• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kumayuのブログ一覧

2019年08月13日 イイね!

【2019年夏 遠征記その5】東京駅散歩

【2019年夏 遠征記その5】東京駅散歩 その4 からの続きです。

今回の遠征記もこちらが最終章となります。

いわきから乗車した水戸行きの列車を、終点水戸の1駅前、勝田駅で下車。
ここから始発の上野行きに乗り換えます。

発車して次の水戸駅でほぼ車内は一杯になり、その後は、乗客は入れ替わりながらも席はほぼ満席状態での移動となりました。

駅に停まるごとにまわりの雰囲気が首都圏に近づいています。取手からは快速運転となり、柏、松戸を経て江戸川を渡り東京都へ。
終点上野駅には17時過ぎに到着しました。
このまま東京駅まで移動。

この日は宿の朝食以来何も食べていなかったので、途中、神田駅で下車して、駅近くの中華料理店でビールと料理2~3品の「晩酌セット」をいただき、東京駅では、周辺を散策。

0813-39
広場の水たまりにも、丸の内駅舎が映っています。

0813-40
0813-41
0813-42
0813-43

0813-44
0813-45
丸の内側から、東京国際フォーラムを経由し、有楽町をかすめながら八重洲口まで巡ります。

0813-46
今回の旅の最後の食事は、八重洲口の牛タン屋さん「ねぎし」で、牛タンの単品とビール。

時刻は19時30分、新幹線で帰路につきます。
帰省客で混雑する東京駅ですが、この時間の下りの新幹線車内はそこまで混むことも無く、乗り込んだのぞみの自由席も5~6割ほどの乗車率でした。
東京駅を静かに発車。新幹線で発車直後に見える有楽町や銀座付近の雑踏は、私の好きな車窓風景のひとつです。

都内を過ぎると、新幹線からの車窓は街灯りも少なくなって、ほぼ真っ暗です。
そんな中、上を見上げると綺麗な月が顔を出していました。

最後はあまり関係の無い内容でしたが、今回の遠征で短時間ながら現地に赴いたことは、改めて東日本大震災を考えるいい機会になりました。
帰宅してからの連休の残りは、時間があれば震災に関連することをネットなどで調べたりしながら過ごしています。

ということで、ここまでご覧いただいた皆様、お付き合いいただき、ありがとうございました。

Posted at 2019/08/18 09:34:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2019年08月13日 イイね!

【2019年夏 遠征記その4】福島 浜通りを行く

【2019年夏 遠征記その4】福島 浜通りを行くその3 からの続きです。

0813-2
宿を発って、朝の仙台駅へ

0813-3
乗り込むのは常磐線、原ノ町行き。手前の利府駅始発で、通勤などの客で混雑していましたが、ほとんどは仙台駅で下車して空いた座席に腰を落ち着けます。

ホームの発車メロディー、ハウンドドッグの「フォルテッシモ」が流れると発車。仙台市の郊外を抜けると、一面、仙台平野の広大な田園が広がってます

途中の駅やすれ違う対向列車には、仙台方面に向かう乗客が多く乗り込んでいますが、こちら方面に乗り込む人は僅か。

途中、亘理町の浜吉田駅から相馬駅の手前、鶴ヶ嶺駅までは津波の被害を受けて線路が付け替えられた箇所。真新しい高架から、田園の緑の絨毯が広がっています。

0813-4
岩沼駅から常磐線に入っても風景はそこまで変わらず、相馬駅でも何人かの乗客が下車して、車内はさらに長閑なまま、9時40分、終点の原ノ町駅に到着。

ここで、3駅先の浪江行きに乗り換えます。
この日の行程は、このままずっと常磐線を南下すること。
途中では、原発事故による帰還困難区域を通ります。ちなみにクルマの場合、常磐道も並行するR6も、一般車の通行は可能です。ただし、そこからそれて帰還困難地域に許可無く立ち入るのはもちろん、道路上も緊急時以外の停車などは禁止されています。
(2019.8時点、常磐道の自動二輪車の通行は可能ですが、R6等の一般車通行可能な一般道では、すべての二輪車、自転車、歩行者の通行はできません)
常磐線は、未だ不通ですが、不通区間は代行バスが運行されていますので、今回はそちらを利用します。

