」の

「お丸山公園」ですが、

途中までは行けます。


絶景です!!


気持ちいいーー。


「喜連川スカイタワー」も休業中。


お次は

「喜連川神社」へ。




お出迎えの巨木に

ただただ圧倒されます。




神々しい光に包まれています。










喜連川・10代藩主が

防火・灌漑・飲用水のために作った「御用堀」を

見に行きましょう。






あとで出てくる「自噴の井戸」なども合わせ

喜連川は、きれいな水に恵まれた

「水の町」という印象をもちました。


「武家屋敷」の塀の面影が残る地域へ。


途中、クランクでテンションが上がったり、


なにかありげな「覆い屋」を見つけて

中をのぞいたら、なかなか立派なお社だったりで





はい、着きました。

「寒竹囲い」。


「板塀」は維持費がかかるんですね。


もうお腹がペコペコなので

神社の方に戻り...。




神社のそばで

お店、発見!


(入るのに勇気がいりましたが
あったかい雰囲気のお店でよかったです!)


このあとは、

喜連川のお寺めぐりです......。






Posted at 2017/06/17 23:47:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

プロフィール

「「平場の月」と「TOKYOタクシー」と。 http://cvw.jp/b/861852/48830481/
何シテル?   12/21 20:11
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
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