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レッズレノンのブログ一覧

2018年09月29日 イイね!

「散り椿」。い~い映画です。

「散り椿」。い~い映画です。こだわりの

オールロケーションによる

美しい時代劇。


事前情報を一切断って

観に行きましたが、

よかったなぁ~~。
















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葉室るみ子さん(故・葉室麟 夫人) コメント


耐える新兵衛の背に、男の真情が見えました。


ひとのやさしさと美しさを描きたい。

夫のその想いを大切に結んだ映画の情景が哀しく胸に迫り、

心を奪われました。


天にも届く感動をありがとうございます。

大切に思う映画に出会えた。それだけで仕合わせです。

**********************************************






「大切に思えるものに出会えれば、

それだけで幸せだと思っております」


 ―― 主人公・瓜生新兵衛





関連情報URL : http://chiritsubaki.jp/
Posted at 2018/09/29 17:14:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2018年09月24日 イイね!

地図・スマホなしで、奥浅草にハマる。(2/2)

地図・スマホなしで、奥浅草にハマる。(2/2)

「吉祥院」を後にし、

「東国寺」をかすりながら

「東本願寺」へ向かいます。







お彼岸だけあり、

とても混雑。


かっぱ橋道具街のすぐ隣なので

「ニイミ洋食器店」の例の

巨大なお顔も見えます。


まさに「巨刹」!!


ご本堂では

お坊さん十数人が

大迫力の法要をされていて、

それを聞いているだけで

「今日はもうこれでいいかな(もうこれで帰ろうかな)」と

満足してしまうほど。



ご本堂から出る際にもらえます。




あげまんじゅう、

とってもおいしかったです!

(お腹も空いていましたので

本当にありがたかったー)


このテーブルに

わざわざお坊さんが来てくれて

ご朱印を書いてくださいます。

(待っている間、もうワンセット、

お茶とあげまんじゅういただきました)





かっぱ橋道具街、楽しい所ですね!

外国の人が来るのも納得。




しばらく歩くと

リアルなカッパさん!!




地図もスマホもなく

何気なくこの角を左折しましたが、

なんとそこはかつて「寛永寺」と

「浅草寺」を結ぶ「将軍の御成道」。


(かつてこの一帯は千束池を埋め立てて田んぼにした場所で

江戸時代には、入谷田圃といわれていたそう。

朝顔の栽培や金魚の養魚が盛んでした)


先ほどのカッパさんは

治水の難工事を手伝ってくれてたんですねぇ。


次なる目的地に向け、北上していると...。

意外な発見。




「秋葉原」の名称の元になった

神社です!

(鉄道敷設に伴い、こちらに移られました)








ここら辺は

もう気まぐれで散策してますが、

戦災をくぐり抜けたような長屋が多くあり

テンションは上がっております!



公園の中の

小さな弁天様。





こういうところも

いつも、くまなく散策します。


しかし、このひと手間が

後々の感激につながります。


(実はここ、かつては広大な敷地を有しており、

あの「たけくらべ」の舞台にもなっていたんです。

関東大震災の焼土処分場となり

埋め尽くされてしまいました)




そして、この近辺は

樋口一葉が暮らしていた場所。




あとで「一葉記念館」には寄ることとして

「鷲(おおとり)神社」を探さなきゃ。

(浅草酉の市、で有名ですね)




かつての「鷲神社」の別当寺、

「長國寺」。







「鷲神社」着きましたー。

(弁天院から歩いてくるとき

この赤い門が遠くから小さく見えたので

助かりました)












今回のお散歩では

実は「吉原神社」「吉原弁財天」「吉原大門跡」

「お歯黒どぶの石垣跡」なんかもめざしていたのですが、

次回に回します。

(ここからすぐそばなんですけどね)



「一葉記念館」に向かいます。

(本当は、「飛不動」に行きたかったのですが

すぐには見つからず、

そのまま歩いていたら

「一葉記念館」に着いちゃいました。

途中、一葉旧居跡の真ん前を通ったのですが

一切気付かずっっ)





すぐそばの「甘味喫茶 たかはし」で腹ごしらえ。




「一葉記念館」では

一葉の、


人間味あふれる


激動の24年を

2時間以上かけて味わってきました!


