ちょっといろいろ
大変だ凹
詰まりつつ、一日。
泣いても笑っても、一日。
怒っても笑っても、一日。
。。。。。笑うというよりにやにや系が多い(^-^;
あやしい、けれどどれも一日なら笑っていられるほうがいい。
そんな一日の終わり...な夕方のニュースでけっこう思いの深いところでニュースがあった。
ニュースでは 無理心中らしいと伝えていた。
よく「心中」って聞くけど「心」と「中」で、なぜ?
そんなこと考えながら悔しくて勢いで食べていた夕食。
身近ではいないしそんな話もない、たまにニュースで聞くくらい。
共倒れ、でも共同自殺でもなく。。。。。「心」が入るのにそんな哀しいこと。。。。
ってことで調べたら出てくる世の中。ありがたすぎ。
①、「心中」という表現は非常に日本的な表現で、それを中国人に漢字で示しても、
また韓国人に示しても通じません。
中国語では「情死(qingsi)」ですし、韓国語では「同伴自殺(トンバンチャサル)」です。
②、これは相思相愛の男女が、その真実の心を相手に示す証拠としてともに死ぬ、
そのお互いに「心の中を見せる」行動というのからきたようです。
『広辞苑』には「それならばおれに惚れたという心中を見しや」という文が引用されています。
その言葉だけの引用であるため、自殺を前提にした言葉であるのかははっきりしませんが。
ただ、こうした表現から共に死ぬということに発展していったと思われます。
③、近松門左衛門(1653~1724)には有名な『曽根崎心中』、『心中天の綱島』など、
いわゆる「心中」ものがあり、大評判となります。
近松門左衛門が「心中」を「男女が死ぬこと」という意味で表現したのか、
その「男女の心の中」という意味で表現したのかは定かではありません。
また、彼が元祖だと主張するものでもありませんが、
この近松の「心中」ものが、「添い遂げられない男女の自殺」という言葉の定着に
決定的な役割を果たしたのは間違いないと思われます。
④、さて、「無理心中」に話を戻します。
心中は②で書いたように、「相思相愛の男女が、その真実の心を相手に示す証拠としてともに死ぬ」、
つまり、お互いに「心の中を見せる」行為です。
ところが、その思いは一方的である場合、
例えばある男性が好きな女性に振られて絶望し、その女性を殺して自分も自殺するケース、
それは「殺人」ではあっても本来の意味での「心中」ではありません。
それは「無理強い」された「心中」なのです。
なんですと。
いろいろあったけどわかりやすそうなやつ引用。 とはいえわからんよ凹
相思相愛の。。。。。。ちゃうやんなぁ、最近は凹
とりあえず誰かと一緒に命を絶つようなことすれば心中って言われて「真実の愛を相手に示す」なんてことないようなのも多いと思う。
それでも最初に心中、なんて使い始めたからそのまま引き継がれてるのね。
「こころのなか」なんてなんとなくイメージは悪くない言葉がとても辛くて哀しいものになるのはなんとなく納得いかん。
いろんな言い方が、やれ差別だのなんとかハラスメントだの失言だのと揚げ足とられるような時代。
当たり前のようにニュースでいう「しんじゅう」も別の言葉に変換してもらえんかのぅ。。。。
できれば見聞きしてそんなに辛くない言葉でたのむよ。
なによりそんなことがニュースにならない、そもそもそんなことのない毎日であればとなおさら願うばかりなり。。。。
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今日の小包 | 日記
Posted at
2025/06/02 21:28:37