• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

レッズレノンのブログ一覧

2022年03月21日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 3/3)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 3/3)
「亥鼻城跡」を背にして北に10分ほど歩くと

そこは、

源頼朝が鎌倉へ向かう途中、

千葉一族と一緒にお参りしたという「千葉神社」





「千葉神社」はもともと、

北斗山金剛授寺というお寺の

妙見宮



北極星や北斗七星を神とみる

妙見菩薩を祀っていました。

千葉氏の守護神ですね。


明治初年の神仏分離によって

「千葉神社」となりました。


楼門型の分霊社「尊星殿」

これは神社建築では類例のない

楼門と社殿の複合建築物


中央は「福徳殿」
東は「日天楼」で、西は「月天楼」。
上階は「開運殿」です。


日天楼は、中央の「陽明柱」に触れることで
日天神(太陽)の陽気・活性作用による
精神・生活上の加護が得られるとされます。




(月天楼は、中央の「光輝柱」に触れることで
月天神(月)の生気・浄化作用による
身体・生命上の加護が得られるとされます)


社殿は上下に二つの拝殿を有する

日本初の重層社殿


旧社殿は、

1945年7月の空襲(千葉空襲)の戦火に見舞われ焼失。

1954年に社殿は再建され、その後、

境内西側に移築して摂社(千葉天神)の祈祷殿となっています。










「妙見延寿の井」。




境内社には

姥神社・星神社・石神社・香取神社・金刀比羅宮・他9社が

祀られています。




かつて、千葉神社の隣には

「大日寺(だいにちじ)」がありましたが

戦後、稲毛区に移転。


境内には、千葉家累代の墓碑と言われる

五輪塔が並んでいます。

(千葉常兼から胤将に至る千葉16代の墓碑)







Posted at 2022/03/21 17:37:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2022年03月20日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 2)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 2)

千葉市の古刹

「千葉寺(せんようじ)」にお参りしたあとは

亥鼻公園を抜けて、「亥鼻(いのはな)城跡」へ。







模擬天守ですけど

テンション上がる~。


模擬天守の中は、千葉市郷土博物館。


「猪鼻城跡」には、土塁や空堀が残されており、

その特徴から戦国時代の城跡と推測されています。


長い間、

千葉氏が住んだ館はこの「猪鼻城跡」であると考えられてきましたが

最近の研究では、館は

ふもとの平地にあったという説が有力視されているようですね。


千葉常胤(つねたね)さん、かっこいいです。


再起を図る頼朝の求めに応じ、一族を率いて参陣した下総の大物。


頼朝からは「父も同然」と感謝される坂東の重鎮!


千葉常胤は、治承4(1180)年、
石橋山の合戦で平氏に敗れた源頼朝を助け、兵300を率いて救援、
東国支配確立のため鎌倉幕府樹立に大功を立てました。

平氏打倒のため関東の武将を取りまとめ
木曾義仲追討一の谷の合戦などで活躍しました。

千葉常胤の働きに対し源頼朝は
正月には必ず千葉常胤の屋敷で新年を祝うほど厚い信頼を寄せていました。


ここで時刻は、12:22。

お腹が空いてきましたので

「いのはな亭」でお昼をば。




けんちんうどん、550円なり。


おいしかった!



現在も猪鼻城跡に残る数少ない遺構のひとつ、土塁跡。






猪の鼻の形に似た台地の先端には

「神名社」。


かつての物見台のようです。

(下を見下ろすと崖でした)


城外から見た「神名社」がある場所は、こんな感じ。


楽しみな「千葉市立郷土博物館」内部へ。


千葉の町の礎を築いた千葉氏をはじめとする
郷土の歴史に関する資料を展示するほか、
千葉にまつわる様々な企画展などを開催しています。

5階の展望室からは
千葉港が一望でき、富士山が見えることもあります。












今回、「大鎧」の構造とその役割

よーくわかりました。


大鎧は「馬に乗って戦う武士専用の甲冑」なので

26kg(小学1年生の平均体重)ほどの重量の一部は、

お馬さんにも担っていただいたわけです。


下のスカートみたいな部分「草摺(くさずり)」

太もも部分は完全に防御。


両肩の「大袖(おおそで)」は、

肩から腕を防御する「盾」の機能を担っていました。


今まで私が長い間疑問に思っていた部分の機能の謎も

無事解消!


下の赤枠内の部品は

何のためにあるでしょう?

わたしは「階級章」的な役割しかないと思っていましたが

さにあらず!!