(上の2軒長屋の左側が

一葉の「荒物・駄菓子屋」。

ここでの生活、子どもたちとの触れ合いが

名作「たけくらべ」に反映されていきます)


このエリアは、かつて

「根岸の里」と呼ばれ、

音無川が流れる閑静な田園地帯。

宮家が隠居所を構える、江戸の別荘地でした。


風流人が愛した町なんですねぇ。



空飛ぶお不動さま「飛不動」さんは

裏道を歩いていて

やっと見つけました。

(思ったよりコンパクトなお寺さんでした)


こちらのお寺、「飛ぶ」に絡めて

飛行機業界の方々、

ゴルフ好きの方々、

(落ちないことから)受験生にも人気だそうです。


極めつけは

「小惑星探査機 はやぶさ」帰還の御利益!!

(2005年12月8日に通信が完全に途絶えた「はやぶさ」。

かなり絶望的な状況の中、

はやぶさ・プロジェクトリーダーの川口淳一郎博士が

飛不動を参拝、お祓いを受けられました。

その後、

2006年1月23日、はやぶさからの電波を受信!!!!!!)









このあと、すぐそばの

一葉旧居跡をじっくり見て、

三ノ輪駅へと帰途に着きます。


(一葉旧居の近くで、偶然、
内海桂子師匠のお家を発見。
いい場所にお住まいです)



Posted at 2018/09/24 10:58:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2018年09月23日 イイね!

地図・スマホなしで、奥浅草にハマる。(1)

地図・スマホなしで、奥浅草にハマる。(1)
本日は

日比谷線・上野駅を降り

ご朱印巡りをして、

三ノ輪駅から帰る予定。



前日に

「江戸切絵図」と「現代地図」を並べて

イメージを膨らませて、と...。



そして、今朝。



自転車で駅に向かう途中、

『スマホを持って来るのを忘れた』 ことに気付き、


切絵図と現代図が並べて見られるガイドブックも

『さんざん見たし、重いから

家に置いておこう』と持って来ず、の

ダブルパンチっ!!



でも、

スマホなしでのお散歩も

なかなかいいものです。



迷子(?)になりながらの散策には

新たな発見があり、

本当に楽しいデス。


人と会話をする機会も

必然的に多くなりますしね。



上野駅を降りて

しばらく歩くと、

早くも

「コリアンタウン(焼肉屋さんがたっくさん!!)」的な

ところに迷い込み、

抜け出すと、こんな感じ。


こんなお稲荷さん、発見。

「地護稲荷神社」。



少し歩くと、

大きな社殿の屋根が見え

正面にまわると、「下谷(したや)神社」。

(予定外の大発見)












ご朱印、拝受(500円)。




意外な発見は楽しいのですが、

最初に行こうと思っていたお寺さんは

まだ見つからず.........。



そろそろ

真面目に探さなければ、と思っていたところ...。


コンクリートの門に目をやると

そこには最初の目的地

「成就院」の文字が!




庫裏で

優しいおばあちゃんとしばしお話しし、

ご朱印を拝受。


御府内八十八ヶ所霊場の地図と

手拭いをいただきました。

ありがとうございました。

(この地図に、目的のお寺1つだけは載ってた...)










次もめざすは

「成就院」。

(最初にお参りしたところは、上野成就院、
次に行くところは、浅草成就院とも呼ばれるみたい)







このご朱印に

ひとめぼれしていました。


昨日、地図で見つけた

北斎のお墓があるお寺の名前が

どうしても思い出せないので

ご住職にお尋ねしたところ、

丁寧に教えてくださいました。

(すぐ近くだった)



「誓教寺」へ。













庫裏の裏を通って、と。



しかし。


狭い墓地を

くまなく探しているつもりでも

なかなか見つからないゾ。


ついには

お墓参りしている方に

北斎さんのお墓はどちらですか? と

聞いてしまいました。





こじんまりとはしていましたが、

見つけたあとは、存在感抜群!


