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レッズレノンのブログ一覧

2024年08月31日 イイね!

「新選組」を肌で感じる旅(新選組のふるさと歴史館 編)。

「新選組」を肌で感じる旅(新選組のふるさと歴史館 編)。
「日野宿 本陣」から

「新選組のふるさと歴史館」へと向かおうとすると

細道の向こうに

かわいいお堂の屋根が見えます。




こういうときは立ち寄らないと

必ず後で後悔しますので

路地裏へGO。



行ってみて、大正解。

こちら、「普門寺」

神仏分離令までは

先ほどお参りした「牛頭天王社(八坂神社)」

別当寺でした。



応永5(1398)年開基と伝えられる古刹

明治初年に

日野小学校が創設される際には本堂が仮校舎に。









寺門を入った正面にご本堂

右側に観音堂(1807年建立)。









ご本堂右には

北条氏が武運長久を祈ったという

伝説の大石
が。








「新選組のふるさと歴史館」へ向かいます。




平成17年に開館した

新選組と幕末維新、甲州道中・日野宿をテーマとする

「新選組のふるさと歴史館」















日野市の地形を表した、オブジェ。





これ、必ず行きます。















日野は、その昔

北条氏の家臣が帰農した地であるため

士風が色濃く残っている土地と知り

なるほどなー、と納得。

(江戸時代は、
近くの「八王子千人同心」の影響を受けます)




関連情報URL : http://shinsenhino.com/
Posted at 2024/08/31 18:01:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2024年08月25日 イイね!

「新選組」を肌で感じる旅(日野宿本陣 編)。

「新選組」を肌で感じる旅(日野宿本陣 編)。

都内で唯一残る

江戸時代に建てられた本陣、「日野宿本陣」



 


今の建物は

嘉永2(1849)年正月18日の大火

焼失してしまった主屋にかわるものとして建設されました。



幕末に

日野宿の問屋日野本郷名主を務めていた

佐藤彦五郎本陣兼自宅として

翌元治元(1864)年12月から使用された建物です。





かつてあった「長屋門」の左側の部屋で

「新選組」の皆さんが稽古していたんだなー。

(いまは「駐車場」大正時代の大火で焼失...)



大火をきっかけに自衛の必要を痛感した佐藤彦五郎

八王子千人同心井上松五郎から天然理心流を紹介され、

近藤周助に入門し、

自宅に道場も開きました



佐藤彦五郎は卓越した技量からか

4年後には免許皆伝をとっています。



この道場には、

やがて近藤勇沖田総司

山南敬助らが訪れるようになり、

日野出身の土方歳三・井上源三郎らを交えた

新選組と日野の人々との物語の幕が開けられたのです。

まだ、この建物が完成する前のことです。





建物は文久3(1863)年4月に上棟され、

翌年完成



上棟の少し前、

同じ文久3年2月には徳川14代将軍家茂が上洛



その警護のために

新選組の前身となる浪士組が京都へ向かっています



この浪士組

近藤勇土方歳三

井上源三郎沖田総司らが参加。



本陣の建物の準備には

10年に及ぶ歳月を費やしたと言いますから

本陣建設の槌音を聞きながら、

同じ敷地内にあった道場ではのちに新選組になる面々が

木剣の音を鳴り響かせていたことになります。






大きな改変を受けずに現存している

都内で唯一の本陣・脇本陣施設。




中へ入りましょう。



建物は切妻瓦葺で、甲州道中では有数の規模



街道側に入母屋造りの屋根と式台を持つ玄関があり、

本陣建築としての格式を漂わせています。



当初は最上位の格式の

「上段の間」と「御前の間」
がありましたが、

明治時代に移築されています。













18畳の「広間」!



「土間」





ぶっとい大黒柱









「式台」

ケヤキの1枚板の組み合わせ。





「文武両道」っていう意味。



「玄関の間」。10畳。





「控えの間」に。



「ははーーん。

この2つの部屋のどちらかが

土方さんが昼寝をしていた部屋だな......」

と思いつつ、一番奥の「控えの間」に行くと。



長押(なげし)に、

衝撃の

説明が!!




「市村鉄之助」

2年間匿われていた部屋...




