
書いていたら消えた。
一瞬で凹
いろんな気持ちや思いを込めて書いていたけれど
消えてしまったものは仕方ない。
書き直す。 同じことはもう書けん凹
今日はお寺さんにお参りに行ってきた。
いつも・・・・・・・・とはいえここ半年くらいは見かけなかったお賽銭箱の上に置いてある年忌表と宗派の案内・・・
の裏なんだか表にその季節にあったような丁寧で優しい教え? が書かれた紙面がある。
いつも良いことが書かれていて「誰かに、、、」と思うんだが持ち帰ってもなかなか渡せず部屋のこやしになってしまって猛省。
今日は久しぶりに目にしてお参りのあと、このとても柔らかなピンクの紙面に書かれた内容を読んで涙が出そうになった。
「施し」
ということで布施の気持ちを持ちましょう、とのこと。
「和顔施」 「眼施」 「言辞施」
など、よく見聞きするのにいろいろな「施し」がありますが
にこにこと暖かな眼差しで優しい言葉を、
ということ。
自分に余裕がないとき、人のこと構ってらんねぇ! ってくらい視野も気持ちも狭くなりがちですが
余裕があって優しい気持ちでいられたら、誰かに優しさ、わかちあえる。
自分も常にそうでありたいと思いつつもそれだけの余裕はなかなかない現実。
というのもいつだったか行ったなじみの(?) 薬局で薬剤師さんにしもやけでヒエッヒエになった手を出して「こんなに冷たくなってどうしましょうねぇ」 とショボンで言うと 「わ、めっちゃ冷たっ(驚) 大変ですねぇ。。。。暖めてあげたいわ」 などと暖かい手でほんの少しニギニギとさすってくれた。
その気持や行動、そして暖かい手がものすごくありがたかった。
今の自分にまさかそんな暖かい手はないので凹 もしとても恵まれた環境で暖かい生活をしていてヒエヒエの友人でもくれば存分に暖まってもらえるようにすることはできると思う。
思う。 が、しかし現実的にそんな環境ではないので単なる理想論なのかもしれない凹
「あたたかい言葉と笑顔」。
お金がなくても、もれなくできることだけれどどこへ行っても誰しもがそうではない。
年末に行ったお店やあちこちでねぎらいの言葉と「良いお年を」と伝えたと書いた、ちょっと驚きうれしそうにしてもらえたと知人に言うと
「商売だし。 普通は言わないから」
とのこと。 客だから店員には言わなくてもいいのかな、けれど言われたらうれしいよ。 たぶん。
なるべく言葉には気をつけようと思っていてもうまく伝えられないときも多いし誤解されがちなことも。
「ありがとう」 「うれしいね」 「お疲れさま」 「よかったね」
にっこりと言い合える、そんな誰かがいたらいいのかもしれないけれど今の私には自分で呟くかこうして書いて分かち合うことしかできない。
それでも十分にありがたいし、いいと思う。
「布施」って 「施し」 でもある。 施し、布施って
「与えること」
とウィキに書いてあった。
「与えること」 って書くとなんとなく上から目線ぽくてやや苦手だけれども
「わかちあう」 って考えたらもうちょっと優しいかな、と思った。
微笑みも優しい言葉も。 暖かい気持ちや喜び、嬉しさ、時には辛いことも。。。。
ぬくもりや優しさ、笑顔になれる何かがあったときにもれなく分かち合える、
そんな毎日そしてそんな人間になれたらいいなと今日はこの紙面を持ち帰って何度も読み返しながらなんとなく考えた。
もしそれで誰かが微笑んでくれたり喜んでくれるようなことがあれば勝ったも同然w (最後の〆がどうもおちゃらけていて反省)
いいこと、
わかちあおう。
Posted at 2019/01/12 22:00:29 | |
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