医者行ってきました。
写真は別のー医者のー
診察室っ
いつもの皮膚科の診察室は「室」ではあるものの入り口は扉ではなくカーテン^^;
50-70センチくらい離れた診察室の前に座っていると中の会話がダダ聞こえ漏れ。。。
皮膚科だけあってそんなに深刻な人生相談とか病気の話はないであろうものの、、、いつだったか聞いたらあかんような会話も聞こえてションボリ涙。
しかしいつもものすごく混んでいて診察までには時間がかかるんです(長
んで呼ばれて入ってさっそく
「毎年のことなんですけど^^; 」
と手袋を外していいかげんボロッた手指をみせて先日なんとかパワーパッドなら濡らさなければきれいに治る「はず」という話と、しばらくそれをやったらアカンかったんでバンソコにしましたショボーンと伝えとりあえず傷口を見せると先生はムンク顔のようになって
「こりゃもうしもやけじゃないしこうなったらそのなんとかパワーで治らないんじゃ。。。^^;」
黙々と別の軟膏を取り出してペタペタ。。。。1つ1つバンソコ貼って下さるよよよよよ。。。。
「んじゃ軟膏をたくさんめに出しておくからそれで様子みて」
で、処方箋もろて帰ってきた山の上は風が強くて冷えてました凹
いちおう指には4つ、バンソコが貼られていて痛みとか冷たさが少しでもマシなのは人の手で治療してもらったからかなと思う。
不自由な手で一人でバンソコ貼るのもいいけど手を出して誰かの手で軟膏塗ってもらってバンソコ貼ってもらうもの・ことほど「治療」ってないような気がした。
痛い時にイタイところに手を当てる・・・・「手当て」って言うんですね
(
☆「手当て」のホントの意味
お腹が痛い時や足がつったなどの時に無意識にそこに手が行く経験は誰にもあると思います。人間の生得的に備わった自然の反応です。ところで、私たちは病気になったりすると薬を飲むことがありますが薬が直接病気を治すのではなく、体に本来備わった自然治癒力を上げる補助的な役割のものであるということを聞いたことはあると思います。実は「手当て」もその自然治癒力のひとつの反応なのだという説があるのです。昔の人は感覚的にそのことを知っていたのかもしれませんね。西洋医学の台頭で薬が直接、病を癒すと私たちは錯覚しがちで、この自然な体の反応の機微を見落としているのかもしれません。)
というのがあります。 子供の頃、ケガしたとき親の手が「よしよし大丈夫」って当てられただけでなんとなく安心するような。
自分にそれだけの元気とパワーがあるなら自分の手を当てて我慢してれば乗り越えられるかもしれませんが弱ってたりしんどい時は誰かの暖かな手がとてもいい。
もちろんそれですべてのケガや病気が良くなって治る訳ではないのですが気持ちだけでも痛みがなくなればずいぶん違いますよね。
医者なので仕事だから嫌でも手を出して治療しなければならない時も多いと思います、
けどそれ以外の別のとき、別の誰かから差し伸べられた手は決して邪魔でもないだろうしありがたいと思う。
暖かさや優しさもあるかもしれない。
冬場はいつも手は雪女・氷喪女よりつめたーーーぃんですけど^^;
誰か手を必要としてる人・とき・ものがあれば惜しみなく手を差し伸べられるようになれたらいいなと思ってます。
金銭的な支援という意味ではなく、いつだったか車椅子で通行にちょっと難儀していた家族の脇で道を開けて通りやすくしたことがあってお礼を言ってもらえた。
きょう、エレベーターに乗っていたら赤ちゃんが抱っこされてこちらを見ていた。
「かわいいですね♡」 にっこり笑って伝えて赤ちゃんにぐーの手をふりふりしたらめっちゃ喜んでくれてた。
そんな些細なことでもいい。 それが自己満足でも 「良かったな」って思えたら。
パパさんにウフフとサービスしてもらう手当じゃないです^^;
休日出勤してかわりにもらう手当でもないです^^;
付加価値でもらう手当でもないっす^^;
やーーー
ウフフと笑顔をみせてよっしゃよっしゃとお小遣いくれるパパでもいたら。。。。@遠い目
ま、そんな手当のある生活してたらしもやけにはならんな凹○
しもやけ女にそんなパパもでけへんやろうし(ノД`) ←なぜ泣く
っちゅうか。
帰ってきて手洗い・うがいして「ほえほえー」っとカガミを見てスマイルした瞬間に般若顔になったのは
家の中で首にタオル巻いてんですけど(もれなく小さいカイロ包)
それ巻いたまま、出ずっぱりであちこち半日ずーっと歩きまわってたじゃないですかっ(´;ω;`)
マフラー巻いてたから。。。。。。。。っといっても夕方までは暖かかったからときおりマフラー外してたしなぁ。。。。
誰か教えてくれよなっ(´;ω;`)
手当より耳打ちw
Posted at 2020/01/24 23:59:21 | |
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