大鎧を装着した人と戦うには

下記の弱点を狙います。


「脇の下」、狙われていますねー。

そう、そこを守るのが

先ほどの赤枠の部品、

「栴檀板(せんだんのいた)」「鳩尾板(きゅうびのいた)」


弓を射る時に開く脇と胸部を防御する楯状の部品

右脇が栴檀板、左脇が鳩尾板。

右の栴檀板は、弓を引いたり刀剣を振るう際に屈伸可能なよう、

3段からなる革製ないし鉄製の小札で構成されます。


一方で急所に近い鳩尾板は1枚の鉄板とする例が多いです。


納得、納得。



大鎧の防御力に関しては

こんな記録があります。


鎧に63本もの矢が刺さった武士の話が

「平家物語」に出てきますが、

そのうち鎧の裏側まで貫通したものは、わずかに5本!!

他はすべて軽傷であったとのことです。



「一騎打ち」の正式なプロセスも学びました。

いつか時代劇などでも、このプロセスを

再現してほしいなー。


「馬を操りながら弓矢で戦う(左回りで!)」
鎧の隙間を狙います!!

「弓矢で勝負がつかないときは太刀を抜いて戦う」
相手の右腕や馬の鼻を狙います!!
時には相手の兜を打って、脳震盪を起こさせます!!

「太刀でも勝負がつかないときは、馬上で組打ち」
これを断るのは「卑怯」とされました。
膝で相手の腕を押さえて、腰刀で相手の首を切ります!
あーこわ。








「日立航空機工場」があった軍都・千葉市は

1945年、複数回、空襲を受けています。


千葉県には「千葉陸軍戦車学校」や

「気球連隊」なんていうのもあったんですね。


レーダーの開発前、

目視の他に

大型の聴音機とともに人が気球で上空に行き、

耳で敵機の音を聞いていたそう。




5階の展望室からは

千葉市街を一望(金網がジャマ)。


お城の北端(猪の鼻先)麓には

常胤さんが頼朝さんをもてなした

「お茶の水」。


千葉一族は代々この水を、赤ん坊を入浴させる水に使用したといい、
常胤は源頼朝が戦いに敗れて千葉で再起を図る際に、
お茶をささげたという伝説が残っています。
現在は、水は湧き出ておらず、記念碑が由来を伝えています。



すぐ後ろには「不動堂」。


博物館でこの2冊を購入(各 100円)。

ますます大河を深~く楽しみます。




Posted at 2022/03/20 12:48:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2022年03月20日 イイね!

反撃の狼煙は上がったのか?

反撃の狼煙は上がったのか?

いやー、

まだ昨日のいい気分が残っています。








犬飼選手のレッズ加入後初ゴール、


ユンカー今季初ゴール、


ショルツ来日初ゴール、


モーベルグ

相手DF3人に囲まれながらも

デビューからわずか3分で初ゴール!!!!


4-1で勝利!!!!

もっとケチャップがドバドバしててもおかしくない

好ゲームでした。





昨日は17時に試合終了、

19時からテレ玉で試合を鑑賞、
(スタジアムとは違う視点で見れて、これまた至福のとき)

22時からは浦議にて

試合のレビューをみて復習。


その後も試合のハイライトなどを何度も見て

ニヤニヤしっぱなし。






この2人、

試合前からやってくれると

期待していました!














【ダヴィド モーベルグ 試合後インタビュー】

(ゴールを決めた後の気持ちは?)
「純粋な喜びが沸き上がってきました」

(ゴール後はファン・サポーターのもとへ向かい、10番を親指で差していたように見えたが、とったに出た行動だったのか?)
「いろいろな方面から期待されていましたので、そこでチャンスをクリエイトし、ゴールを決められたことをうれしく思います。そこでとっさに出た、期待に応えたような行動でした」

(ゴールシーンはフェイントで自分の意のままに相手をコントロールしたように見えたが、あれは自分の得意なプレー、狙いどおりだったのか?)
「みなさんから僕のストロングポイントをよく聞かれますが、今日はそれを表現できたと思います。もっともっと良くなると思っています」

(ゴールの後、CKを蹴りにいったときに大きな拍手を受け、スウェーデンの国旗も目に入ったと思うが、どう感じたか?)
「10番のユニフォームやスウェーデンの国旗がたくさんあり、かなりエネルギーをもらったのと同時に、少し驚きがありました。これからもっともっといいプレーを見せていきたいです」

(まだ1試合で分からないこともたくさんあると思うが、Jリーグと他のリーグの違いは感じたか?)
「ボールを保持しようとするチームが多い印象です。低いボールでパスを回す印象が非常に大きいです」

