「館林市第一資料館」で9/20まで行っている
「時代を変えた大いくさー徳川政権の誕生・終焉と秋元家ー」。
館林藩が
「大坂の陣」、「関ケ原の戦い」、「戊辰戦争」で果たした役割が
よーくわかりました。
しかし、
館林藩。
初代藩主は
徳川四天王の一人、
榊原康政。
6代藩主は、なんと
5代将軍・
徳川 綱吉です。
大坂冬の陣では
「真田丸」の真正面に陣取り、
夏の陣後の残党狩りでも功を成し、
家康から「無之字槍」を
拝領しています。
(本当に美しい槍!)
土木建築にも長けており
日光東照宮の造営奉行や
江戸城三の丸造営にも携わっています。
藩主は老中や寺社奉行など、幕府要職を歴任......。
そんな、名門・館林藩ですが
戊辰戦争では、新政府軍についてしまいます!!
なんでだぁーーー。
(ま、館林藩最後から2番目の藩主が
毛利家の出身だったため、禁門の変後
幕府から内通の嫌疑を受け、強制的に隠居させられましたので
この影響は大でしょうなー)
会津戦争で
会津城の大砲から撃たれた「天保銭」。
弾が尽きてもなお戦う姿勢.....。
皆さんはこれを見て
何を感じますか?
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江戸時代後期に館林藩主を務めた譜代大名、
秋元家の武具などを展示する収蔵資料展
「時代を変えた大いくさ−徳川政権の誕生・終焉(しゅうえん)と秋元家」が、
館林市城町にある市立図書館内の市第一資料館で開かれている。
秋元泰朝が大坂の陣の際に徳川家康から拝領した槍(やり)や、
泰朝が身に着けたと伝わる具足など計二十二点が並ぶ。
観覧無料で、九月二十日まで。
秋元家は長朝が家康に仕え、
碓氷郡や総社(前橋)などで領地を得た。
嫡子の泰朝は家康の側近となり、
豊臣家を攻めた大坂冬の陣で
大坂城の総堀埋め立てに功を上げ、
家康没後は
日光東照宮の造営奉行も務めた。
秋元家の子孫は
老中や寺社奉行など幕府要職を歴任し、
館林藩主として幕末を迎えた。
「無之字槍」は、
泰朝が大坂夏の陣後に
家康から残党征討の命を受け、
その功で拝領した。
槍を家宝にしてきた秋元家の由緒書きもあり、展示している。
泰朝が大坂の夏の陣で着用したと伝わる市重要文化財の具足や、
秋元家の家臣が泰朝から拝領して
その孫が大坂夏の陣で身に着けた具足も並ぶ。
徳川政権が終わった戊辰戦争の関連では、
新政府軍に加わった秋元家の館林藩で軍監を務めた長山甚平が、
旧幕府側の会津軍と戦った様子を詳細に描いた絵図二点も展示。
この二点などはスマートフォンのQRコードで読み取ると音声の解説が聞ける。
橋本恵理佳学芸員は「今年が館林藩の廃藩から百五十年を迎えるのに合わせ、
秋元家が関わった戊辰戦争や大坂の陣などの戦をテーマに展示を企画した。
秋元家の功績を理解し、身近に感じてほしい」と来館を呼び掛けている。
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「館林城」、「土橋門」へ行きましょう。
美しい土塁です。
井戸も再現。(本当は3つありました)
「城町食堂」でランチをば。
名物「オムハヤシ」。900円。
コレはうまい!
館林市は
テレビアニメ
「宇宙(そら)よりも遠い場所」の
聖地でもあるようです。
帰りは
泡+ワックスで洗車。
はーーー、スッキリ。
Posted at 2021/09/12 16:25:14 | |
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