12/16(日)。
向島文化サロン
【吉原開基400年 花開く遊郭文化の光と影】に参加しました。
「東武博物館ホール」へ。
講師の先生はなんと、
渡辺憲司先生!!!!!
(2011年3月、立教新座高等学校の卒業式が中止となったため、
卒業生へのメッセージをインターネット上に公開したところ、
Twitterをはじめとするインターネット上で話題となり、
3月16日の一日だけで30万ページビューを数え、
合計で80万回以上の接続数を記録した。
老若男女がこの卒業生へのメッセージに感動・感謝し、
渡辺に反響の声を寄せているとされる。)
あの、心を揺さぶる文章を書かれた方が
目の前にいる感動。
(全然知らずに参加しました)
しかも、
とってもおもしろい方でお話上手。
そのギャップが
とっても魅力的でした。
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幕府が開かれた当時の江戸は、新都市建設のラッシュ。
蟻の如く集まった男たちと
湯女を初めとする
勝手気ままな女達との間で買売春が横行しました。
鉱山の自由という言葉がありますが、
まさに「江戸の自由」が展開したのです。
元吉原は
この放埓自由な風俗を取り締まることを理由に始まります。
しかし、この請願にはなかなか幕府の許可が出ませんでした。
慶長10年(1605年)に最初の請願が出てから、
ようやく幕府の認可が下りたのは、元和3年(1617年)です。
遊女屋の売春への自己規制と
武士の倫理の範となるべき天下の江戸で
公然と遊郭を設置することに対する
幕府のためらいがこの12年間にあったのです。
多くの地方の城下でも、
武士が公然と遊郭に通うなどと云うことは許されていません。
昭和20年敗戦の日から、
5日後に政府の命令で遊郭が復活しました。
それが近代の倫理です。
派兵の下に慰安婦を置くことが常態化するなどとは、
富国強兵のたどった倫理の劣化です。
近代は論を待たず
弱者の犠牲を先行させて歴史を刻んだのです。
ここに文化は生まれません。
苦界10年、遊女は縛られたとするのが通説です。
しかし吉原開基当時の年季は3年、
幾分かの自由意思も認められていたのです。
その故にこそ、張りと粋の文化が生まれたのです。
元吉原の命運は短く、
明暦3年までの40年間で幕を閉じました。
吉原開基について考えることは、
遊郭文化の根源を考えることです。
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<MEMO>
・元禄の頃、遊郭で「自由にさせていただきます」は
「トイレに行きます」の意味
・明治の頃、liberty を「自由」と訳すか「自立」とするかで迷った
・「遊郭」は鉱山と同じ構造
・鉱山労働者には、キリシタン、思想犯が多い(=誰でも働ける)
・帯広刑務所は、住民が450人のところ、受刑者・1500人
・「六花亭」の包装紙は、坂本龍馬の子孫・坂本直行さんのデザイン
Posted at 2018/12/24 15:18:35 | |
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