(レッズに合流して間もないにもかかわらず、いいコンビネーションも見られたが、その手応えはどうか?)
「今日はチーム全体が良い形で良いプレーをしていましたので、そういうときに中に入ることはそんなに難しいことではないと思います」

(試合後、アレクサンダー ショルツ選手、キャスパー ユンカー選手と一緒にスタジアムを一周したが、そのときの気持ちは?埼玉スタジアムの雰囲気はどうだったか?)
「本当に最高の気持ちでした。3人ともゴールを取れましたし、その後にスタジアムを一周し、みなさんの前で一緒に勝利を祝うことができて、本当に気分が良かったです」

(プレーの判断が非常に早く、動きも素早い、新鮮な驚きを見せたが、現時点でどれくらいの状態なのか?)
「今後も良くなるとは言っても、10ゴール取れるというわけではありませんが、試合から4ヵ月から離れてしましたので、これからどんどん試合に絡み、もっと自分のストロングポイントを見せていけると思います」

(ショルツ選手、キャスパー選手とゴールを決めたことについて話したのか?)
「ショルツがJリーグで初めてゴールを決めたということを話していましたが、基本的にはみんながゴールできたことよりもチームが勝利できたことについて話し、みんなで喜んでいました」






Posted at 2022/03/20 09:39:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | サッカー | 日記
2022年03月18日 イイね!

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 1)

「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(千葉氏編 1)

千葉市に「千葉氏」ゆかりの

お城、寺社を訪ねてきました。

(前回は、小山市に「小山氏」でした)




まずは、「超」が付くほどの古刹「千葉寺(せんようじ)」へ。

降車駅は、京成千原線「千葉寺(ちばでら)駅」です。



左右にくねりながら

坂を上っていく

古の参道沿いに歩いてくればよかった。

なかなかいい雰囲気でした。


しかし、そうするには

事前に古地図と現代地図を詳細に比較し

プリントアウトして手元に持っていないと無理ですね。



寺伝によれば、709(和銅2)年、

この地を訪れた東国巡錫中の行基が

十一面観音を安置したのに始まり、

聖武天皇の命により千葉寺と称したといいます。



(1950年代の発掘調査で、
旧寺の境内は約126メートル四方だったと推定され、
奈良時代の瓦が出土)


このあと訪ねる

千葉氏の居城・亥鼻(いのはな)城に近いことから

千葉氏の祈願所となりました。


ご本堂の前には

樹齢1300年といわれる大イチョウ!!

大迫力です。



幹の太さは目通り 8m

樹高は銀杏の限界の30m !!!





2010年3月10日に倒壊してしまった(残念無念!!!)、

鶴岡八幡宮境内にある大銀杏は

樹齢1千年余とされ、

高さ約30メートル、

幹回り約6.8メートル

鎌倉幕府3代将軍・源実朝を暗殺する際、

おいの公暁が身を隠した伝承も残っていますね。



鶴岡八幡宮境内にあった大銀杏より大きいイチョウ。


何周もグルグル回って

眺めていました。

飽きない。




藤原京から平城京に遷都した前年から

この世の中の空気を吸って生きてきたイチョウさん。

お話が聞けるものなら聞いてみたい...。







「大師堂」。


「納経所」でご朱印拝受。






境内には

千葉氏5守護神の一つである

瀧蔵(りゅうぞう)神社が。




おぉ、千葉氏の家紋

「月星紋」「九曜紋」!!


千葉氏は北極星や北斗七星を神とした妙見を信仰していたため、

三日月と星一つをあしらった「月星紋」

星の周りに星八つを置いた「九曜紋」を家紋として用いました。

(この他にも、「九曜紋」の真ん中が三日月であるものや、
星が九つある「十曜紋」等もあり)

このあと訪れる「千葉神社」でもしっかり見られます。


天体は光を与え、

満ち欠けを繰り返すという、

霊力を備えた不思議な存在として信仰の対象でした。








「亥鼻公園」文化の森を通って

いよいよ、この日のメインイベント

「亥鼻城跡」に向かいます。




「高徳寺」。

千葉満胤の次男、原胤高が開基。

1365年創建。

(ご住職ご不在でしたので、ご朱印はまた今度)



丘陵を少し登り、「千葉県文化会館」。


いいデザインです。


お。見えてきた!


模擬天守といえども

テンションが上がるのを

抑えられません。


荻原碌山の「女」像をもとに作られた記念碑。

もとの像は、近代の彫刻作品としては

初めての重要文化財に指定。碌山最期の作品です。

(もう少しじっくり見ればよかった)


(こっちはじっくり見ちゃった...)
「女・夏像」。


佐藤忠良 作。



...続く。




Posted at 2022/03/18 19:14:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2022年03月16日 イイね!

