今日は越谷寺社巡り。
まずは「金剛院」。
新緑が気持ちいー。
ふだん埼スタに行くときに通る道を
少~し脇に入るだけで
歴史の香りがプンプン漂ってきます。
お次は
本日のメイン、
「浄山寺」。
家康さんが鷹狩りの際、
よく寄っていたそうです。
「鰐口」の直径、
なんと176cm。
「鼻紙朱印状」でも有名です。
こちらのご本尊は
「野島の地蔵尊」として知られており、
平安時代初期、9世紀に遡る作と推定されています。
東日本大震災で両足をき損し転倒したため、
平成24年に解体修理が行われました。
その際の調査で、平安時代初期の古仏であることが判明し、
平成27年3月には県指定有形文化財に指定。
関東でも屈指の古さを誇る木彫仏として貴重なものとのことで、
平成28年3月、重要文化財に指定されることとなりました。
異例のスピード出世(?) です!!
源頼朝の妻政子、
建立の「一乗院」へ。
神奈川御殿の建具があります。
美しいご本堂。
近くにある
「三野宮香取神社」。
「さんのみや」で、
ピクンっとなった人は
かなりの歴史通。
そう、
ここ、三野宮は
日本一の力持ち、
「三ノ宮卯之助」の出身地なのです!!
(とんでもない怪力ぶりっ。
特技は、騎乗した人を乗せた舟を持ち上げる
「人馬舟持ち上げ」)
神社によく行かれる方なら、
どこかで卯之助の力石を見たことがあるのでは??
もちろんここにもありますよ。
真ん中の大きな石、
520kgも持ち上げています!
そして、
謎多き
「写楽」ゆかりのお寺、
「法光寺」へ。
いろいろな資料から考えて、
阿波徳島藩主・蜂須賀家
お抱えの能役者、
斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ)さんで
(ほぼ)決まりじゃないでしょうか。
「法光寺は、元和3年(1617)浅草横山町に創建された
本願寺浅草御堂寺内の一院として創建されました。
明暦3年(1657)の大火(振袖火事)により
浅草御堂とともに焼失しました。
その後、江戸幕府は、
西本願寺に対し八丁堀先の海辺を代地として指定し、
本願寺はその地を埋め立てて御堂を建設しました。
この御堂が現在の西本願寺築地別院の始まりです。
法光寺も別院とともに江戸築地に堂宇を建立しました。
昭和63年(1988)不慮の火災にて本堂を焼失し、
平成5年(1993)現在地(越谷市三野宮)に本堂、
伽藍が建立されました。」
あ、そうそう
果物で有名な
「千疋屋(せんびきや)」も
越谷が発祥ですよー。
Posted at 2018/04/30 17:07:31 | |
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