4両編成の浪江行きは、1車両あたり10人ほどの乗客を乗せて原ノ町駅を発車。
20分ほどで浪江駅に到着しました。
ここから先の鉄路は不通、富岡駅まで代行バスとなります。
列車を降りた人たちのほとんどは、そのまま代行バスの乗り場に並びます。

0813-7
代行バスの停留所。乗り換えの時間は20分ほど。代行バスは1日あたり片道5~6便ほど運行されていますが、このバスの次だと約5時間後までありません。

0813-8
静かな駅前です。

0813-9
レンタカーの看板も。富岡駅までの片道をレンタカーで移動することも可能なようですね。

0813-10
5分ほど待っていると、代行バスがやってきました。
並んでいた乗客が静かに乗り込みます。車内は8割ほどの埋まり具合でした。見た感じ、旅行客がほとんどのようです。今は18きっぷのシーズンですので、このまま乗り通す人も多いのでしょう。

バスは運転手のほかに、添乗のガイドさんもいて、案内などをやってくれます。
発車前にガイドさんから案内放送。「富岡駅までの所要時間は約30分を予定しております。車内でごゆっくりお過ごしください」と、どこかの観光バスにでも乗っているかのような丁寧な案内です。
しかし、それに加えて乗車上の注意として、「写真撮影は外の風景のみOK。車内の撮影および、個人の顔が特定できるような写真撮影は禁止」「帰還困難区域を通過するので、窓は絶対に開けないでください」という放送も流れます。

バスは定刻に発車。駅前の市街地を抜けます。ところどころ、窓ガラスが割れたり、庇のビニールシートが破れて垂れ下がったままの商店も見ますが、営業中のスーパーでは、駐車場もほぼ満車となっていて賑わっていました。

R6に入り、ほどなくすると「これより帰還困難地域」の看板が現れます。

0813-11
まわりの風景はそれまでとそこまで変わりませんが、脇道へ入る入り口にはすべてゲートが設けられて、警備員や警察官が常駐しています。

以下、走行中の車窓からの撮影ですので、若干のブレがある点、お許しを。
0813-12
0813-14
0813-15
0813-17
0813-20
0813-22

0813-24
0813-26

途中の道路上には線量計も設置されていますが、一瞬で通過したので数値はしっかりと確認できませんでした。

予定より若干早く、帰還困難区域を抜けた先の富岡駅に到着。
ガイドさんの丁寧な放送に送られながら下車します。

ちなみに、こちらの不通区間の開通は、来年3月頃の予定、とのことです。

0813-27
富岡駅は津波で流された後に新しく再建された駅です。
綺麗な駅舎と駅前広場は、大きな荷物を持った乗客と地元の人たちらしき人で賑わっています。折りしも、富岡駅着の下り列車も到着して、浪江方面への代行バスに向かう人たちがバス乗り場に続々と向かっていて、さらに賑わってきました。

0813-29
列車の乗り継ぎ時間は30分ほどあるので、少しだけ駅前に佇みます。

0813-28
駅舎に隣接する、「さくらステーション KINONE」。
コンビニとしての機能のほかに、お土産や食事もできます。
私と同じバスから降りたほとんどの人が、待ち時間を利用してこちらに吸い込まれていきました。私もお店で飲み物を買い求めます。
仙台を出た時にはそこまで暑くなかったのですが、このあたりまで来るとだいぶ暑くなっていて、買い求めた飲み物を一気に飲み干します。