下野最大の武士団、小山氏ゆかりの地を訪ねる。(2/2)

下野最大の武士団、小山氏ゆかりの地を訪ねる。(2/2)

「祇園城跡」のあとは

中世の城郭が残る貴重な史跡

「鷲城跡」へ行きましょう。




南北朝時代の東国最大の内乱、

小山義正の乱の舞台となったのが

まさにここです。


「小山総合公園」の駐車場にクルマをとめて

徒歩で城跡に向かいます。



こちらも思川沿い。



(しかし、何十回と小山を通ったり訪ねたりしているのに
なぜ、この公園とか鷲城跡には行かなかったのか、
もっと早く訪ねておけばよかったと思うほど、すばらしい場所でした!
わたし好み)


広ーー大な芝生が広がります。

解放感、抜群!!!


奥に見えてくる森が「鷲城跡」です。




公演の北端に隣接したところに

土塁跡。




この角度で見る土塁は圧巻!!


左側に深い空堀を見ながら登ります。

(あとで調べたら、「中城」と「外城」の間を区切る
土塁跡、空堀沿いを歩いていました)


一旦、外に出ました。

城跡沿いに歩きますと。


なんだか期待させる地形と、杉並木。


もう少し歩くと、変化が。




着いた!






本丸跡にある「鷲神社」へ。


こちらの神社、いろいろなガイドブックでは扱いがいまいちですが、

この長ーい参道は

寺社仏閣が好きな人ならば

歩く価値ありです。

(ちょっと興奮しました)














小道があると

歩いていく習性があります。


思川を望む崖につながっていました。


「横矢」発見。


実際にこの上に立つと

実に敵を狙いやすい。

超実戦的なお城であったことがわかります。





「虎口」。


ここも、攻め手目線だと

実に嫌なところ。


虎口下の台地のキワには

湧水地点が。



お次は

源頼朝の乳母であり、小山政光の妻である

寒川尼のお墓へ向かいます。



隣にある

延喜式内「網戸(あじと)神社」からお参りします。















ご朱印の直書きのスケジュールが変わりましたので

要チェック!








今回は、書き置きのご朱印を拝受。












「網戸神社」のすぐ南にある「称念寺」へ。

うっかりしていると見逃してしまいます。

(たぶん無住のお寺さんです)



寒川尼とその孫の小山朝村の墓所があります。


治承4(1180)年8月の頼朝による反平家の挙兵時、

大番役で当主政光が在京中であったため、

寒川尼は10月に当時14歳の鍾愛の末子(朝光)を伴って

武蔵国隅田宿の頼朝の宿所を訪れました



尼は頼朝と往事を語り、

末子を側近として奉公させたいと願い、

頼朝は自ら烏帽子親となって元服させ、

末子は小山七郎宗朝と名乗りました(のちに朝光に改名)。


夫の不在中は妻がその権限を取り仕切るのが慣習であり、

この尼の行動によって

下野国最大の武士団小山氏が頼朝方についたことになり、

このことは北坂東の武士団の去就に

決定的な影響を与えたものと見られます。



寿永2(1183)年2月、小山氏の参戦により、

頼朝方は野木宮合戦で勝利します。


文治3(1187)年12月、

寒川尼は

「女性たりといえども、大功あるによる也」として

下野国寒川郡ならびに網戸郷の地頭職に任ぜられ、

女地頭となりました。



安貞2(1228)年、91歳で永眠。

長生きされましたね。





Posted at 2022/03/16 21:48:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

プロフィール

「「日光例幣使街道」をぶら~りお散歩。 http://cvw.jp/b/861852/48679948/
何シテル?   09/27 13:55
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2022/3 >>

  12 3 4 5
678 9 10 11 12
131415 1617 1819
20 212223 24 25 26
272829 3031  

リンク・クリップ

給油キャップホルダー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/08/05 00:20:35
バックカメラ防水処置 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/07/03 22:05:20
群馬県立館林美術館 ① 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/21 13:58:42

愛車一覧

スズキ クロスビー スズキ クロスビー
ポルテくんから乗り換え。 今度もかわいいクルマ♪
トヨタ ポルテ トヨタ ポルテ
フレンディ + ライフ から乗り換え!!
ホンダ ライフ ホンダ ライフ
かっこかわいい車! これからも、どこかで、けなげにガンバレ!!
三菱 ミラージュ 三菱 ミラージュ
わがままマリオンこんにちは! 紺色のボディーカラーと 白いホイールキャップが お気に入 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation