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レッズレノンのブログ一覧

2025年02月24日 イイね!

一服の清涼剤。「雪の花 ―ともに在りて―」。

一服の清涼剤。「雪の花 ―ともに在りて―」。


「雨あがる」

「博士の愛した数式」

「峠 最後のサムライ」


どれも私の大好きな映画。





人間の美しい在り方を描いてきた

名匠・小泉堯史監督が、

吉村昭の小説「雪の花」を映画化した本作。



江戸時代末期の福井藩を舞台に、

数年ごとに大流行して

多くの人命を奪う疫病から人々を救おうと奔走した

実在の町医者の姿を描いています



***********************************************
江戸時代末期、

有効な治療法がなく

多くの人の命を奪ってきた痘瘡(天然痘)


福井藩の町医者・笠原良策は、

その痘瘡に有効な「種痘(予防接種)」という

予防法が異国から伝わったことを知り、

京都の蘭方医・日野鼎哉に教えを請い、

私財を投げ打って必要な種痘の苗を

福井に持ち込んだ。


しかし、天然痘の膿を

あえて体内に植え込むという種痘の普及には、

さまざまな困難が立ちはだかる。


それでも良策は、

妻・千穂に支えられながら疫病と闘い続ける
***********************************************









こういう実話ベース

穏やかな作品、大好きです!


人間ってすばらしい、と

素直に思えます。


「義は時代を超える。」





作品中

あるところで、

「雪の花」の意味が

ぱっとわかる瞬間が来ます



実に心地よい。


それが重層的な意味を持つことが

じわじわじわじわと

伝わってきます。




Posted at 2025/02/24 14:21:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2025年02月23日 イイね!

蔦重の面影を追って(4)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

蔦重の面影を追って(4)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

「九郎助(くろすけ)稲荷」跡を発見し

大満足で

またまた「吉原遊郭」のへり(南側)を散策。



いやー

町中ぶらり散歩

ある程度適当に歩くに限ります。


いいお店、見っけ♪

「甘味処 三島屋」





一度通り過ぎちゃいましたが

地元の方々が

楽しくお店の方と会話
をしながら

今川焼きなどを買っているのを見て



「これは入店しないと絶対後悔するやつだ」と思い

意を決してお店の中へ...。



入ってみて、大正解!!!

ご夫婦の接客も実にホッコリとして心地よく

リラックスできる空間


「たこ焼き」ののれんを見て

ソースの匂いを嗅いでしまっていたので

たこ焼きをオーダーしましたが

「そばもんじゃ」が名物のよう。



確かに

まわりのおじちゃん、おばちゃんは

鉄板に盛られたものを食べてたなー。



最初は混んでいたので

狭いカウンターに陣取りましたが、



席が空きましたので、移動。



行き交う人たちを眺めながらの、

極上の明るい空間


横には

私も行った

ポールのコンサートのポスター。



今回の散策で

吉原のイメージが

ガラッと変わりました。




町中を散策する限りは

実に下町風情にあふれた

穏やかで静かなまち。


(平日だったのもよかったのかも)



町中では

おじさん同士が仰々しくないあいさつをする姿が

たくさん見られました。


見ているこっちも

気分がよくなる。



おそば屋さん、

甘味処、などなど

お店の方々は

「さりげなくお客さんをもてなす」という

文化が根付いています。



「吉原」、再訪決定です。


今度は、「立ち食いそば」屋さんにも行きたいところ。

そして、「土手の伊勢屋」もリベンジ。



お次は

江戸六地蔵で有名な「東禅寺」へ。



「江戸六地蔵」は、

宝永から享保年間にかけて

江戸の出入口6か所に

造立された銅造地蔵菩薩坐像



「奥州街道」の出入り口を見守っている

「東禅寺」のお地蔵さまは

1710(宝永2)年に2番めの像として造立。



「江戸六地蔵」は思った以上に大きく

その迫力に圧倒されますよ。

(特に「笠」が大迫力!)

