知足不辱 知止不殆
(足るを知れば辱しめられず 止まるを知れば殆うからず)
ーー「老子」四十四章
我が家にClio2RSがやってきて2ヶ月ほどが過ぎました。
実際に所有してあちこち一緒に出かけてみると、なんとも定義しづらい良さを感じます。
「あ、こういうのがホットハッチなんですね」と一人納得している次第です。
このフィーリングは一体なんなのでしょう?
私のClio2RSは乾燥重量にして1070kg、全長*全幅*全長 3770*1660*1410と車検証には記されています。前後重量は690kg *380kg、出力は169PS/6250rpm 20.4kgm/5400rpmかな?
まあ、イロイロ手が入っている車なので、この辺はよくわかりませんです。
ハイパワーなターボ車にお乗りの方は、過給がかかってからの、あのワープ航法の感覚がお分かりかと思います。MEG3RSがまさにそうです。当然のことですが、Clio2RSよりも圧倒的にMEG3RSは速い。同じく品というか、上質さでもClio2RSはMEG3RSに大きく水をあけられています。
MEG3RSを4000rpmあたりで踏み込んだ時に感じる恐怖感。自分の安全や日常が手からこぼれ落ちていくのがわかるあの感覚。Clio2RSにはそういった類の高揚感はないように思います。
3000rpmで踏んでも、5000rpmで踏んでも同じように加速します。それはどこか破滅的な恐怖と愉悦を含んだMEG3RSの加速とは違い、ただあけすけにハイな趣です。
このフィーリングに大きく関わっているのは、サイズと重さなのは間違い無いと思います。
前述の通り、サイズは3770*1660*1410。
試しにヴィッツの諸元表を見てみると、3945*1695*1500。
ヴィッツよりも小さい。この5ナンバーの小さなサイズが、車体の輪郭を身体の延長のように感じることができる所以だと思いますが、それだけではないとも思うのです。というのも、ごくたまに運転する機会のある軽自動車では、自身の身体の延長を操っているような、自在な感じを覚えたことはありません。
例えば自分の体のことを考えてみた場合、自分の手足が今どこに、どんな姿勢でおかれているかを、人は目を閉じていても感覚情報を通じてイメージすることができます。と同時に、四肢が自分の意のままであるとういう思いを抱くには、思い描くイメージと大きく乖離することなく動かすことができるという条件も不可欠です。ある時には素早く、ある時にはゆっくりと。自在に。
こうした四肢の動きや自身の重心が運動の意思と素早く連動して、ボディイメージとずれることなく動くことが、身体の統一性や円滑な思考と運動実行の連結、それがもたらす安心感や自在感の源ではないかと思います。
だからこそより慣性力の少ない軽い車こそ運動の意思と実行のラグが少なく、身体を動かすイメージに近しいのであり、また軽さに加えて車体を意図するだけ、イメージ通りに動かせるレスポンスと「過不足ない」パワーが必要とされるわけで、軽自動車の0.66Lでは自在感を得るのが難しいのかもしれません。
Clio2RSのF4RはワイヤースロットルのNAらしいフラットな出力で1070kg(総重量1345kg)をイメージ通りに運んでくれます。
油圧ステアリングはMEG3RSとお揃いの330Φ。
そして本っ当によく止まる。
曲がるも進むも自在。
予想外がないのです。
そしてClio2RSに乗った後のMEG3RSの良さときたら。
1490kg, 250〜273PS, F4Rt。たいそうやかましいClioの後に乗って踏み込むと、過給のガブガブ空気を吸い込む音が前よりも耳につきます。すごく好きな音です。速すぎるやら、シフトチェンジは気持ちいいやら、純正サスはやっぱりイイやら、本当に良い車です。
身体の一部ではなく、強固な外骨格でも纏っているような、自分ではないものに変身したような、重量ゆえにワンテンポ遅れるこのストロークとリアの接地感が非日常を持ってきてくれます。
それでも同じ車であるということか、荷重の動かし方や内輪の感じ方とか、少し車のことがわかった気がしたり。
どちらの相棒も可愛くてしゃあないこの頃なのです。
早く本格的に皆さんとまた交流できるくらい時間ができないものか。。。
Posted at 2019/01/29 23:53:24 | |
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MegとClio | 日記