
そろそろ月末。
町を走る子供の姿が
「やや」
少なくなった「ような気がする」
それは偏見なんだろうか。
「えっへっへw 家で宿題やっとんねん、がんばれよーーー」
自分の子供時代をシミツク思い出して鬼のように後悔をしながらオイオイと泣きながらやや焦りながらw
「もっと早くからチョッとずつでもやっておけば。。。。。(´;ω;`)」
と思うこと、何度あっただろう。 学習能力というものが皆無な子供だっただけに
「いつもなんでもギリギリまで」
放置することで間際にピンチになるのはわかっていても、、、、それでたぶん60ウン年くらい「なんとか生きてこれた」んだもん、
「アカンかったらしゃあないやん」
という、半ば開き直りの鬼厚かましい根性「だけ」で生きてこれた、いや生かしてもらってきた、そんな気がする。
がしかし、例えばドリルを埋めるのに「わわわわ」と無意味な単語や文字を必死で書き込んでヘヘッと苦笑いしながらソーーっと出すことはあった「かも」しれんが
「誰かがやってくれる」
と思って期待したりお願いしたり委ねたことはなかった。 うん。 ないと思うぞ。。。。。
がしかし。
夕刻のニュースを見ていてあんぐりと目をむき牙をむ。。。。いてないけどご飯中だったのでモグモグしながら
「夏休みの宿題、読書感想文をネットで買うの、禁止ね」
というニュースに驚いた凹○
たぶん大人がちょっとした子供向けの本をザックリ読んで子供のような書き方で
「おばあちゃんの宝物をみつけた、主人公の知恵がすごいなとおもった」
とかなんとか書いたりするんだろうw
それが1000円もしない価格で売り出されていて「おっ」っと思ったお母さんとかお父さん、困窮してるお子さんが「やった!」って買って
「できましたーーー へへー凸」
ってしたり顔で提出して 「
よかったねー」。
「それでいいのか??!」
「ダメです」
とは言わない。 けれど。。。。。。。。。。。。。。。。。
宿題って「課題」になってプレッシャーになるから「後でいいや」って逃げたり置いておきたくなったりしちゃうんだけど例えば好きな授業で実験があってもれなく感想や手順を書いたり説明するのは率先して楽しくやれてたのかもしれない。
「こんな楽しいことがあった凸」
と思わず書きたくなる自慢したくなるようなこと、親も一緒になって書けるようなもの、こと。。。。。
もし親がいなくてもそこまで楽しいことがなかったとしても、例えば満月がキレイだった、トンボ飛んでた、蝶を観た、ゴミ拾った、ご飯おいしかった、、、、、、
そういう気持ちを子供に気づかせる・見いだせる感性やそこからある意味のやる気や言葉、行動を引き出させるような教育ってできたらいいのになと思った。
どこかの誰かが書いた読書感想文を「ボクの作品です」って提出した子供はもしかしたら大人になって
「ナンボか入れたら入学できるだろう」
「卒論も誰かがやってくれるだろう」
「就職もいくらか出せばどこか入れるだろう」
「貯金おろして貢げば結婚できる」
そんな人生になってしまいやしないんだろうかとモンペ喪女は勝手に心配しておる凹
そしてそんな人生で、子供ができたら
「パパがやってたから宿題は買えばいいよ」。
ほんとに言いそう・やりそうだわ(^o^;)
ナントカも金次第とは言うけれど。
どれだけお金があっても手に入れられないものはたくさんある。
「若いときの苦労は買ってでもしなさい」
って言葉も出てきたけど子供が買うのは苦労ではなく「楽」な時代になったんやぁ。。。。。
ま、「これからの人生に絶対に役立つ苦労」 なんて売ってないもんね凹○
もしいま、私にうひょひょひょ、、、、という程のお金があったら。
うん、どうしたらいいのかな。 宿題はもう買わんでいいしなw
いや、言わないでおくよ。
Posted at 2018/08/29 21:54:41 | |
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