突然の出会いで

ちょっと鳥肌が立ちました。


即座に畳に座り、

鉄之助の視線で部屋を見まわします。



どんな気持ちで

ここで過ごしていたんだろう...。



土方さんは五稜郭にて

もう先は長くないと悟り、

この15歳の少年に

自分の写真と遺髪、

300両を託し、

日野へと帰らせます。

(そう、ここにいる、彦五郎さんのもとに行けと)




今、私たちがこの右側のポートレート写真を見られるのも

「市村鉄之助」のおかげ。



どうやって日野まで帰ったか

今まで知りませんでしたが、

アメリカの船を土方さんに手配してもらっていたそうです。

陸路じゃ絶対に官軍網を突破できないだろう、という
わたしの積年の疑問が解決!)



「写真」「遺髪」を日野に持って行け、という

使命を与えないと

鉄之助も絶対に戦線を離れなかったでしょうね。

土方さんのやさしさが垣間見れます

(この頃の土方は相当優しくなってます)


大垣藩出身の鉄之助さん、

故郷に戻ってから、わずか2年後に

病気で亡くなってしまいます。

19歳の、若い命




<この時点では、少々

土方さんの昼寝の場所を探す気分は

吹っ飛んでます。>




畳敷きの廊下を挟んで

「上段の間」

現状で、一番格式が高い部屋です。



このもう一つ奥に(庭側に)

「御前の間」「上段の間」の2部屋がありました。













この建物には

明治天皇、伊藤博文、三条実美、山岡鉄舟なども

来ています。


「居間」



新選組からの手紙も

ここで読んだのかなー。





隣は「仏間」



「茶の間」












さて。

一通り内部はすべて拝見し

説明書きもすべて読みましたが、

「土方さんの昼寝の場所」

どーしてもわかりません。


ガイドさんが戻ってきたようなので

聞いてみました。


「あの、すみません。

土方さんが昼寝をしていたという場所は

どこですか??」



すると、ガイドさん

うれしそうに

「玄関の間」に行くではありませんか。


「土方さんはね、

ここでこうやって

式台の方に足を向けて

(斜めに)寝ていたんですよ。」




土方さんらしいエピソード!!!


なんだか納得でした。



「そしてね。この式台。」とガイドさん。


「1868年3月、

「甲州鎮撫隊」がここに来たとき、

(近藤さんは、すでに大名格)

皆、大歓迎を受けたのですが、

沖田もここに来ていて、みんなに『自分も元気だぞ』、

ということを示すために

この式台の、この高い所で、

しこを踏んで見せたらしい
です。」



ん-、沖田さんが亡くなる

4カ月前
ですね。


これも、沖田さんの皆に対する

やさしさ
が垣間見れます。



こうした、私の好きな歴史上の人物が

ピンポイントで

確実にここにいた、と確定できる経験は過去にもありまして。






歴史好きの

醍醐味の一つでもあります。





(......続く)




Posted at 2024/08/25 22:14:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2024年08月25日 イイね!

「新選組」を肌で感じる旅(日野八坂神社 編)。

「新選組」を肌で感じる旅(日野八坂神社 編)。この日は、

神流川をどんどんさかのぼって

上野村までドライブしようと思っていましたが

午後から雨模様のようなので

急遽予定を変更。




終日雨が降らない予報の

日野市へ。

「新選組隊士」ゆかりの地

この目で、鼻で、耳で、手で、足で

体験したいからです。

(都内をドライブするのは混むので好きではないのですが
背に腹は代えられません。

でもそのおかげで、途中、
山田うどん食堂本店<山田うどんらしからぬ
ちょー広い駐車場、広い店内、ロボットでの配膳など、
山田うどんファン必見!>」に出会えたし、

東村山市には
「アインPay」なるものがあることが知れたし、
(これ、志村さんが由来でしょ! と当然思いますが
市側の説明が滑稽)

東村山の寺社は意外とおもしろそうとわかったし、

やっぱり「野火止用水」大好きすぎるー、

などなど、得るものも多かったです。

でも、行きも帰りも下道で「3時間半」は大変ー)




「新選組のふるさと歴史館」の駐車場にクルマをとめ、

「日野八坂神社」へ。



「日野宿の総鎮守」で、

かつては「牛頭天王社」と呼ばれた「八坂神社」

(何年もの間、行きたい行きたいと思っていた場所)





