6月12日の木曜日は、休暇を取得して奈良市内まで行ってきました。東大寺の散策とヴォーリズ建築の探訪が目的です。エクストレイルを奈良公園の南側、高畑町のakippaの駐車場にとめて、まずは腹ごしらえに向かいます。
奈良公園が近い住宅街なので、鹿が悠然と散歩しています。
昼食は、高畑町の喫茶「みりあむ」でいただきました。
妻は「シチューライス」を注文。しめじと鶏肉の入ったクリーミーなシチューです。
私は「カレーライス」を注文。私の注文は失敗でした。クセになる人はクセになるそうですが、通常のカレーとはまったく違う味わいで、つらくなるぐらい苦みのあるカレーでした💦
昼食後は、歩いて奈良公園内を北上。しばらく観光客もまばらでしたが…
土産物屋が並ぶあたりからは、外国人観光客と修学旅行生であふれかえる状況でした。
東大寺の正門、国宝「南大門」が見えてきました。現在の門は、鎌倉時代に再建されものです。
門の高さは25mあまり。門の下の人の大きさと比べてもらうと、大きさがよくわかると思います。
南大門の中には、国宝「金剛力士像」。奈良時代の仏師、運慶や快慶らが刻んだ仁王像です。
向かって右側が、口を閉じた「吽形像」。
向かって左側が、口を開いた「阿形像」。
吽形像の大きな脚。仁王像は、プラモデルのように幾つものパーツでできているそうですが、ぱっと見る限り、つなぎ目のようなものは見当たりませんでした。
南大門の下層は、天井のない腰屋根構造。屋根裏まで達する大円柱は、長さが19mほどあります。
南大門をくぐり、東大寺ミュージアムの入口前へ。盧舎那仏の実物大の掌のレプリカが展示されています。
右手は「施無畏印(せむいいん)」、「何も恐れたり、怖がったりしなくてもいいですよ」という意味が込められ、左手は「与願印(よがんいん)」、「皆さんの願いを叶えて差し上げますよ」という意味が込められているそうです。
大仏殿中門前の「鏡池」へ。どこへ行っても鹿が佇んでいます。
鏡池は、大仏殿がしっかり水面に写り込む撮影スポットです。修学旅行生も、こちらで集合写真を撮っていました。
国宝「大仏殿」の前は、驚くほど多くの観光客が集まっている状態。大仏殿には、何回も来ているので、今回は中門の外から眺めるだけにしました。「盧舎那仏」の姿も拝めませんでしたが、大仏殿前の国宝「八角燈籠」の様子はうかがえました。
大仏殿の伽藍を東側に回り込みます。こちらは「七重塔相輪」。55年前の大阪万博の会場で再現された東大寺「七重塔」の相輪で、万博終了後、塔は解体されましたが、相輪が東大寺に寄贈されています。 建立当時の東大寺には、東西に高さ70mほどの七重塔が並んでいたそうです。現存する最大の木造の塔、東寺の五重塔より13mほども高い塔です。
大仏殿の伽藍から東側の高台に延びる急な石段「猫段」を上がります。一説では、「この石段で転ぶと、来世は猫になる」という言い伝えがあり、こちらの石段を猫段と呼んでいるようです。
階段を上がり、後ろを振り返ると大仏殿が望めます。秋の紅葉の時期は、素敵な写真が撮れそうです。
猫段を上がって左に入ると「辛国神社(からくにじんじゃ)」があります。
辛国神社の別名は「天狗社」。東大寺初代別当の良弁が東大寺創建に様々な障害を加える多くの天狗を改心させたことが由来となているそうです。大きな提灯には、天狗が手に持つ「草うちわ」が描かれていました。
元来た猫段の方に戻り、東に進むと国宝「鐘楼」が見えてきます。鎌倉時代に再建された建物です。
鐘楼に吊られた国宝「大鐘」は、高さ3.86m、直径2.71m、重量26.3t。東大寺創建当初のもので、日本三名鐘のひとつに数えられています。現在でも、ほぼ毎日午後8時に撞かれているそうです。
あまりに大きな音が出るため、鐘の一番良く音が出る位置からずれた位置に当たるよう撞木が取り付けてあるという言い伝えもあるそうで、確かにずれた位置に当たるようになっていました。
鐘楼の脇から北側に延びる細い階段を下りていくと綺麗な水が流れる小川がありました。こちらでは、6月初旬から中旬にかけて、「大仏蛍」と呼ばれるゲンジボタルが見られるそうです。