近くのベンチに佇んで、歌を小さく口ずさんでいる1人の男性に目が留まりました。「浜通り~…」と口ずさんでいるのが聞こえてきましたので地元の方なのかもしれません。
帰宅してからも色々と調べていると、富岡駅周辺の震災以前の写真があり、駅前には多くの建物が建ち並んでいました。

0813-30
改札を抜けてホームへ。
青い空、そして青い海が間近に見えます。ここから海辺までは300mほどの距離だそうです。

0813-31
0813-32
富岡駅始発の列車が、静かに待っていました。特急列車にも使われるようなこちらの列車が、富岡からいわき駅までを結んでいます。やはり珍しいのか、乗客たちも、さかんにシャッターを押していました。
デッキと仕切られているので、ドアが閉まる音に気付く間もなく、静かに発車します。

0813-33
常磐線のこのあたりの駅は、木造の雰囲気のある駅舎です。隣の竜田駅。以前は、ここから浪江や原ノ町まで、代行バスが発着していました。

0813-34
次の木戸駅。

0813-35
終点のいわき駅には12時過ぎに到着しました。
いわき市は、仙台市以来の大きな街で、もう1日、日程に余裕がればここに宿を取ってじっくりと巡りたかった街。
しかし、今回は、乗り換え時間は30分ほど。ですので、駆け足で駅周辺をぐるっ、と一周することにします。

0813-36
0813-37
やはり、これでは「街歩き」とはいえません。この街にも申し訳ない気がして、また次回、ゆっくりと巡ることにします。

乗り込んだ列車は水戸行き。ロングシートですので車窓はしっかりと眺めることができません。時折目を閉じながらも、列車に揺られていきました。

その5 に続きます。
Posted at 2019/08/16 23:03:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2019年08月12日 イイね!

【2019年夏 遠征記その3】仙台の夜

その2 からの続きです。

仙台駅に到着したのは19時。ここまでお付き合いしてくれたレンタカーのフィット君を返却。
その後、宿泊するホテルにチェックイン後は、すぐにこの日の夕食と夜の散策のために再び街中へ。

まずは夕飯、の前に駅の窓口で翌日のきっぷを買い求めます。ちょっとややこしい経路なので自販機では買えず、みどりの窓口で購入、その後、いよいよ夕飯へ。
仙台駅はさすが、飲食店が充実していて、目移りするほど。
名物といえば牛タンなのですが、駅構内の「牛タン通り」はどこも長い列。ですので今回は牛タンに拘らず、地元ならではの料理をいただけるお店を探します。

1時間近く回って、いくつか候補を絞り込んだ後、1軒のお店へ。

0812-26
まずは、仙台名物笹かまぼこの炙り、それに仙台のお隣、登米市名物の油麩と、なすのおひたしを肴に、ビールで乾杯!

笹かまぼこはふわっ、とした食感が優しく、油麩は麩にだしの味がよく沁み込んで、そこに油で揚げたコクも加わって、これまたビールにも良く合います。

0812-27
続いていただいたのは、牛タンのミンチカツ。こちらもビールとの相性がとてもよく合います。

0812-28
最後は、今回、残念ながら訪れることのできなかった、石巻の地酒をいただきます。そして、本日2皿目の笹かまぼこ炙り。

地酒は、非常にサラッとした口当たりが私の好み。合い間につまむ笹かまぼこは、わさびだけを少し添えます。この組み合わせが、もう最高で最高で…笹かまぼこの食感があっさりした中にも深いお酒の風味をより引き立たせ、わさびもお酒の香りを引き立たせるとても良いアクセントになっています。この組み合わせを選んだ自分を褒めてあげたくなりました(笑)

お酒をいただきながら、今日1日のこと、そして、震災が発生したときのことを思い起こします。

2011年3月11日、あの日は金曜日でした。翌週の月曜日は免許の更新に行くために有休を取ったので、せっかく3連休にしたのだから翌土曜日は少し遠出しようかな?と朝から少しワクワクした気分でした。

