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レッズレノンのブログ一覧

2021年11月06日 イイね!

飯能戦争・振武軍を偲ぶ旅(能仁寺編)

飯能戦争・振武軍を偲ぶ旅(能仁寺編)

この日のメインイベント。

飯能戦争、振武軍本営、

「能仁寺」へ。






▽飯能戦争とは
飯能戦争は、旧暦の1868(慶応4)年5月23日(新暦の7月12日)に、
振武軍を中心とする旧江戸幕府方と大村(現在の長崎県)・
佐土原(さどわら)(現在の宮崎県)など
5つの藩からなる明治新政府方が戦った戦争で、
戊辰戦争の一地域戦にあたります。

埼玉県域では唯一、戊辰戦争の戦場となったところでもあります。




▽渋沢成一郎、彰義隊の頭取に
1868年正月の鳥羽・伏見の戦いで新政府方に敗れ、
朝敵となって江戸に戻った徳川慶喜は、
上野の寛永寺に謹慎しました。

一橋家の家臣を中心とする旧幕臣たちは、
主君の汚名をすすごうと「彰義隊」を結成し、
渋沢栄一の従兄弟である渋沢成一郎は
彰義隊の頭取に就任しました。

しかし、その後副頭取の天野八郎らと対立して上野の山を下り、
閏4月下旬に田無村(現在の東京都西東京市)で「振武軍」を結成します。
振武軍には、尾高惇忠や渋沢平九郎など栄一の縁者も参加していました。



▽振武軍、多摩から飯能へ
300人ほどとなった振武軍は、
田無で周辺の村々から4,000両を超える軍資金を調達し、
5月12日箱根ヶ崎村(現在の東京都瑞穂町)に移りました。

その後、新政府方の攻撃を受けた彰義隊の援軍のため
江戸へ向かいましたが間に合わず、
田無で上野戦争の敗残兵などと合流して、
5月18日に飯能の町に現れます。

振武軍など旧幕府方は、能仁寺を本営に、
智観寺・広渡寺・観音寺など6つの寺に駐屯しました。

一方、新政府方は、
福岡・久留米・大村・佐土原・岡山の5つの藩に
旧幕府方の追討を命じ、
これらの藩兵は5月22日に扇町屋(現在の入間市)に入りました。

「中雀門」。






「ご本堂」。


本堂は

飯能戦争で焼失後、

仮本堂で70年(!)を過ごし、

昭和9年に再建に着手、

昭和11年に完成しました。







こちらの受付で、ご朱印と庭園の拝観の申し込み。

能仁寺の庭園は、日本名園百選の一つ。

楽しみです!


「5→9~私に恋したお坊さん」(山下智久・石原さとみ出演)の

ロケ地でもあります。






ご本堂を通って、お庭へ。




ご対面。


美しい!!


成一郎や平九郎、尾高惇忠に

この庭を愛でる心の余裕はあったのか?


一時でも、心の慰めになっていてほしい。


桃山時代の作庭と推定されています。


大書院前のお庭。




長嶋さんのサイン(右下)。

王さんの絵とサインもありました。


能仁寺三十一世ご住職は

谷中玉林寺にてご誕生。

昭和39年、大学卒業後、報知新聞社運動部に入社。
記者として入社後5年間にわたり、読売巨人軍担当となる。


以来、川上哲治氏・藤田元司氏・
長嶋茂雄氏・王貞治氏らとの親交を深める。


昭和47年、同社を退職、永平寺に入山。修行に勤しむ。

昭和48年
能仁寺に入山。

以上のような経歴があるご住職の縁で
野球選手の他にも、女子プロゴルファーの岡本綾子さんなど
スポーツ界で活躍中の方々が能仁寺に来られるようです。





ご朱印拝受。

達筆です。



飯能戦争に戻りましょう。

▽飯能の町での戦い
5月23日未明、笹井河原(現在の狭山市)で
旧幕府方と佐土原藩兵が遭遇して戦争が始まりました。

途中双柳などで戦闘が行われるなどして、
午前6時頃にはついに飯能の町が戦場となりました。
この結果、200軒の民家と
能仁寺、智観寺など4つの寺が焼失し、
飯能を舞台にした戊辰戦争(飯能戦争)は、
わずか半日ほどで新政府方の勝利に終わったのです。


当時飯能の町に住んでいた、
真能寺村(現在の八幡町など)の
名主・双木利八郎(なみき りはちろう)は、
この戦争の様子を、
自宅に落ちてきた砲弾を入れた箱の側面に記しています。



『慶応4年、5月16日(正しくは18日)、
にわかに徳川家の脱走浪人で大納戸役の
大寄隼人(おおよりはやと)(渋沢成一郎のこと)など200人がやってきた。

その他、15日の上野戦争の敗残兵たちも100人余りが
それぞれ飯能の町に集まって来て人数は総勢で400人くらいになった。

兵を町中で宿陣させるのは不便ということで、
飯能・久下分・真能寺・中山の4ヶ村を見分し、
本陣は能仁寺とし、その他観音寺・
智観寺・広渡寺・心応寺(しんのうじ)・玉宝寺(ぎょくほうじ)に分かれて入った。


その出口では見張りを立てて、
通行人の風俗を改めるなどして今にも戦争が始まりそうな様子である。
村役人たちをはじめ町の人たちは、
家業を休み、振武軍などに命じられた食料の調達のため
昼夜の別なく奔走していた。
しかし雨天続きで品切れが続出し、
いろんなところへお願いしてなんとか用意することができた。