そして、この辺りから「二月堂」へ延びる土塀が並ぶ「裏参道」が始まります。二月堂に登っていく道は、いくつかありますが、こちらの裏参道がおススメです。
裏参道沿いには、祭事で使用される餅をつくためのもち米を育てている「二月堂供田」がありました。ちょうど田植えが行われた直後のようでした。
趣のある土塀と石畳の小径を進むと国宝「二月堂」が見えてきました。
古都奈良に春を告げる「お水取り(お松明)」は、こちらの「二月堂」で行われます。お水取りには、正式には「修二会(しゅにえ)」と呼ばれる祭事で、旧暦の2月に行なわれることで、こちらの建物が「二月堂」と呼ばれています。
階段状の回廊を上がっていきます。
二月堂は、常に門が開かれ、夜間も明かりが灯されており、いつでも参拝が可能です。
かなり高い位置にありますので、奈良市内を一望できます。夜間に参拝すると夜景が綺麗に見えるかもしれません。
こちらは、松明を転がし始める位置。安定するように窪んでいて、周囲には少し焦げた様子がありました。
二月堂の麓には「若狭井(わかさい)」という井戸があります。「お水取り」は、観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式です。非公開のこの井戸は、若狭の国までつながっていると言われています。
二月堂の南側には、東大寺最古の建物「法華堂(三月堂)」があります。堂内には本尊の「不空羂索観音像」を中心に合計10体の国宝の仏像が並んでいます。こちらは、次の機会に訪問することにしました。
法華堂の南側には、菅原道真に所縁のある「手向山八幡宮」があります。こちらは、立ち寄ってみるともりでしたが、運悪く閉門(?)の日だったようです。
八幡宮の前には、正倉院ではないですが、校倉造の宝物庫が並んでいました。
その後、元来た道を戻り、高畑町方面に向かいます。
高畑町の閑静な住宅街に残る「旧栗盛吉蔵邸」に到着。私の大好きな建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズが設計した住宅建築です。栗盛吉蔵は日本画家で、志賀直哉とも交流のあった「高畑サロン」の一員だったとのこと。この住宅建築は、昭和初期に建築され、その後永らくヴォーリズの設計であることは忘れられていましたが、20年近く前、当時の所有者から奈良市に対して文化的価値についての問い合わせがあり、調査の結果、意匠や残された資料などからヴォーリズの設計だと判明したとのことです。
私自身、近畿圏のヴォーリズ建築はすべて見て回ったと思い込んでいたのですが、4月下旬ころ、「現在所有する住宅メーカーが、奈良県内に唯一残されたヴォーリズの住宅建築を老朽化のため取り壊しの予定」というネットニュースを見て、初めて奈良県内にヴォーリズ建築が残されていることを知り、何とか取り壊される前に訪問したいと考えていました。
敷地の正面北側。なぜか土塀が途切れた部分がありました。建物1階には大きく高い窓が連なる部屋。北側の安定した光を取り入れるアトリエでしょうか。また、2階には大きな丸窓がありました。ヴォーリズの住宅建築らしい和洋折衷の意匠です。
建物西側の2階部分にも大きな窓を備えた部屋がありました。2階部分にサンルームが設けられているのかもしれません。あちらこちらに割れている窓ガラスもあり、建物の保存状態はあまり良くありません。
同じく建物の西側には煙突らしきものがありました。居間などの家族が集う部屋に暖炉が備え付けられているのも、ヴォーリズの住宅建築の特徴です
敷地の西側にも立派な土塀が続き、建物の南側には雑草が生い茂った広い庭が広がっていました。庭の隅には建物や土塀と同じくベージュに塗られた蔵もありました。
最近になって建物の保存を求める声が高まり、建物の取り壊しは一旦保留され、保存に向けた検討も始まったようです。非常に困難な道のりとは思いますが、建物内部の見学できる日が来ることを楽しみにしています。
ヴォーリズ建築をしっかり堪能した後は、高畑町の少し変わった名前のカフェ「空気ケーキ」へ。
妻は「空気ケーキ」の抹茶。私は「チョコレートケーキ」を注文。イチゴがたっぷり入った美味しいケーキでした。
たくさん歩いて疲れた身体にしっかり糖分補給できました。