いつか全部お参りしたい。



境内入り口左手には、

木村屋總本店の創業者の

木村安兵衛ご夫妻の坐像
が。



(これ、すごい扱いの大きい銅像だなー、と
現地では思いましたが、
銅製の大きな説明板の文字がよみづらく
スルーしていました)



木村さんはあんぱんの考案者

初めてあんぱんを市販したことでも知られ、

明治天皇の家庭教師だった山岡鉄舟の仲介

木村屋のあんぱん

宮中御用達となったとか。



銀座本店などに掲げられている看板の文字は、

創業間もなく山岡鉄舟に依頼して

書いてもらったレプリカとのこと。



木村家のあんぱんは、

山岡鉄舟の仲介で、

明治天皇が隅田川の花見をされた際に

茶菓として供されたことがきっかけで有名になります。

だから桜の花びらが乗っているんですね。

山岡鉄舟は、奥様ブンさんの弟のご友人



ご朱印拝受。








さて、いよいよ

蔦重の面影を追う旅も最後となりました。


「正法寺(しょうぼうじ)」へ。


蔦屋重三郎菩提寺です。




(すぐそばには
沖田総司終焉の地とされる「今戸神社」が)


蔦重の人生同様、

こちらのお寺さんも

波乱万丈の歴史です。

(超モダンな外観)


蔦屋重三郎

寛政9(1797)年

47歳で病没(脚気)し、

ここ「正法寺」に埋葬されました。



周りの音がシャットアウトされるので

こうしたビルの中のお堂というのも

祈りの場として、あり、だなと思います。

すごく集中できる。

(入って右に
江戸三大毘沙門天の一角に数えられる
「開運大毘沙門天」もお祀りされています)







蔦重のお墓

江戸の大火、関東大震災、東京大空襲等で失われています。

残念。



今は、復刻された

蔦屋家の墓碑重三郎母子顕彰碑

建てられています。



碑には

蔦重の本名「喜多川柯理」が刻まれ、

碑文は蔦重と親交のあった

石川雅望、大田南畝によるものです。



先代住職、佐野詮学さんが

蔦屋家先祖累代を右に、

石川雅望・大田南畝の碑文を中央に刻み

当山が灰塵に帰するたびに

歴代がかき集め守り続けてきたご遺骨を

左の萬霊塔に安置し、

蔦屋家の遺骨の一欠片でも

碑のそばに置きたい
との思いをもって

供養を続けているそうです。



(蔦重のお骨が少しでも残っているといいな。
でも、もっとすごいものをたくさん残してくれましたね、
蔦重さん!!)


今では世界中に知られていますよ!!







「ご首題」拝受。(日蓮宗です)



蔦重ゆかりの地を巡るバスも大人気!!







摩訶不思議なまちだねえ、吉原は。

世間ってなあ、まぁ広い。

繁盛、繁盛、嗚呼御江戸。



ここまで読んでくだすった

皆皆さま。

ありがたやまの、かんがらす。

ってぇことで。










Posted at 2025/02/23 16:00:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2025年02月22日 イイね!

蔦重の面影を追って(3)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

蔦重の面影を追って(3)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。
かつて、

遊女たちの心の支え

なっていたであろう

廓の中の稲荷神社



まずは、

「新吉原花園池(弁天池)跡」

「吉原弁財天 本宮(もとみや)」に向かいます。


「福カフェ」の横を通り、



かつての湿地帯に思いを馳せながら



到着。




もう、一歩境内に足を踏み入れると

「浄閑寺」(別名「投込寺」)の時と同じ

重い空気感が漂っています。





それもそのはず。

「浄閑寺」

安政の大地震で亡くなった

新吉原の遊女たちが多く葬られましたが、



ここ、花園池(弁天池)では

関東大震災の時、大火が起こり、

当池に約490人の人々が逃れ、

溺れ死ぬ悲劇
が起きてしまいました。

















「吉原弁財天」にお参り。























「吉原神社」へ。

左側の病院は、かつて

遊女たちを診た

「吉原病院」があった場所。



吉原遊郭には、

吉原大門手前の「吉徳稲荷」

廓の四隅の「榎本稲荷」

「明石稲荷」、「開運稲荷」

「九郎助稲荷」という

5つの稲荷社がお祀りされていました。







これらの5つの稲荷社が

明治14年に合祀されて創建したのが「吉原神社」






その後、近隣の「吉原弁財天」も合祀され、

現在では計6柱の神さまが祀られています。



今回特に

「九郎助(くろすけ)稲荷」さんに

会いたかったんです!



