
当初は
2020年9月25日に公開予定でしたが、
新型コロナウイルスの影響で
2021年7月1日公開予定に延期。
しかし、同年5月24日に再び延期が発表。
計3回の延期を経て、
2022年6月17日、やっと公開されましたー!!
『峠』は
それまでほとんど無名に近かった
幕末から戊辰戦争時の
越後長岡藩家老・河井継之助の名を、
一躍世間に広めることとなった歴史小説。
映画『峠 最後のサムライ』は
上記小説を映像化。
近代的合理主義を持ち、
時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、
「藩」や「武士」という束縛から
自己を解放するまでには至らず、
最後には武士として、長岡藩の家臣として、
新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描いています。
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大政奉還が行われた1867年、
260年余り続いた江戸幕府が倒れて
諸藩は東軍(旧幕府軍)と
西軍(新政府軍)に分裂する。
翌年には鳥羽・伏見の戦いをきっかけに
戊辰戦争へとなだれ込むが、
越後の小藩である長岡藩の家老・河井継之助(役所広司)は
冷静に事態を見守っていた。
彼は東軍と西軍いずれにも属さない
武装中立を目指し、和平を願い談判に挑むが......。
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この作品のキャッチコピーにある
『ニッポンが震えた、熱き心』。
この映画、大好きですが、
継之助の魅力が十分に伝わる作品とは思えません。
(特に映画の冒頭は、時代背景の説明過多。
これならば、継之助の自由な精神がいかに育まれたか、
その青年時代、諸国遊学時代なども描いてほしかったところです)
実際の人となりに触れると
この映画で感じる以上に
心にたぎるものが出てきます!!
◆
林修(東進ハイスクール 東進衛星予備校 現代文講師)◆
どうにもならない巨大な運命がのしかかってきても、
逃げずに正面から向き合い、
信念に基づき自らの選んだ生き方を貫き通す
一人の人間の真摯な姿をこの映画に見出さない人はいないでしょう。
利は一代にして消え、義は時代を超える。
ならば、自分はどう生きるべきなのか―
見終わったときに、
こう自問せずにはいられません。
◆
岳真也(小説家)◆
『峠』を越えた⁉
私の最初の歴史小説『北越の龍 河井継之助』(角川書店)は、
あるビッグな文学賞の最終候補になりましたが、
先行する司馬遼太郎先生の『峠』を越えられずに落選しました。
今回、司馬先生の原作に基づく映画『峠 最後のサムライ』を観て、
ひょっとして「これは越えたのではないか」と思いました。
「中立独行」「独立自尊」を標榜しながらも、
万やむを得ず官軍と戦うこととなった
越後長岡藩家老(兼軍事総督)の河井継之助――
その歩みと、
妻のおすがとの絶妙なやりとり(役所広司と松たか子が好演)。
二人をつなぐ異国のオルゴールの音いろ……。
たしか原作にはなかったはずですが、
「愛とは互いに見合うことではなく、
同じ方向を見つめることだ」といった名言にも感心させられました。
何より、ラストの「炎」が最高!
「ラスト・サムライ」を象徴しておりますよ。
継之助が好きだったという和歌も良い。
やはり……越えていますね。
ちなみに私の曾祖父は他藩の者(越後村松藩の末席家老だとか)ですが、
継之助のもとに馳せ参じ、ともに戦ったみたいです。
※
「愛とは互いに見合うことではなく、同じ方向を見つめることだ」
このセリフをあるお方が発した時、目に熱いものが...。いいセリフ、いいシーンでしたよ!
※
「かたちこそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなむ」
古今和歌集
この歌も、まぁ、泣けるんです。
意味を知れば知るほど、心にしみこんできます。
私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。
その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、
書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。
司馬遼󠄁太郎「峠」あとがきより
Posted at 2022/06/29 20:38:38 | |
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