去年の今日。
雨で寒かった。 ミゾレまじりの中、お参りに行ってた。
大切な人の祥月命日だけは忘れない。 きっと。
元旦からチョッキリ1ヶ月。 早い。。。。早すぎるよおっかさん(^▽^;)
ちようど半月ほど前、もっともっと大切な人達のたくさんたくさんの命の・・・・・祥月命日になってた。
前後でしつこいほど「もういいよ、やめようよ」と言いたくなるほどニュースはうるさかった。
傷ついた人達の気持ちに火を付け、逆撫でするような報道に、、、、、気持ちが疲れた。 正直。
そのとき、よく聞いたのが、そして何かあるといつも耳にするのが
「命の重さ」
ということ。 命は重い。。。。とても重たくてそして大切。
いつも聞いていた言葉なのに、その時はやたら気になった。
いつまでも・・・・心のどこかに釣り針が引っかかったように。。。。何かかひっかかったように、ずーっと
考えていた。
「命ってそんなに重いんだろうか」。
「命の重さに・・・・」 「大切な命の重さが・・・・」 「命の重みに気づいて・・・・」
たくさん聞くけど、私は命ってそんなに重たくないと思う。
ものすごく大切だけど、尊いとも思うけれど・・・・「
重たい」って表現がもしかしたら私の思うところと
一般的な人の思いが違うのかもしれない。
命ってもっともっと軽くてシンプルなものでいいと思う。
だから簡単に潰れたり壊れたりなくなっても誰もなんとも思わない、んではなく。 (力説)
軽くてシンプルだから何かあったときにすぐに誰かの手が差し伸べられたり助かる確率が高くなったり
もっと素直に愛されたり搬送されたり。。。。。。。。。。。。。天国へもきっと、軽い方が行きやすい上りやすい。
重たければ重たいほど、人の気持ちにもずーーーーーーーーっと残っていつまでたっても重いまま。
軽くていい、シンプルでもいい。
その分ものすごく大切にされて愛されて長生きできると、、、、思いたい。
軽いから、いつでも気楽に思っていられる。 笑顔を届けられる。
重たい重たい、と深刻に思えば思うほど、辛くなるし苦しいし、本当にやるせない。。。。
「
重たくて大切だからこそ」 より 「
大切でものすごくシンプル」だから、いつも携帯できる。 気持ち。
彼女は。
ものすごく気持ちも・・・・身体も。 ものゴッツ重たい人やった(^▽^;)
ダイエットなんて言葉はビョョ~ンっと弾け飛んでしまいそうなお腹に (笑 喜怒哀楽の激しい心の病。
腕にはたくさんのリストカットの跡があって手の付けられなくなった時は本当にお手上げだった。。。。
そういう意味では「重たかった」のかもしれない。 けれど気楽におしゃべりしている時、笑っている時の彼女はとても優しく身体も、気持ちもふくよかな素晴らしい女性だったと思う。
今は私の中で彼女はものすごく、軽い。
なのでいつもコロンと笑って「いつもありがとう (^▽^)ノ」って、それからいろんなことも伝えられる。
彼女の父親がくじけずに凹まずに毎日を元気で過ごしてくれているよう、いつもお願いしてる。
「ちゃんとパパさんの背中、押してあげてね~! ケリいれてやっていれてやって! (笑」
とか。 今日はお参りしてきた。 届けてもらいに行ってきた。
「いつもありがとう (^▽^)ノ」の笑顔と一緒に言葉や気持ちも届けられていると思う。 そう信じている。
軽いからこそ、届く・届けられるんかもしれへん。
ものごっつ大切かもしれんけど。 重たくはないと思う。 重たいって思うと辛さが増す凹
たくさんの軽い命の気持ちを私はいつもいっぱい持てていると思う。 持たせていただいてると思う。
ものすごくありがたい。
重たくて辛いのんやったら、いつもそんなに持たれへん凹
軽くてシンプルだからこそすぐ助かる。
いつも一緒に居てられる。
そんな命の方が私はうれしいな。
そんでもやっぱり「命は重たい」んでしょうか。 バカな私に誰か教えてやって下さい(^▽^;)
いつも一緒に好きだった酎ハイとか飲んでるのに、なんだか今日は飲めなかった凹
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今日の小包 | 日記
Posted at
2011/02/01 22:09:56