境内のケヤキの巨木



残念ながら、枯れてしまいましたが。



1800年頃の絵図にも

しっかり描かれています。





このケヤキ、

近藤さん、沖田さんなどの姿

確実に見守っていたはずです。



新選組ファンならご存じの

「天然理心流奉納額」

まさにこの神社に奉納されています。



この奉納額、

一番左側に嶋崎(近藤)勇(まだ近藤家に行っていません)、

その隣には沖田惣次郎(総司)の名前が

記載されています。



そのほか、

佐藤彦五郎

井上松五郎・源三郎など

日野宿の天然理心流門人23人の名が記載されており

一同が、安政5(1858)年に奉納したもの。

(このとき、土方さんはまだ正式入門していません)



寛政12(1800)年に再建されたご本殿は、

棟高9.1mの総けやき造り。(今は「覆屋」のなか)







ご本殿および奉納額は、
5月の「新選組まつり」
9月の例大祭の際に公開)





床上・床下の壁面のみならず

柱、梁、高欄などにも彫刻が施され、

その壮麗さは一見の価値あり。

























ご朱印をいただきましょう!

























このあと、

「日野宿本陣」に向かい

土方さんが昼寝をしていた部屋を探しに行きますが、

まったく知らなかった事実を2つ

ガイドさんに教わりました...。




Posted at 2024/08/25 13:56:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2024年08月20日 イイね!

すてきな古刹に出会えた喜び。「光恩寺」。

すてきな古刹に出会えた喜び。「光恩寺」。
衝撃の

「赤岩渡船」で利根川を渡り

やって来ました、千代田町



渡船場から、「光恩寺」前まで

車で送ってくださった方、

本当にありがとうございました。

今度、お店の方に寄らせていただきます!



日本初の女医「荻野吟子」さんの

生家の長屋門があるというので

「光恩寺」さんにお参りに来ましたが

実は関東屈指の真言宗の古刹でした!


まずは、この空堀

印象的。



「赤岩城跡」です。



鎌倉時代

佐貫庄(館林周辺)を治めた佐貫嗣綱により築城。

佐貫氏の子孫、赤井照光は室町時代、

館林城を築き初代城主となっています。



山門南側に空堀が残り、

北西側には土塁と空堀が残っています。



境内東側の堂山古墳の円墳梵鐘

方墳に赤井照光のお墓があります。



クルマを降りる際、地元の方から

本堂左側のお堂の中を覗いて行ってください!」と

言われましたので、早速お参り。


日本最古の地蔵板碑のひとつ!

1271年建立





「光の涅槃堂」

八角形の美しいお堂。



(HPより)


帰りに船頭さんに聞いたら

ふだんは開いていないそう。

ラッキーでした。



世界的建築家の手塚貴晴氏設計の

建築物としても魅力的ですが、

内部の、釈迦如来涅槃図の世界観を立体化した空間が

これまた圧巻!!

(5メートル近い黄金の涅槃像!!)



もうここをお参りできただけでも、大満足。



「ご本堂」へ。



右側の、豪壮な庫裏が印象的。

(慶応2(1866)年の火災で光恩寺が堂宇を失った際、
これを聞いた舘林藩の家老岡谷繁実は、
その門人である豪農、荒川弥五左衛門弘文
自宅の寄進を勧めたところ、
弘文もこれに同意し移築されることになった)







ご本堂の天井画がすごい迫力だなー、と思い見ていましたが

これもあとから、船頭さんに

「人間国宝の人の絵だよ」と言われ

再訪して、もう一度じっくり拝見せねばと思った次第。





いよいよ、「長屋門」へ。



「荻野吟子」女史の像。

手前には、トンボ。

台風が来る前なので、ちょっと痛々しいお姿。





明治20(1887)年に

荻野吟子の生家の表門として移築。



お寺のSNSを見ると

年の初めには、門を通れそう...。




まだまだ見るべき場所がありますが

後日ということで、

渡船場へ。






かつての宿場町の雰囲気

かすかに感じられます。



絶品うどんと噂の「福徳うどん川崎製麺所」



「橋本百貨店」。







「赤岩渡船場 左岸」着。



























もう

帰りは船頭小屋に寄らずとも

すぐに出発の準備をしてくれました。















帰り道。

「秦公民館」の一角にある「250kg 爆弾」をチェック。

米軍の爆撃機が投下した不発弾。










Posted at 2024/08/20 19:23:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2024年08月19日 イイね!

令和の時代に、こんなシステムの渡船場があるなんて!

令和の時代に、こんなシステムの渡船場があるなんて!


