
出かけてました
今にも降りそうな雲の一日・・・・・
何日も、そんな感じの空で。
出先で見上げた空に白い雲がぴっかぴかに光っていてなんだかちょっと元気もらえる。
「じぃちゃんが亡くなった日は晴れてたんだろうか」。
しばらくして何度も何度も空を見上げて
「いたいたっ」
ほんとに大声で嬉々として叫ぶ年寄りは私くらいなのかもしれませぬ^^;
久しぶりで本当にうれしい。 息をするのも忘れて何枚も何枚も、、、
「ありがとうね凸」
「じぃちゃんが亡くなった日は、どんな月だったんだろう」。
ずーーっとチラチラ見ながらニコニコでうれしくて。
しばらくしたらさすがに流れてくる雲に覆われてしまった凹
「おじいちゃん、いつもありがと。 おばあちゃんや家族、みんなのために戦争いって・・・・
私はじぃちゃんの亡くなった場所をハッキリ知らない。
たぶんあの頃はフィリピンが戦場だったらしいから、そこらへんのどこかの島らしい。
何度もお墓参りに行って「ナントカ島」って書いてあるの、見てるはずでも覚えてない凹
たぶんおばあちゃんも行ったことないんだろうと思う。
亡くなった日とナントカっていう島で、としか知らない。。。。。
むかーしから携帯電話やスマートフォンなんてのが普及してたら
行く時に持っていっておばあちゃんとやりとりしてたかも。
でも
「あした、飛んでくから」
なんて聞きたくないだろう。 おじいちゃんだったら黙って行くのかもしれない。
どうやっておばあちゃんの耳に届いたんだろう、それすら知らない。
たぶん遺骨もない。 戦没者の墓だけある。
お寺さんに行って
「おじぃちゃんに「お疲れ様とありがとう」をよりいっぱい届けてもらえますよう祈り願ってきた。
争うことのないように、とも。
もし生きてたら私は孝行できてただろうか。 壮絶におばあちゃんのこといじめてたからじぃちゃんにも・・・・
いやいや、じぃちゃんがおばあちゃんのこと守ってくれて私がいじわるできないようにしてたと思う。
そもそもじぃちゃんとおばあちゃんがどうやって知り合って結婚したのかも知らない。 馴れ初めすら聞いたことない。
おじいちゃんが亡くなって、、、、なにやら商売をしていたおばあちゃんは女手一人でがむしゃらに頑張って残った家族や兄弟を守ったとは聞いた、かな。
ということはじぃちゃんは商売人だったんだろうか。
毎日、空に向かってじぃちゃんに「ありがとう」って笑顔と言葉を届けてる。
それでも極悪な孫だったからたまに(いつも)怒られる凹。
じぃちゃんが亡くなった日を検索して調べたら、もしかしたら天気や月もわかるかもしれない。
けれどなんとなく、それも怖いし知りたいけど知りたくない。。。。
あの頃は毎日が戦いで毎日、たくさんの命が亡くなっていた。。。。
じぃちゃんだけが特別なんじゃない。 けれど私にはたった一人のおじいちゃんだもの。
ホタルを観に行けば、またおじいちゃんに会えるかな、行こうかなと思ったけれど最近ちょっと時間と体力がない^^;
それでもかわりにこんなにいい月に逢わせてもらえた凸
おじいちゃんや、たくさんたくさんの命が月になって(星になってって言わない) みんなを優しく見守ってくれてると思う。
これからこちらも梅雨入りになるとますます月には逢えなくなる凹
今夜の月はとても貴重な、そしてありがたい、うれしい光でした。
もれなくおすそ分けさせてください。
月が見える時は争いはないよ、月が観えない時も諍うこともないよ。
みんなに優しさと豊かさ、愛情を。
Posted at 2019/06/11 23:49:46 | |
トラックバック(0) |
今日の小包 | 日記