
日本三大埋蔵金のひとつ、
「結城埋蔵金」。
今回、そのゆかりの地を訪ねました。
(ちなみに他の二つの埋蔵金は
「豊臣秀吉埋蔵金」「徳川埋蔵金」)
まずは、結城城跡へ。
「三日月橋」。
大手口から本丸跡に向かう空掘にかかる
大正6(1917)年建設の石橋。
城址内各所を掘った跡に
架けられたそうです。
【つわもの その①】
日本橋蠣殻町の米相場師で大儲けした「熊倉良助」を資金源に、
約1年、結城城の周辺を掘りまくった『水野 直(なおし)』。
旧・結城藩主 水野家の子、貴族院議員・子爵です。
前祝いとして、
当時結城町家5千軒に「紅白餅」を一重ねずつ配り、
見物人相手の屋台まで出る賑わいであったと言われます。
(結果は、武具が少し見つかった程度、らしい..........)
「本丸」内へ。
このタイムカプセル、
開封されるのは「2041年4月16日」!!!
「結城合戦」で
結城氏朝(11代)・持朝(12代)が敗北・討死し、
結城城が落城した
1441年4月16日から、600年後ですね!
なかなかいい場所にお城はあります。
しかし、素朴な疑問がひとつ。
結城家が鎌倉時代からの名門であるのは知っていますが、
なぜに金の財宝をたくさん持っていたのか?
それは、なんと
奥州藤原氏の黄金!!!!
文治5(1189)年、
「奥州合戦」で源頼朝により
征伐された「奥州藤原氏」。
この戦に、結城朝光(ともみつ)(=結城家初代)は、
父・小山政光とともに従軍。
その活躍ぶりが認められ、
頼朝さんから褒美として
「奥州藤原氏」が蓄財していた
「金銀財宝」を与えられたそうなんです!
【つわもの その②】
『徳川家康』は、
結城城を取り壊す際、「埋蔵金」を掘り起こそうと、
城内の古井戸すべてを掘りますが、発見できず
「今後、結城家埋蔵金を掘り起こすことは相成らぬ』と触れを出した、とのこと。
<結城家の18代は
家康の次男、秀康。
関ヶ原の戦いの後、
結城10万1,000石から
越前北庄68万石に加増移封。
(鎌倉時代からの名門が北陸に
飛ばされてしまったこの事実、
ナンカ、キナクサイ)>
「結城埋蔵金」は
結城家17代・結城晴朝により埋蔵されたとされています...。
(結城家の血筋が絶え、
結城の所領までをも失う衝撃。
結城家再興を願い、財宝を埋蔵したと考えるのは
自然なこと..........かな...)
城内西側には「聰敏神社」。
水野勝成公が祭神です。(旧結城藩水野家初代)
75歳で「島原の乱」に出陣。
水野軍・一番槍!
すごいお方です。
【つわもの その③】
8代将軍『徳川吉宗』は
大岡越前に「結城家埋蔵金」を掘り出すように命じ、
下野国・吉田村的場(結城晴朝の隠居所があったとされる所)で実行しますが、
土砂崩れで11人の死者を出し、失敗に終わります。
【つわもの その④】
幕末の老中『阿部正弘』も
結城市小塙で試みますが、
これも発見できず。
(埋蔵金発見を伝える瓦版。
安政6(1860)年と書かれていますが、
ガセですね)
結城城の北側にある
親鸞さんの奥さま、玉日姫のお墓に
行きましょう。(ココは埋蔵金、関連ナシ)
時刻はちょうど12時。
玉日姫のお墓のそばにある
「たまおか食堂」へ。
いーい
雰囲気です。
ひっさびさに
みかん入りの「冷やし中華」。
おいしかったです!
「埋蔵金の暗号⁉ 金光寺三首の和歌」に
続く..........。
Posted at 2018/08/25 21:47:25 | |
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