「荻野吟子記念館」で手にした

1枚の周辺マップ





旅心を存分に刺激され、

急遽、予定を変更(追加)し

戦国時代からある

「葛和田の渡し」に向かいます。



途中にある「成就院」(1651年創立)。



「伊奈利神社」









あー、ワクワクが止まりません。



「荻野吟子記念館」脇の銅像の後ろには

階段があり、スムーズに土手に上がれるのですが、







地元の神社やお寺は必ずお参りしたいので、

「伊奈利神社」のそばの土手を

強引に登っていきます!

(ちょうど草刈りをしたばかりの土手でラッキー!)



記念館にいるときから気付いていましたが

ここら辺では、優雅にグライダーが空を舞っています





なんだか、厚い布と布とをこすり合わせるような音が

時折聞こえてきますが、

ウインチでグライダーを巻き上げる音のようです。

(離陸時はセスナで引っ張るしか、知識がなかった...)

けっこうな角度で、急上昇していきます...。


河川敷の駐車場に、クロスビーくんを置いて。



運行時間を、何度もチェック。

(行って、帰ってこれないと、地獄を見ます)



あとで、船頭さんに聞くと

なんと、年中無休!! (風速8m以上、荒天時を除く)



うーん。

河川敷が広大過ぎて、どこが渡し場か、いまいちわからん。





はやる気持ちを押さえつつ。



ていねーに、

看板や掲示物を熟読



ふむふむ。

「欠航時」は群馬県側に

赤旗が上がるのね。



そして、この黄色い旗!!



この旗を

するするっと上げると、

対岸の船頭小屋の人が見てくれて

船が来てくれるとのこと!!



なぜだかわからないけど

このシステムにやたら感動してしまって。




本当に巡り合えてよかったー、としみじみ。

(ここに橋が架かる予定があるようで、
戦国の昔から続く渡し船の歴史
消えてしまうかも。行くなら今のうち!)



一応、「県道」なので

運賃はタダ!!




本当に船は

私一人のために

やってくるのか?



心配過ぎて

渡し場まで来ちゃいました。





もし、

「船頭小屋」の中で談笑なんかしてたら

旗に気付いてくれないんじゃないか、などと

いらぬ邪念を抱きながら、対岸を見ていると。



お―――!!

ポンポンポンポン(これは私の心の中の音)、と

船がけなげに向かってきます!!


(実際はヤマハのモーターボート用エンジン積載)



この渡し場のシステム上、

急いで旗を下ろしに戻らねば

(でも、心はウキウキ、ワクワク)



本当にすぐに来てくれた!!

ありがとうございます!!




早速乗船。





ライフジャケットを装着して、いざ出発!



とっても暑い日でしたが

川面を渡る風は、快適そのもの



船頭さん、

向こう岸から乗られていたお客さん、

操縦士さんとわたし。


計4名での

5分弱のぷちクルージング


濃密な時間でした。







船頭さんが子どもの頃は

このような木造の船のへりから

バンバン川に飛び込んでいたそう。

(もちろん川の水は今よりずっときれい
ちなみにこの日は、前日に上流で大雨があったため濁ってます。
ふだんはもっときれいです)





船頭さん:「ところで、これからどちらに?」

わたし:「対岸に荻野吟子さんの生家の長屋門
       移築されたお寺さんがあるようで...」

船頭さん:「あ、光恩寺さんね。
       (もう一人のお客さんに向かって)
        送ってあげたら?」

お客さん:「すぐそばでお店をやっていますので
        いいですよ」

わたし:「あ、本当にすみません。歩いて15分くらいとのことなので     
       全然歩いて行けます。
       あ、そうですか。いいんですか。
       それではお言葉に甘えて...」



昔の人も、

乗り合わせた人と

いろいろな会話をしていたんだろうなー。


狭いスペースながら

360度パノラマの

最高の景色。


お互いの心も解放されます。


もう着きます。








みんなで

この看板を

フムフムと読みながら

またまた談笑。



こうして

ご厚意に甘えて、(大いに恐縮しながら)車に乗せていただき

「光恩寺」さんへと向かうのでした。

(こちらのお寺がまた、歴史のあるすばらしいお寺!!)



Posted at 2024/08/19 14:14:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

プロフィール

「「山名」さんの総氏社。「山名八幡宮」。 http://cvw.jp/b/861852/48589911/
何シテル?   08/09 18:37
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
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