「吉見観音」から
「岩室観音」「吉見百穴」までは
クルマで10分ほど。
ちょっとコワイうわさ話もある
「岩室観音」。
「楼門」2階へ。
ここを登れば
「松山城跡」かな。
ハート型の
胎内くぐりへ!
左手は「鎖」、
右手には「一眼レフ」っ。
う、美しい...。
国指定史跡「吉見百穴」へ。
私が子どもの頃には
「吉見の
ひゃっけつ」と言っていましたが、
今では、「よしみ
ひゃくあな」。
明治20年頃、
この横穴は
「土蜘蛛人(コロボックル人)の住居」であったという学説が唱えられました。
(東京帝大の人が発表するんですから、
なんとも、のどかな時代です...)
終戦1カ月前、
ここに、
中島飛行機のエンジン製造工場が
完成しました。
遺跡を壊し、
工場の前に平地を確保するために
川も直線に改修。
少し高くなっている所が「棺座」。
遺体を安置する場所です。
山に登ると。
こんな景色が。
本当に光ってます!
三船敏郎さんが撮影に来ていたっ。
スピッツも。
いろーーーーんな歴史をのみ込んでいる
「吉見百穴」。
この日、気温は30度で
山を登ると汗が出てきましたが
軍需工場跡に入れば
そこは天然のクーラー。
とても気持ちよく
快適に過ごせます。
しかし、そこは
かつてたくさんの労働者が
設計図もなしに穴を掘らされていた場所......。
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朝日新聞・2017年8月5日・Be4面より抜粋
子規は見ていた
埼玉県吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡を歩いた。
横穴のなかは、それぞれ違いはあるが3畳程の空間がひろがっていた。
横穴の入り口に重くて大きな石が置かれていたことなどから、
現在ではお墓だったとされているが、
発見された当初はコロボックルの住居だったのではと考える人もいたそうだ。
俳人の正岡子規は吉見百穴を訪れて、次のような句を詠んでいる。
神の代はかくやありけん冬籠 子規
横穴の一つ一つにコロボックルの夫婦や家族が住んでいる光景を
想像できたことを羨ましく思う。
横穴の住居のなかで冬の寒さを避けて春を待つ。
「春になったらなにをして遊ぼうか?」と母コロボックルが囁く。
「梅が見たい」と子コロボックルが答える。
「花見は混雑するぞ」と父コロボックルが言う。
そして、ゆっくりと春の夢を見ながら家族は揃って睡眠状態に入っていく。
いや、花見が混雑するのは現代だけかもしれない。
子規はどのようにコロボックルの生活を想像しただろう。
過酷なものとみたか、楽しいものとみたか。
そこには、おのずと自身の経験が反映されたことだろう。
雅号の「子規」とはホトトギスの異称で、
中国の伝説に「血を吐くまで鳴いたから
ホトトギスのくちばしは赤い」というような話があり、
そこに結核のため喀血した自分を重ねて名付けたそうだ。
そう考えると、横穴のなかで長い冬を耐えるコロボックルの感情や、
春になり世界を自由に動ける解放感は
決してよそ事では無かっただろう。
というのは考え過ぎだろうか。
吉見百穴の下には、
太平洋戦争中に地下軍需工場を建設するために掘られた
大きなトンネルが残っている。
全国から集められた3千人以上の労働者によって
短い期間で掘られたそうだ。
その巨大な穴から想像される光景は過酷な労働そのものだ。
我々は様々な事象に触れて、なにかを想像することができる。
街の灯りで人々の生活を想い、
吉見百穴でコロボックルの営みや古代の理葬に想いをめぐらせる。
そして、トンネルを見て過酷な労働を。
僕が訪れたのは暑い夏の日だったが、
軍需工場跡の穴からは涼しい風が吹き続けていた。
(芥川賞作家・お笑い芸人 又吉直樹)
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Posted at 2018/09/17 19:57:23 | |
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