旗差物も完成し、
22日の八ッ半時(午後3時頃)に頭の大寄隼人など100人余りが
美麗な服装で笹井方面に向けて出陣していった。


一方、官軍方(新政府方)は5月20日頃より扇町屋に入り、
旧幕府方の様子をうかがっていたが、
いよいよ夜九ッ半時(午前1時頃)より笹井周辺で戦争が始まり、
大砲・小銃の音は夕立のようであった。


同じ頃鹿山(現在の日高市)でも同様に戦争が始まったようであったが、
明け方になりいったんその音もやんだ。

間もなく飯能の町へ大砲・小銃が撃ちかけられ、
戦争が始まった。

驚いて逃げる準備をしていたところ、
この大砲の玉と小玉(大砲の散弾か)が茶の間に落ちてきた。
恐怖のあまり家族を連れて逃げた。

五ッ時(午前8時頃)に中町(現在の二丁目)より煙が上がり、
それが6ヶ所になっておびただしく焼けた。

4ヶ村では民家200軒のほか、
能仁寺・智観寺・観音寺・広渡寺の4つが焼失した。

幸いわが家は長屋も含め無事であったが、
部屋には大砲の玉(弾)が1つ、小銃の玉はたくさん落ちていた。

このうち大砲の玉の1つは、
岡役所(現在の深谷市にあった領主久留里藩の出先機関)からやってきた
出崎庄兵衛殿が魔除けになるので欲しい、と頼まれたので渡した。

このような戦争は珍しく、実にまれなことであった。
このような悪いことは、
魔除けにもなる大砲の弾とともに記録し
後世に伝えておくこととした。

ここにやってきた旧幕府方は振武軍で、
上野では彰義隊が戦ったがいずれも大敗を喫し、
その他諸国で戦っていた旧幕府方はいずれも焼き討ちにあった。
後世に恐ろしいことと記憶される
このできごとのあらましを書き置いた。』











現地に足を運ぶと、

ここで持ちこたえるのは大変だっただろうな、

ということを実感できます。


「飯能河原」が近いので

そこまで歩いていきましょう。




そこで、名店と出会うことになります......。



Posted at 2021/11/06 20:31:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2021年11月05日 イイね!

飯能戦争・振武軍を偲ぶ旅(飯能市立博物館編)

飯能戦争・振武軍を偲ぶ旅(飯能市立博物館編)


有休消化日の本日、

かねてより行きたかった

飯能戦争関連の実地調査に

出発です。





飯能戦争・本営だった

「能仁寺」そばの駐車場にとめて。

奥に見えるは「天覧山」。


(山麓にある能仁寺に愛宕権現を祀っていたので、
もとは愛宕山と呼ばれた。
時代が下り、江戸時代には
5代将軍・綱吉の病気平癒のお礼に、
生母・桂昌院が十六羅漢の石仏を奉納したので、
羅漢山と呼ばれるようになった。
それが1883年、山麓で行なわれた近衛兵春季小演習を
明治天皇がこの山頂から統監したことにより、
天覧山と呼ばれるように。)





まずは「諏訪八幡神社」へ。

戊辰戦争の一つ、

飯能戦争でも被災を免れました。









ご朱印は、日曜日のみのよう。
(また出直そう)






裏手をちょっと散歩してみると

まるで別世界!!

緑豊かな小径があり、小さーな橋がかかっています。

下に流れるのは細い渓流で

「まるで沢のようだなー」と思っていたら

「諏訪沢」と名前がついていました。



飯能は緑と水が豊かな町!!


そして、もとは、「一橋領」。

これが、渋沢栄一や

「振武軍」の本営設営と

深ーくかかわってきます...。



すぐ隣の

「飯能市立博物館」へ。




桂昌院ゆかりの香炉。

非常にち密にできています。


羽の間から香りが出てきます!












戊辰戦争の陸戦で主に使われた

「四斤山砲」!!

当然、飯能戦争でも使われたでしょう。


分解すれば、馬二頭で運べる

機動力の高さが魅力。


「四斤」とは、砲弾重量が4kgであることを意味します。

この山砲を日本で最初に実戦使用したのは、幕府陸軍。

1866(慶応2)年の第二次長州征討です。

砲塔内のライフリング(溝)がミソですね。



「飯能と渋沢栄一(パネル展)」コーナーへ。


のちに振武軍頭取になる「渋沢成一郎(喜作)」と

「渋沢篤太夫(栄一)」が一橋家臣として

一橋領である名栗川流域で、

農兵を集めるためにがんばっていた

「青天を衝け」の1シーンが

よみがえってきますね!
















田無にいた官軍が、

「振武軍は青梅ではなく飯能にいる」ことを知り、

入間川沿いの笹井村(現・狭山市笹井)で

新政府軍と振武軍との戦端が開かれました。






あぁ、平九郎......。




(続く...)
Posted at 2021/11/05 20:40:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 博物館 | 日記
2021年11月03日 イイね!

ちょっとお久な、お店たち。

ちょっとお久な、お店たち。

今日は奥さまに促され

久々の

「たまご屋本舗 TAMAHON」さんへ。









たまご、4パック!


お次は、

久々の

「生和菓子 細井」さん。



相変わらず、おいしいです!!









おまけ。

昨日、ドラッグストアにあった

「天下一品」のカップ麺。


味は、

当然、

お店の勝ち!



Posted at 2021/11/03 19:47:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 買い物 | 日記

プロフィール

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サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
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