なんせ、彫られている文字が

『画狂老人卍』、ですからね。


向かいの

「吉祥院」へ。




ご朱印拝受。



次は、

「東本願寺」へと向かいます..........。


(途中の「東国寺」さん)






(お参りしようかと思いましたが

古いマンションの中に吸い込まれましたので

ご遠慮しました...)




関連情報URL : http://shitayajinja.or.jp/
Posted at 2018/09/23 20:54:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2018年09月17日 イイね!

土蜘蛛人、またの名を、コロボックル人!!

土蜘蛛人、またの名を、コロボックル人!!

「吉見観音」から

「岩室観音」「吉見百穴」までは

クルマで10分ほど。



ちょっとコワイうわさ話もある

「岩室観音」。




「楼門」2階へ。








ここを登れば

「松山城跡」かな。




ハート型の

胎内くぐりへ!


左手は「鎖」、

右手には「一眼レフ」っ。


う、美しい...。













国指定史跡「吉見百穴」へ。

私が子どもの頃には

「吉見のひゃっけつ」と言っていましたが、

今では、「よしみひゃくあな」。








明治20年頃、

この横穴は

「土蜘蛛人(コロボックル人)の住居」であったという学説が唱えられました。

(東京帝大の人が発表するんですから、

なんとも、のどかな時代です...)





終戦1カ月前、

ここに、

中島飛行機のエンジン製造工場が

完成しました。






遺跡を壊し、

工場の前に平地を確保するために

川も直線に改修。










少し高くなっている所が「棺座」。

遺体を安置する場所です。




山に登ると。


こんな景色が。










本当に光ってます!




三船敏郎さんが撮影に来ていたっ。


スピッツも。



いろーーーーんな歴史をのみ込んでいる

「吉見百穴」。


この日、気温は30度で

山を登ると汗が出てきましたが

軍需工場跡に入れば

そこは天然のクーラー。


とても気持ちよく

快適に過ごせます。


しかし、そこは

かつてたくさんの労働者が

設計図もなしに穴を掘らされていた場所......。



**********************************************

朝日新聞・2017年8月5日・Be4面より抜粋


子規は見ていた 

埼玉県吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡を歩いた。

横穴のなかは、それぞれ違いはあるが3畳程の空間がひろがっていた。

横穴の入り口に重くて大きな石が置かれていたことなどから、

現在ではお墓だったとされているが、

発見された当初はコロボックルの住居だったのではと考える人もいたそうだ。


俳人の正岡子規は吉見百穴を訪れて、次のような句を詠んでいる。 


神の代はかくやありけん冬籠 子規


横穴の一つ一つにコロボックルの夫婦や家族が住んでいる光景を

想像できたことを羨ましく思う。


横穴の住居のなかで冬の寒さを避けて春を待つ。


「春になったらなにをして遊ぼうか?」と母コロボックルが囁く。

「梅が見たい」と子コロボックルが答える。

「花見は混雑するぞ」と父コロボックルが言う。

そして、ゆっくりと春の夢を見ながら家族は揃って睡眠状態に入っていく。

いや、花見が混雑するのは現代だけかもしれない。


子規はどのようにコロボックルの生活を想像しただろう。

過酷なものとみたか、楽しいものとみたか。

そこには、おのずと自身の経験が反映されたことだろう。


雅号の「子規」とはホトトギスの異称で、

中国の伝説に「血を吐くまで鳴いたから

ホトトギスのくちばしは赤い」というような話があり、

そこに結核のため喀血した自分を重ねて名付けたそうだ。


そう考えると、横穴のなかで長い冬を耐えるコロボックルの感情や、

春になり世界を自由に動ける解放感は

決してよそ事では無かっただろう。

というのは考え過ぎだろうか。


吉見百穴の下には、

太平洋戦争中に地下軍需工場を建設するために掘られた

大きなトンネルが残っている。

全国から集められた3千人以上の労働者によって

短い期間で掘られたそうだ。


その巨大な穴から想像される光景は過酷な労働そのものだ。


我々は様々な事象に触れて、なにかを想像することができる。

街の灯りで人々の生活を想い、

吉見百穴でコロボックルの営みや古代の理葬に想いをめぐらせる。

そして、トンネルを見て過酷な労働を。


僕が訪れたのは暑い夏の日だったが、

軍需工場跡の穴からは涼しい風が吹き続けていた。


(芥川賞作家・お笑い芸人 又吉直樹)

**********************************************


Posted at 2018/09/17 19:57:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2018年09月17日 イイね!