会社で仕事中に地震が発生、このあたりは、大きくはないのですがとても長くて、今まで感じたことのない不気味な揺れ方でした。会社のみんなで情報収集し、関東から東北、それも仙台の方が凄いことになっている、ということで、それからは確認作業などをするうちに仕事が終わってしまいました。
そそくさと帰宅してテレビを見ると信じられない光景が…そして、今回訪れた気仙沼市内をはじめ、各所で津波のほかに火災が発生して、壊滅的な被害を受けている、という報道が続々と流れていて、本当のこの先どうなるのだろう?と不安になったことも覚えています。

とても衝撃的で、翌日に行こうとしていた遠出はもちろん行く気になれずに中止。土日はほぼ、テレビの前でまんじりとしないままに過ごします。
免許の更新だけは予定通り行ってきたのですが、それ以外はやはり、テレビで状況を食い入るように見ていました。

当時の私のブログ記事です。

おそらく、あの日に居た人たちは皆、それぞれにどう過ごしたのか、克明に覚えているのではないでしょうか。

…お店を後にして、ほろ酔いのまま夜の仙台市内を少し散策します。
国分町あたりまで行こうか、とも考えたのですがちょと距離があるので、駅近くを歩きます。

0812-29
夜の仙台駅デッキを歩きます。

0812-30

まだ、お腹に多少余裕があったので、1軒の立ち食いそば店に入ってうどんをいただきます。
最近は、このように遠征先で夕飯後に散策した後は、立ち食いのうどんかカフェのコーヒーで締める、というのが定番になってきました。

0812-31
温かい月見うどん。これで飲んだ後の胃腸も優しく温めます。

0812-32
うどんで満足し、さらに少し散策しながら宿に戻ります。こうして、仙台の夜はふけていきました。

翌、8月13日朝、宿で気持ちよく目が覚めます。いつものように朝食場所にはオープン後すぐに向かいます。
0813-1
朝食バイキングは種類が多く、どれも美味しそうで迷いながら選んだのがこちら。
宮城県のご当地グルメである麻婆やきそば、笹かまぼこ、そして気仙沼といえば、のふかひれスープまでいただけるちょっと豪華な朝食です。
お盆時期でホテルはどこも割高で、その中でいちばんお値打ちでしたので選んだ今回の宿ですが、この朝食は嬉しい誤算でした。

お腹も一杯になったところでチェックアウト。

この日は1日、鉄道の旅。仙台駅に向かい、次の目的地に向かうのでした。

その4 に続きます。
Posted at 2019/08/15 15:27:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2019年08月12日 イイね!

【2019年夏 遠征記その2】気仙沼 震災遺構・伝承館

【2019年夏 遠征記その2】気仙沼 震災遺構・伝承館その1 からの続きです。

南三陸町を後にして、ここからは三陸道ではなくR45の一般道をさらに北上します。

三陸道は交通量もかなり多く、仙台からここまでも所々で渋滞が発生していたりして、思いのほか時間がかかりました。
一般道のほうが若干交通量が少なめで流れも良い感じ。

0812-16
国道と並行するように、JR気仙沼線のBRTが走っています。

リアス式海岸沿いを走るR45は、起伏も激しく、海沿いを少し走っては勾配が上がって山地になり、またすぐに勾配を下りて海沿いに、という繰り返しです。

よく目にするのがこちらの標識。
0812-17
「ここから…」だけでなく、「ここまで…」もあり、走っていると交互に登場します。
やはり、この標識を境に、周りの風景も少し違っていて、「ここまで…」の標識を過ぎると、建物も周りの木々も、前からの変わりない風景が広がります。

R45を走ること1時間ほど、気仙沼市に入り、岩井崎方面に右折して少し走ると、次の目的地「東日本大震災遺構・伝承館」に到着。(トップ写真)
震災前までは、気仙沼向洋高校という学校だったこちらの施設は、津波に襲われたときのままの状態をそのまま残すことで、震災の記憶を語り継いでいます。

