ここ
「能仁寺」は
足利尊氏ゆかりの寺といわれ、
尊氏の夢に出てきた観音像と深い関係があります。
1320(元応2)年7月9日の夜、
15歳の尊氏は、
夢の中で
下野国芳賀郡根本の境沢と称するところの土を3mあまり掘れ、
という
異形の僧のお告げを得ました。
曰く、「我は下野国根本村境沢の土中に眠る
観音である。
我を掘り起こして祀れば
武運長久で大将軍になれるぞ」。
人を遣わせて掘らせたところ、
その場所からは
自然石に刻まれた、
下部に白黒2匹の蛇がからみつくような
奇妙な形の尊像(=観音様)が出てきました。
尊氏は深くこの尊像を尊信し、
持仏として戦場に臨んだといわれています。
この観音様を祀った
観音堂を守るために
能任寺が建てられたとのことです。
「釈迦堂」。
尊氏坐像は奥のご本堂に。
(奥の方は民家っぽかったのでお参りせずでした...)
南北朝時代の
1343年に創建。
(応永26(1419)年には、
称光天皇が蒙古使に勅して、
「関東名藍(かんとうめいらん)」の四字を書かせ、
扁額として当寺に賜った。これは関東でも優れた七堂伽藍という意。)
尊氏から
永代千貫の朱印地の寄進があり
鎌倉円覚寺流十刹のひとつに数えられました(関東十刹)。
天正年間に火災により仏殿山門を除いて消失しましたが
直ちにこれを再建。
その後、慶長14(1609)年、
兵火によって諸堂山門ことごとく灰燼に帰しましたが、
幸運にも
勅額仏殿だけは難を免れることができました。
お次は
根本山の山道を走り
「瑞光寺」へ。
Posted at 2024/01/21 15:54:00 | |
トラックバック(0) |
神社仏閣 | 日記