その3 からの続きです。
四国の鉄旅から帰宅後、5月2日は休出で少し仕事。
3日〜5日は混雑を避けて遠出はせず、ブログの更新の他は近所の散策や妻との買い物などで過ごしました。
そして5月6日、日帰りのお出かけをすることに。
朝6時前に出発。ハスラーは妻が出勤で使うので、アルファードを連れ出して、東海北陸道を北上します。
荘川ICで下りて、五箇山ICまではR156を経由。
久しぶりの合掌集落を通過。
良いお天気で、雪を抱いた白山連峰を見ながらの気持ち良いドライブです。
再び東海北陸道から北陸道、片山津ICで降ります。
加賀温泉郷の傍を通り、インターから20分ほどで到着したのは、加賀市橋立の伝統的建造物群保存地区。江戸時代から明治の初めにかけて、北前船の運航を担っていた船主たちの住居が今でも多く残っている街並みです。
その中心に、「北前船の里資料館」があります。
北前船は、江戸時代、北海道から日本海〜関門海峡〜瀬戸内海を経由して大阪を結んだ西廻り航路を行き来した運搬船のことです。
単に運搬だけでなく、途中の寄港地で積載品の取り引きも行っていて、衣食住に係る様々な荷物を載せていました。
橋立は、そんな北前船の寄港地のひとつで、ここを根拠として自前の船を持つ船主も多くいました。
そんな船主屋敷の一軒を、こうして資料館として公開されています。
入場料を払い、さらに検温とアルコール消毒も入念にした上で中へ。
写真撮影はOKでしたので、一部だけ紹介。
北前船の解説から、船内の装備品や携行品、帳面など、当時使われていたものが多数展示されていて興味深いです。
一度航海に出れば、現在の金額で数千万〜億近い売り上げがあったといわれ、高額な稼ぎが期待されたということで、屋敷自体も蔵も併設された立派なものです。
反面、海難事故のリスクも常に伴い、また船上の労働は過酷なもので、乗組員の苦労も展示物や解説から詳しく知ることができました。
資料館の係員の方と少しだけ談笑しながら、街並み散策の道順も教えていただき、資料館を後にします。
家並みを散策します。左側には日向ぼっこ中のワンちゃんが。さっき教えてもらったにも関わらず、方向を間違えて戻って来た私を、見るともなく見ていました。
「展望の道」を歩きます。
こちらでは、ネコものんびり散策しています。
板壁の家が続き、その間を海からの風が吹き抜けます。
その海沿いの道へ。
西出朝風という歌人の歌碑、その向こうに青い海が広がります。
日本海を行き来した北前船は、この海からここに立ち寄り、また発っていったのでしょう。今日はいいお天気で穏やかな海ですが、こんな日ばかりではなかったでしょう。
以前、小樽を訪れた時から、北前船の歴史には少し興味を持っていました。その関係で訪れた橋立の街ですが、かつての繁栄を偲ばせる家並みがしっかりと残っていて楽しい散策が出来ました。帰宅後に、ネットなどで再び北前船について色々と調べたのは言うまでもありません。
クルマに戻ります。
次に向かうは、福井県に入り坂井市の三国。ここからは1時間弱の道のりです。
R305へ。この日はここから先、しばらくこのR305を走ることになりますが、途中でいったん右に曲がり、海沿いをいくr7へと歩を進めます。
海の見える良さげなスポットで1枚…
東尋坊のすぐ横を通りますが、有料の駐車場に停めて見物するほどの時間がなく…そのまま先にある、えちぜん鉄道の三国港駅に向かうことに。
三国港駅に到着。(トップ写真)
パーク&ライドができるように、電車利用者には駐車場が用意されています。クルマはここに停めて、この先は再び「乗り鉄」に…。
えちぜん鉄道は、この三国港と福井駅を結ぶ三国芦原線と、勝山から永平寺を経由して福井駅を結ぶ勝山永平寺線の2つの路線があります。今回は、三国芦原線で福井市に向かいます。
ちょうど、折り返しの電車が到着する頃でした。
駅は無人駅なので、切符はどこで買うのか車内で運転士さんに聞いたところ、整理券を取って降りる時に駅で精算する、というような説明でした。運賃箱に入れて降りるのだろう、と思いこみ、あらかじめ1000円札を両替して小銭し、整理券と一緒に握りしめます。
ちょうど駅近くで写生をしていた小学生のグループも乗り込んで車内は賑やかになったところで発車。
すぐに海から別れ、芦原温泉の最寄り駅、あわら湯の街駅を過ぎると、広大な水田の中を疾走しています。途中、福井方面に東から南向きにカーブしたほかはほとんど線路は直線。水田の中をまっすぐに一本の線路が伸びています。さすが米どころ福井平野です。