駐車場に入ると、当時の校舎だった大きな建物が姿を現しました。
遠くからみると特にどこも変わらない学校の校舎なのですが、近づくと、窓ガラスはなく、内部は薄暗く静まり返っています。

付属する伝承館から入場します。
まずは、シアターで映像が上映されますので、そちらを見ます。やはり、夏休みからか、家族連れなどの観光客の姿も多いです。

映像では、津波が襲来したときの気仙沼市内の各所の様子が映し出されます。
津波と、それに伴う火災も発生して、市内が壊滅的な被害をうけた様子が映像と音声で克明に記録されています。
13分の上映時間が、あっという間に過ぎていました。

一緒に映像を見ていた人たちが1つのグループのような感じで、その後の館内の展示を見て回ります。
(伝承館内は撮影不可ですので、写真はありません)

そして、震災遺構である、旧校舎内に。

造りはごく普通の学校の校舎です。しかし、教室や実習室、トイレなどはどこも、瓦礫が散乱していて、書きかけのノートや本、プリント用紙、さらにはパソコンなどがその瓦礫の一部と化してあちこちに散らばっていました。

窓ガラスはすべて破壊されていますので、中にも磯の香りとともに風がかすかに吹いてきています。

こちらの旧校舎を含む震災遺構内は撮影可ですので、何枚か撮影しましたが、そのうちの一部をこちらで紹介。
0812-19
3階フロアになります。ここには窓からクルマが流されてきていました。

0812-20
校舎屋上へ。ここにも机や椅子が散乱してます。津波はすぐ下の4階フロアまで迫っていて、屋上に避難した人たちが、さらに少しでも高い所に・・・と、屋上建物の脇に机を積み上げた様子が、今も臨場感をもって伝わってきます。ちなみに、当時学校に居た人たちは、全員避難できて無事だったそうです。

0812-21
0812-22

0812-23
折れ曲がった杭に、アサガオの蔓がしっかりと巻きついています。

0812-24
校舎に、流れてきた工場の建物がぶつかった跡。
ぶつかった場所がもう少しずれていたら、校舎自体も危なかったようです。

0812-25

伝承館に戻ります。別のシアタールームがあり、さきほどとは別の映像が上映されていました。椅子に落ち着いて、じっくりと見ることにします。

最初の映像から、校舎を巡り、そしてまた別の映像を見終わった後…自分の中で、切なさや驚きから未来への希望など、色々な思いが駆け巡ります。
ここで言葉に表現するのは非常に難しく…ただ、機会がありましたら、是非訪れて実際に見聞きしていただきたいな、ということと、来て本当に良かった、ということ…今の私にはそれだけしか言えないです。

駐車場に戻ると、時刻はすでに夕刻が近い時間になっていました。この日の夜までに仙台に戻り、レンタカーを返却しないといけません。
気仙沼の市街を少しだけ経由して戻ることにします。

気仙沼の町は、一見、普段と変わりない日常が続いているように見えます。しかし、これまで見聞きしたことを思い返すと、実際にはまだまだ、本当の平凡な日常生活は取り戻せていないのかな? ということは感じてしまいます。

ここから仙台まで140kmほど。帰りのR45~三陸道も交通量は多く、混雑気味の中、黙々とクルマを走らせます。
仙台駅前に到着したときにはとっぷりと日も暮れて、街灯りがひときわ明るく煌いていました。

その3 に続きます。
Posted at 2019/08/15 11:50:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2019年08月12日 イイね!