NHK大河「べらぼう」では擬人化され、

綾瀬はるかさんが演じています。



蔦重と花魁・花の井との

実に印象深い会話の数々も

「九郎助(くろすけ)稲荷」の境内で

交わされます。







「九郎助(くろすけ)稲荷」さんに会えました。



おっ。「ミニ大門」









末社「お穴さま」

地中の神様で神社の土地をお守りしています。







ご朱印拝受。







「逢初桜(あいぞめざくら)」

逢初とは

恋焦がれている人に初めて会うという意味があります。



江戸時代より

遊客の出逢いを叶える桜として

新吉原入口の「吉徳稲荷社」脇に植えられ、

同じく稲荷社脇にあった「駒止松」

さらに新吉原入口の「見返り柳」と合わせて

「廓(くるわ)の三雅木(さんがぼく)」として

知られていました。

(現在の逢初桜
平成24年に植樹された枝垂れ桜)





吉原遊郭内の四隅

祀られていた稲荷社のうち、

最南端にあった「九郎助稲」


やはり、現地に行かないとですね。


迷いに迷って

古地図を頼りに

自力で見つけました
!!

(途中郵便配達の人に聞いてみるも
「私、ここに来て1年くらいなんです。
その住所はわかりますか?」と言われちゃいました。
えーと、
昔の住所は、
古地図から
だいたいわかりますが......)












このあと、

蔦重の菩提寺へと

向かいます。





Posted at 2025/02/23 00:00:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記
2025年02月22日 イイね!

蔦重の面影を追って(2)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

蔦重の面影を追って(2)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

18世紀半ば、

人口は100万を超え、

天下泰平の中、

世界有数の大都市へと発展した江戸





蔦重こと蔦屋重三郎は、

江戸郊外の吉原の貧しい庶民の子に生まれ、

幼くして両親と生き別れ、

引手茶屋の養子となります。

吉原の「そーゆーお店」の送迎車は
アルファード率高し。しかも黒)


血のつながりをこえた

人のつながりの中で育まれた蔦重は、

貸本屋から身を興して、

その後、書籍の編集・出版業をはじめます



この、貸本業

蔦重の運命を変えたと思います。



多くの本を見て、触り、

直接読者の意見を聞く。



今のマーケティングでも

この姿勢をおろそかにはできません。



そして、安永2(1773)年

吉原五十間道に面した

「蔦屋次郎兵衛店」を間借りし、

本屋「書肆耕書堂」を営むようになります!!





蔦重版の「吉原細見」

これがまず大ヒット。(今の「ガイドブック」)



これ、本当に実物がほしい!!



(パンフレット、観光マップもいただけます)


これが見られて、大興奮!!!!!

蔦重版の「吉原細見」

大ヒットに一役買った、

平賀源内の「序文」

(ちなみに源内さんは男色です。
その人が「女の園もすばらしいよ」というのですから
蔦重のプロデュース力の片鱗が
早くも垣間見れます)



この文章、本当に名文だと思います。

ドラマでも、じ~ンと来ちゃいました。



***********************************************
「細見嗚呼御江戸」(さいけんああおえど)

女衒、女を見るには法あり。
一に目、二に鼻筋、三に口、四にはえぎわ、
次いで肌は、歯は、となるそうで、
吉原は女をそりゃ念入りに選びます。

とは言え、牙あるものは角なく、
柳の緑には花なく、知恵のあるは醜く、
美しいのに馬鹿あり。

静かな者は張りがなく、
賑やかな者はおきゃんだ。
何もかも揃った女なんて、まあいない。

それどころか、とんでもねえのもいやがんだ。
骨太に毛むくじゃら、
猪首、獅子鼻、棚尻の虫食栗。

ところがよ、
引け四つ木戸の閉まる頃、
これがみな誰かのいい人ってな。

摩訶不思議。世間ってなあ、まぁ広い。


繁盛、繁盛、嗚呼御江戸。

(「べらぼう」第2話より抜粋)
***********************************************



吉原で懸命に生きる女郎達に対する

尊敬の念さえ感じる文章です。

まなざしが温かい!



もう、テンション

上がりまくっておりますです。はい。



「耕書堂」を営むようになった頃は

時の権力者・田沼意次が創り出した

自由な空気の中、





江戸文化が花開き

平賀源内など多彩な文人が輩出



蔦重は、

朋誠堂喜三二などの文化人たちと交流を重ね、

「黄表紙」という

挿絵をふんだんにつかった書籍でヒット作を次々と連発。



33歳で商業の中心地・日本橋に店を構えることになり、

“江戸の出版王”へと成り上がっていくのです...。









蔦重の菩提寺で

このマイクロバス、見ました。

(おばさま方がいっぱい!!)



最後に

「べらぼう」の語源がこれ!!



「へら」の棒は

穀物をつぶす道具
、ですもんね!



「べらぼう散歩」、まだまだ続く...。



Posted at 2025/02/22 17:53:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2025年02月21日 イイね!