とっても癒される「安楽寺(吉見観音)」。

とっても癒される「安楽寺(吉見観音)」。


わたくし、

神社仏閣めぐりが大好きなもので

「関東十八檀林」の他に、


「親鸞二十四輩」
なども回っております。


そして、

私の大好物、「塔」めぐりも。


<関東の塔・一覧>(太字は参拝済み)


【東京都の塔】

本門寺・五重塔(桃山時代)

本門寺・宝塔(江戸時代後期)

寛永寺・五重塔 (江戸時代初期)

浅草寺・五重塔(昭和48年)

椿山荘・三重塔(江戸時代初期)

よみうりランド(旧 播磨無量寿院)多宝塔(桃山時代初期)


【埼玉県の塔】

安楽寺(吉見観音)三重塔(江戸時代初期)←今回はココ‼

成就院・三重塔(江戸時代中期)

西福寺(百観音)三重塔(江戸時代初期)

金鑚神社多宝塔(室町時代)

喜多院(川越大師)多宝塔(江戸時代初期)

狭山不動尊東塔・多宝塔(桃山時代)

狭山不動尊西塔・多宝塔(室町時代)


【茨城県の塔】

小山寺(富谷観音)三重塔(室町時代)

薬王院(椎尾薬師)三重塔(江戸時代初期)

願成寺(板橋不動尊)三重塔(江戸時代中期)

来迎院多宝塔(室町時代)

楽法寺(雨引観音)多宝塔     


【栃木県の塔】

東照宮・五重塔(江戸時代後期)

輪王寺(四本竜寺)三重塔(江戸時代初期)

輪王寺・相輪塔

西明寺・三重塔(室町時代)

高勝寺(岩舟地蔵尊)三重塔(江戸時代中期)

鑁阿寺(大日堂)多宝塔(江戸時代初期)


【群馬県の塔】

榛名神社・三重塔(明治2年)

水沢寺・六角二重塔(江戸時代中期)


【千葉県の塔】

法華経寺・五重塔(江戸時代初期)

新勝寺(成田不動尊)三重塔(江戸時代後期)

新勝寺・大塔(昭和59年)

観音教寺(芝山仁王尊)三重塔(江戸時代後期)

石堂寺・多宝塔(室町時代)

那古寺・多宝塔(江戸時代中期)


【神奈川県の塔】

三渓園(旧 燈明寺)三重塔(室町時代)

龍口寺・五重塔(明治43年)

最乗寺・多宝塔(江戸時代後期)

     


しかし、

なんで今まで来なかったのだろう。

安楽寺(吉見観音)」。


緑豊かな空間で

お花が所々に

何気なく飾られている境内が

とても素敵です。


(ここは、実は

源頼朝の弟、

源範頼にゆかりのあるお寺でもあります。

近くにある「息障院」は

彼の館跡と言われています。)


「木曽義仲・産湯の清水」なども

ここからそんなに遠くはない所にあります...。

















ご本堂の右側に

美しい「三重塔」!!
















ご朱印を

いただきましょう。
















名残惜しいけれど

このあと、「岩室観音」、「吉見百穴」に行くので

再訪を誓い、吉見観音をあとに......。



11:20。

お腹空いたーー。


参道にある

「厄除けだんご・どびんや」さんへ。












ざるうどんをいただきます。




追加で

あまからの「厄除けだんご」も。


ゆずみそ、辛みそを試食して

どちらも激うまだったのですが、

お土産には「辛みそ」をチョイス。

(東松山名物の「やきとり」に使う味噌です)




Posted at 2018/09/17 16:51:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

プロフィール

「「佐野」の中の「田沼」を歩く。そして「藤原秀郷公墳墓」へ! http://cvw.jp/b/861852/48595431/
何シテル?   08/12 14:23
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
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