関東十八檀林、第13弾は、
千葉市にある
「大巌寺」へ。
【 関東十八檀林 】 (太字は参拝済み)
<武蔵国>
増上寺(東京都港区)
伝通院(東京都文京区)
霊巌寺(東京都江東区)
霊山寺(東京都墨田区)
幡随院(東京都小金井市)…昭和15年(1940年)、浅草神吉町より移転。
蓮馨寺(埼玉県川越市)
勝願寺(埼玉県鴻巣市)
大善寺(東京都八王子市)
浄国寺(埼玉県さいたま市岩槻区)
<相模国>
光明寺(神奈川県鎌倉市)
<下総国>
弘経寺(茨城県結城市)
東漸寺(千葉県松戸市)
大巌寺(千葉県千葉市) ←今回はココ‼
弘経寺(茨城県常総市)
<上野国>
大光院(群馬県太田市)
善導寺(群馬県館林市)
<常陸国>
常福寺(茨城県那珂市)
大念寺(茨城県稲敷市)
淑徳大学の創立者が
大巌寺の住職をされていた関係で、
淑徳大学千葉キャンパスは
本寺の敷地を利用して建てられています。
少し足を延ばせば
小弓公方(おゆみくぼう)の本拠地
小弓城もあるのですが、
時間がなかったので
後日訪問予定。
(近くにある地名「生実」も
「おゆみ」と読みます)
「大巌寺」は、
天文20(1551)年、
千葉氏六党の第一、原胤栄(たねひで)夫妻を開基に、
道誉貞把上人が開山となり創建された学問寺。
境内にはかつて
数万羽の川鵜が生息しており
「鵜の森」として千葉県の天然記念物にも指定されていたそう。
(戦後に激減・消滅し、1974年に指定解除)
2代目住職・安誉虎角上人は
徳川家康とも親交があり、
関東の寺院のなかではもっとも早い時期に
家康と関係をもっています。
今回、「宝物殿」で
家康の書状も何点か見てきました!
(天正18(1590)年5月23日および25日付の家康書状、
同年7月28日付の家康寺領安堵状など、
いずれも家康の江戸入国以前の諸史料!!)
ミニ企画展
「関東十八檀林めぐり」。
これを見たくて
タイミングを合わせてきました。
とっても勉強になるー。
ご本堂。
川鵜!!
「不動堂」。
当寺の開山・道誉貞把上人(増上寺九世)の
不動明王にまつわるエピソードはスゴイですヨ。
************************************************
道誉上人は和泉国の生まれで13歳で出家したが、生来愚鈍であった。
しかし道心深く、17歳のとき関東修学を志し、
下総国 飯沼弘経寺で修行を積み帰郷した。
ところが上人が高座に登って説法を始めると、
ことばに詰まり、顔を真赤にして高座からころがり落ちたので、
聴衆はこの様子に落たんし、中には嘲笑する者さえ出る始末であった。
そこで上人は再び研鑽を志し関東に向かった。
その旅の途中、
かねてから成田不動尊の霊験あらたかなることを聞いていたので、
参籠を企て二十一日間(百日ともいう)
己が鈍才が改まるようにと断食をなし、心から祈願をした。
満願の夜、夢に不動明王が現れ、
右手には利剣を、左手にはさびた剣をさげて、
「汝もし志願を達せんとするならば、剣を呑了せよ。
この二剣のうち何れを呑まんとするや」と問うた。
上人が「利剣を呑まん」と答えると、
不動明王は利剣を振って上人ののどを切り裂いた。
上人は一升あまりも血を吐いて悶絶してしまった。
夜が明けて寺僧が参籠堂の前を通りかかると、
中に衣を血に染めて倒れている道誉上人の姿を発見した。
寺僧は大いに驚き、人を呼んで上人を介抱し、
湯薬を与えて手当てを施した。
寺僧は上人より事情を聞き、今更のように不動明王の霊験に驚き、
壇上の本尊を仰ぐと、その剣に血がついていた。
こののち上人は、生まれかわったように賢くなり、
弁舌爽やかで、説法を聞く者は皆ことごとく深い感銘を受けた。
こうした因縁から、道誉上人は当寺創建後、
成田不動尊の分身を勧請して安置したといわれ、
「開運増慧」の不動尊として庶民の信仰を集め今日にいたっている。
************************************************
工事中の「書院」脇にて
ご朱印拝受。
なんと、
『関東十八檀林ガイドブック』(800円)があったので
即刻購入。
大満足の内容ですが、
今までお参りした関東十八檀林では
案内さえも見たことがなかったなー。
ご朱印をいただいている間
お寺の方とお話をしましたが、
「関東十八檀林を回っているなんて
珍しいですねー」と言われてしまいました。
江戸時代にも、
関東十八檀林のガイドブックはあったのですが、
現代では知名度が低いようですね。
(わたし的には、お参りするたびにワクワクしますが)
江戸時代、浄土宗の僧侶になるためには
たとえ九州の人でも関東に来て、
十八檀林で15年間勉強しなければなりませんでした。
(江戸後期には、8年に短縮)
地元のお寺で小僧生活を送ったあと
15歳で関東十八檀林の学寮に入るので
30歳でやっと住職になれる計算です。
淑徳大学を眺めながら
江戸時代の青年たちに
想いを馳せます...。
Posted at 2021/05/22 23:12:33 | |
トラックバック(0) |
神社仏閣 | 日記