小学生のグループは途中で降りましたが、それでも車内の座席はほぼ埋まるくらいの混雑の中、福井の市街地へ。福大前西福井駅からは、やはり学生らしき若い人も乗り込み、福井鉄道との乗換駅である田原町駅は福井市内の軌道を走る電車も停まるように高低が違う2種類のホームを見かけます。
そして、運賃の精算ですが、田原町駅からは女性の乗務員さんが乗り込んできたので、そこで精算することが出来ました。
福井駅に到着。
恐竜もお出迎え…
時刻はお昼時。ここで昼食ですが、福井と言えば、の越前そばは食べられない体、他に何か、と駅近くのお店を回るものの、どこも混雑。
福井駅の構内に「今庄そば」の立ち食いそば店があり、前にも何回か利用したことがあったのですが、今回もそちらに向かいます。
やはり混雑していましたが、それでも注文したらすぐにいただけました。
天玉そばではなく「天玉うどん」。そばとうどんを選ぶことが出来ます。
(見ていると、9割くらいのお客さんは「そば」を選んでいましたが)
美味しく戴きましたが、うどん1杯ではまだ腹5分目。しかし、少しお腹が落ち着いたので、そのままJR北陸線の列車に乗り込みます。
敦賀行き普通列車。
先日乗ったJR西日本の新快速と同じ系統の車両で、座席に座り、JR西日本仕様の駅名標を見ると、なんか数日前の鉄旅の続きをしているようです。
しばらくして発車。建設中の北陸新幹線の高架から別れ、メガネの街鯖江を過ぎ、武生駅で下車。
JR武生駅。
ここから線路沿いに少し戻ると、福井鉄道の越前武生駅があります。
せっかくなので少し遠回りして街の様子を眺めながら向かいました。
越前武生駅。
帰りは福井鉄道で戻ることに。
福井鉄道の田原町行きは1両。市内の軌道も走るので路面電車仕様です。
これとは別に、さきほど乗ったえちぜん鉄道の途中、鷲塚針原駅まで乗り入れる電車もあります。こちらは新型の2両編成で、しかも急行です。
越前武生駅を発車した電車は、ゴトゴトと福井市に向けて北上します。風情のある旧い駅舎が特徴の北府駅を過ぎ、鯖江の象徴的な公園、西山公園の横を通ります。鳥羽中駅の先からJRの南福井貨物駅に近い花堂駅まではほぼ線路は一直線。商工会議所駅からは路面電車となり、福井城址大名町駅で下車。
その名の通り福井城址の西側になります。
こちらで降りたのは、福井名物ソースカツ丼のお店「ヨーロッパ軒」総本店の最寄り駅だからです。
フェニックス通りの西側、飲食店街の先にお店はあります。いつもは敦賀駅前のお店に行くので、こちらの総本店は初めてです。
ソースカツ、メンチカツ、それにエビカツの3種丼。ボリュームいっぱいなのでご飯は少なめにしました。
これで、お腹もいっぱい。
このままJR福井駅まで戻ります。
福井駅。駅舎に大きく恐竜が描かれているのが特徴ですね。写真には写っていませんが、巨大な恐竜の像も見ることが出来ます。
今は、新幹線ホームの工事が急ピッチで進められていますが、まもなく開通する北陸新幹線の敦賀開業に備えてか、駅前は再開発の真っ最中。これからの街並みが楽しみな福井駅前を歩きます。
コンコースを渡った反対側にあるのが、えちぜん鉄道の福井駅です。
帰りの三国港駅行きは、学校帰りの高校生で混雑していました。しかし途中駅で次々と降りていき、終点の三国港駅に到着する頃には車内は私1人です。
三国港駅に戻ってきました。
クルマに戻り、R305で越前海岸を走ります。
時刻は16時過ぎ。よく通るR305ですが、やはりこの区間は夕暮れに近い時間帯に走るのが良いですね。
大小さまざまな漁村を通過、呼鳥門に近いこの場所で休憩。少し傾いてきた太陽の光が海面にキラキラと輝いています。
R305の途中で日が暮れるのかと思っていましたが、敦賀近くでR8に合流してもまだ外は明るいままです。
ということで、このまま敦賀港に近い「金ヶ崎緑地」へ。
金ヶ崎緑地は、明治~昭和戦前まで、欧州へ向かう航路の出発、到着地だったところ。緑地内にある敦賀港駅まで列車が乗り入れ、乗客はここで船に乗り換えをしていました。
また、その旧敦賀港駅舎や「敦賀ムゼウム」など、歴史を学ぶことのできる資料館や、赤レンガ倉庫なども残っていて、歴史と旅情を感じるお気に入りの場所です。
ちょうど、海の向こうの山に日が沈む頃になりました。
今回の連休は、去年一昨年とはちょっと違って、少しだけ気兼ねなくお出かけができた連休でした。海に輝く夕陽を眺めながら、今回の遠征を振り返ります。
振り返るにはちょうど良い場所、ちょうど良い時間でした。
ということで、非常に長くなってしまいましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。