【2019年夏 遠征記その1】南三陸へ

【2019年夏 遠征記その1】南三陸へ 8月12日~13日にかけて、夏の遠征に行ってきました。
この時のお話を、またしばらく綴っていくことにします。

今回の行き先は東北、三陸海岸の宮城県部分です。

東日本大震災…これまで、映像や様々な読み物などで見聞きしていましたが、はたして今、実際に自分がその光景を目にしたときに、どう感じることができるのか?ということと、自身もこのことを忘れないためにも、少しでも、現地の状況を実際に目に焼き付けておきたい…なんとなく、ではありますが、かなり前からそう思っていました。

実は、6年前に仙台~山形を訪れた遠征のときにも、少しだけ寄り道をして、仙台近くの津波被害があった箇所をわずかな時間ですが回っています。
海に近いその街を初めて訪れると、一面に空き地が広がっていました。最初からこんな風景なのかな、と思ってしまいそうですが、クルマのナビ画面には、何も無い場所に商店や施設などがいくつも表示されている、ということが衝撃でした。
真夏の昼間、静まり返った空き地のところどころに供えてあるお花が、風で静かに揺れています。
その時の私には、黙って手を合わせることの他に、なすすべがありませんでした。

この時の印象は私の中で、相反する2通りの思いとしてずっと残っていて、上述のように再び実際に目にすることで、何かを感じたいということと、果たして訪問することがいいのか…ということの葛藤の中で間が開いていました。ですので、昨今の遠征でも、近くまでは来てもそこから先は足が進んでいません。
今回、ようやく自分の中で踏ん切りをつけることが一つの機会と捉えて、この遠征を少し前から計画していました。

私のブログでも、関連の記事は初めて記すことになります。

午前5時、自宅を出発。今回は時間的な制約があるので、行きは新幹線で向かいます。
0812-1
静岡付近から見る朝の富士山。いつ見ても日本を象徴するに相応しい山容ですね。
上り進行方向、右側座席に座っていますが、この付近からは一瞬ですが、右側から富士山が見えます。

0812-2
東京駅から、東北新幹線に乗り換え。
お盆の帰省ラッシュで、構内はごった返していました。

0812-3
はやぶさで一気に仙台駅へ。到着したのは午前10時過ぎ。

この日は、ここからレンタカーを利用して巡ることにします。
0812-4
今回、お付き合いしてくれるのはこちらのフィット君。
以前、こちらの前期型のフィットには乗っていましたので、型は変わりましたが感覚は共通するものがあり、今乗っても非常に乗りやすいです。

まず、向かうは南三陸町。
三陸自動車道を走ること2時間近く。最初の目的地「南三陸さんさん商店街」に到着します。

0812-5
志津川ICを降りて少し走ると、見えてきました。近くの駐車場は混雑していたので、少し離れた臨時駐車場にクルマを停めます。

0812-10
こちらの「南三陸さんさん商店街」。津波被害を受けた志津川地区の商店の方々が集まって、仮設の商店街を開設したのが始まりです。ちなみに、現在は仮設ではなく、2年ほど前に移転して常設の商店街としてオープンしています。

まずは、街の復興を目指す象徴として聳え立つ「モアイ像」へ(トップ写真)。
南三陸とモアイ像の故郷、チリとの縁は昔のチリ地震津波の時からあるそうで、震災後にチリから寄贈されたモアイ像が、震災前から10mほどかさ上げされた、真新しい橋や土地を背景に、復興を静かに見守っています。

0812-11
商店街には、飲食店やコンビニ、お土産屋さん、衣料品店や理容店まで、28軒ものお店が並んでいます。私もまずは、プチ街歩きを楽しみます。

お店を見て回っているうちに、時刻はすでに13時過ぎ。昼食はこちらで、と最初から決めていました。しかし、名物の海鮮丼「キラキラ丼」を出すお店はどこも行列。

0812-8
こちらの「タコぷりん」。キッシュのような感じで美味しそうなのですが、あいにくと今の私は内臓の関係でタコは食べられない身体。
どうしたものか、と思うも、まずはこちらのお店でソフトクリームをいただきます。

