千葉市の古刹
「千葉寺(せんようじ)」にお参りしたあとは
亥鼻公園を抜けて、
「亥鼻(いのはな)城跡」へ。
模擬天守ですけど
テンション上がる~。
模擬天守の中は、千葉市郷土博物館。
「猪鼻城跡」には、土塁や空堀が残されており、
その特徴から戦国時代の城跡と推測されています。
長い間、
千葉氏が住んだ館はこの「猪鼻城跡」であると考えられてきましたが
最近の研究では、館は
ふもとの平地にあったという説が有力視されているようですね。
千葉常胤(つねたね)さん、かっこいいです。
再起を図る頼朝の求めに応じ、一族を率いて参陣した下総の大物。
頼朝からは
「父も同然」と感謝される坂東の重鎮!
千葉常胤は、治承4(1180)年、
石橋山の合戦で平氏に敗れた源頼朝を助け、兵300を率いて救援、
東国支配確立のため鎌倉幕府樹立に大功を立てました。
平氏打倒のため関東の武将を取りまとめ
木曾義仲追討、
一の谷の合戦などで活躍しました。
千葉常胤の働きに対し源頼朝は
正月には必ず千葉常胤の屋敷で新年を祝うほど厚い信頼を寄せていました。
ここで時刻は、12:22。
お腹が空いてきましたので
「いのはな亭」でお昼をば。
けんちんうどん、550円なり。
おいしかった!
現在も猪鼻城跡に残る数少ない遺構のひとつ、土塁跡。
猪の鼻の形に似た台地の先端には
「神名社」。
かつての物見台のようです。
(下を見下ろすと崖でした)
城外から見た「神名社」がある場所は、こんな感じ。
楽しみな「千葉市立郷土博物館」内部へ。
千葉の町の礎を築いた千葉氏をはじめとする
郷土の歴史に関する資料を展示するほか、
千葉にまつわる様々な企画展などを開催しています。
5階の展望室からは
千葉港が一望でき、富士山が見えることもあります。
今回、
「大鎧」の構造とその役割が
よーくわかりました。
大鎧は
「馬に乗って戦う武士専用の甲冑」なので
26kg(小学1年生の平均体重)ほどの重量の一部は、
お馬さんにも担っていただいたわけです。
下のスカートみたいな部分
「草摺(くさずり)」で
太もも部分は完全に防御。
両肩の
「大袖(おおそで)」は、
肩から腕を防御する「盾」の機能を担っていました。
今まで私が長い間疑問に思っていた部分の機能の謎も
無事解消!
下の赤枠内の部品は
何のためにあるでしょう?
わたしは「階級章」的な役割しかないと思っていましたが
さにあらず!!
大鎧を装着した人と戦うには
下記の弱点を狙います。
「脇の下」、狙われていますねー。
そう、そこを守るのが
先ほどの赤枠の部品、
「栴檀板(せんだんのいた)」「鳩尾板(きゅうびのいた)」。
弓を射る時に開く脇と胸部を防御する楯状の部品で
右脇が栴檀板、左脇が鳩尾板。
右の栴檀板は、
弓を引いたり刀剣を振るう際に屈伸可能なよう、
3段からなる革製ないし鉄製の小札で構成されます。
一方で
急所に近い鳩尾板は1枚の鉄板とする例が多いです。
納得、納得。
大鎧の防御力に関しては
こんな記録があります。
鎧に63本もの矢が刺さった武士の話が
「平家物語」に出てきますが、
そのうち鎧の裏側まで貫通したものは、わずかに5本!!
他はすべて軽傷であったとのことです。
「一騎打ち」の正式なプロセスも学びました。
いつか時代劇などでも、このプロセスを
再現してほしいなー。
「馬を操りながら弓矢で戦う(左回りで!)」
鎧の隙間を狙います!!
↓
「弓矢で勝負がつかないときは太刀を抜いて戦う」
相手の右腕や馬の鼻を狙います!!
時には相手の兜を打って、脳震盪を起こさせます!!
↓
「太刀でも勝負がつかないときは、馬上で組打ち」
これを断るのは「卑怯」とされました。
膝で相手の腕を押さえて、腰刀で相手の首を切ります!
あーこわ。
「日立航空機工場」があった軍都・千葉市は
1945年、複数回、空襲を受けています。
千葉県には「千葉陸軍戦車学校」や
「気球連隊」なんていうのもあったんですね。
レーダーの開発前、
目視の他に
大型の聴音機とともに人が気球で上空に行き、
耳で敵機の音を聞いていたそう。
5階の展望室からは
千葉市街を一望(金網がジャマ)。
お城の北端(猪の鼻先)麓には
常胤さんが頼朝さんをもてなした
「お茶の水」。
千葉一族は代々この水を、赤ん坊を入浴させる水に使用したといい、
常胤は源頼朝が戦いに敗れて千葉で再起を図る際に、
お茶をささげたという伝説が残っています。
現在は、水は湧き出ておらず、記念碑が由来を伝えています。
すぐ後ろには「不動堂」。
博物館でこの2冊を購入(各 100円)。
ますます大河を深~く楽しみます。
Posted at 2022/03/20 12:48:25 | |
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