蔦重の面影を追って(1)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

蔦重の面影を追って(1)。「新吉原」で「べらぼう」にテンションが上がる。

ドラマ「仁」にはまって以来

「吉原」のことや

そこで働いていた人たちのことを

折に触れ、調べてきました





そして、「仁」から

16年の時が経ち...。



同じく「森下佳子」さんの脚本によるドラマ

「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」

絶賛放映中。

(もう「どうする〇〇」とは、レべチの脚本!!)





当然、

蔦谷重三郎

どんな場所で生きていたのか、

その場の空気感、

彼が踏みしめていたその地面


自らの目で、足で

確かめてみたくなります。




まずは、「鷲(おおとり)神社」へ。



江戸時代までは「長国寺」の境内社である

「鷲大明神」でしたが、

明治維新の神仏分離に際し独立、

社名を「鷲神社」と改称。



毎年11月酉の日の例祭は、

酉の市(酉のまち、お酉さま)と呼ばれ、

江戸時代から続く行事。



大小とりどりの熊手、

八ツ頭芋、お多福の面などを売るので有名で、

商売繁盛を祈る商人や職人で賑わいました



もともとは農具・古着・農作物・餅などが売られる

農村的な祭が発祥でしたが、

農具の一つとしての熊手が

「福を掻き込む」と考えられ


次第に農民以外に人気を博して都会的な祭に変化



「長国寺」







「吉原」の「大門」をめざします。



「吉原」の区画

なんで「斜め」になっているか

不思議じゃないですか?





田んぼの中に隔離されているのも
「江戸切絵図」からわかります)

答え(のひとつ):
「お客さんと寝た場合、お客さんの頭が北枕にならないため


「吉原」のへり

右に見ながら歩きます。



アヤシイ建物

だんだん増えてきますが、

明らかに「吉原」の区画が高くなっているのが

実感できます!


「吉原」は、

葦(あし)の生い茂る湿地帯に堀を掘り、

その土を広大な敷地内に盛ったために周囲より

地面が高くなっています。

「葦原(あしわら)」だったものが、

「葦=悪し」ということでイメージがよくないため、

「吉」を当てて「吉原」とした説があります)


散策していると

いろんな意味

ドキドキします...。



これを見てみたかった!!

「見返り柳」



京都の島原遊郭にも同じものがありますね。

遊郭で遊んだ客が、

後ろ髪をひかれつつ

この柳のあたりで振り返る
ところからの命名。



近くに「思案橋」もあります。



遊郭に行こうか行くまいか

思案したのが橋の上、ということですね。

長崎の「思案橋」は有名です。



「土手の伊勢屋」

ここには開店(11:00)前に来て

「天丼(ロ)(2,800円)」

食べようと思っていましたが。

(ここは「松竹梅」ではなく、「イロハ」です。
理由はHPにて)



11:10頃に着くと

すでに30~40名くらいの行列。



まだまだ行きたい場所がたっくさんあるので

次回に。







「見返り柳」からS字カーブの

「五十間道(ごじっけんみち):長さが50間<約90m>」を歩くと

そこには「大門」跡!!

江戸時代、唯一の出入り口





周辺には「喫茶店」が多いのですが

フンイキが

アヤシイです。

それは、江戸時代の「引手茶屋」の

現代版
だから。

(下はごくごく一例。
吉原の喫茶店の外観、客層、内装を紹介するだけでも
ブログが何本か書けそうです。
意外と魅力的。のんびりとした雰囲気)


すごくお腹が減っていたので

「能登屋」さんへ。

創業70年



















桜の形のおにぎりも美味しい!





「吉原公園」へ。



かつて

稲本角海老と並び、

新吉原で大見世と呼ばれたなかでも

最高級クラスの格式があった

遊郭「大文字楼」がここに。



階段の下は、かつての

「お歯黒どぶ」。

高い塀と汚水が流れる黒い水(どぶ)があって、

遊廓と下界の境になっていたんだなー。



親に売られ、外部とは遮断され

最長10年という年季が明けるまで

男に体を売り、この「苦界」で暮らしていた

遊女たち


一体どんな気持ちで過ごしていたのだろう。


日記などは残っていないのかなー。


かつての「どぶ」の上に立つ。



「どぶ」から

「遊郭」を眺む。



歴史好きとして

今回一番見てみたかったのは

この「石垣」

遊郭時代の数少ない遺構

(「能登屋」の方にも場所を確認してしまいました)



吉原の歴史を見てきたんですね。









「べらぼう散歩」、続きやす...。
(ん、蔦重の話し方が移った)



Posted at 2025/02/21 22:29:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

プロフィール

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