0812-7
モアイ像を眺めながらいただくソフトクリーム。爽やかな甘味が口の中に広がります。

美味しかったのですが、それだけではお腹は足りず…さらに他のお店を色々と物色していると、目に留まったのがパック入りのまぜご飯。「タコごはん」「ウニごはん」などがあり、結構美味しそう。

0812-9
買い求めたのは「ウニご飯」。フリーのイートスペースがあるので、そこでいただきます。
ご飯を一口、口に運ぶと、ふんわりとウニの風味が…これは美味しい。一気にいただきます。

お腹が満足したところで、商店街のすぐ近くにある「見晴らし台」に向かいます。
まだまだ周辺は工事もあちこちで行われていて、空き地も多いのですが、見晴らし台は小高い丘になっていて、上からその様子を眺めることが出来ます。
階段を登って最上部へ。日差しは強いですが空気は心地よく、そこまで暑さは感じません。

0812-12
0812-13
港の方向と陸の方向を眺めます。
震災後の工事でかさ上げされた土地はまだ空き地も目立ちますが、そこに少しずつ、新しい住宅やお店も建ち始めています。

頂上の台を囲む柵にある2枚の写真に目が留まります。
0812-14
震災前と震災後の同じ場所の航空写真が並んでいます。

0812-15
震災前、今から10年ちょっと前に撮影された写真です。
そこには、建物が密集する志津川地区がありました。ここに住む人たちの日常が
あります。
…6年前に訪れてナビの画面を見たときと、同じ感情がこみ上げてきました。

私は「街歩き」を趣味としていて、このようにブログを立ち上げては、今まで色々な街の様子を駄文と下手な写真で曲がりにも伝えてきました。
街の大小にかかわらず、どんな街でも、そこに住む人たちの息遣いや日常を直に感じることに魅力を感じ、その魅力を少しでも、ブログを見に来てくださる方々に伝えたかったからです。

津波が襲う前までは、6年前に訪れた街も、ここ南三陸町も、そのような魅力ある日常があったのでしょう…。

でもまた、ここから再び、新しい「日常」を取り戻すために、様々な人が様々な努力をしている、今はまさにその真っ最中だと、自分なりに感じます。

私が語れるほど簡単なものではないかもしれませんが、何がしか自分に出来ることはないか? 今一度そう自問自答するきっかけを、この2枚の写真は与えてくれました。

その2 に続きます。
Posted at 2019/08/15 00:25:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記

プロフィール

「街歩きの記録『東北地方編』 https://minkara.carview.co.jp/summary/12892/
何シテル?   01/20 22:53
ルーミーやハスラーで行く、ドライブラリーと下道ドライブ、1泊や日帰りの街歩き小旅行、更には日常生活で興味のあるお話などなど、ブログで細々と綴っていきます。 ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2019/8 >>

    12 3
45678910
11 12 1314151617
18192021222324
25262728293031

リンク・クリップ

街歩きの記録 
カテゴリ:街歩きの記録
2010/06/20 13:32:53
 
ドライブラリー デジタルトリップの距離計測方法 
カテゴリ:ドライブラリー関係
2007/05/06 20:39:40
 
OQM 
カテゴリ:ドライブラリー関係
2007/02/15 21:47:58
 

愛車一覧

トヨタ ルーミー トヨタ ルーミー
アルファードに代わり、ぐっと小さくなってルーミーがやってきました。 取り回しの良さと後席 ...
スズキ ハスラー スズキ ハスラー
スイフトスポーツに代わってやってきました。 可愛さの中にも精悍さがあるデザインに魅かれて ...
ホンダ フィット ホンダ フィット
ドライブラリー&通勤専用車として、2003年2月~2008年8月まで活躍してくれました。
ローバー 200シリーズ ハッチバック ローバー 200シリーズ ハッチバック
95年式 ROVER216GTIです。(2000年~2002年所有) スタイルと内装の良 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation